第1話

文字数 2,091文字

 ネット通販、せっかくだし一番高いやつと思って買った一番高い石彫り用の彫刻刀、どんな石も彫れるってレビューのついた。星五つが並んだ立派なレビューだよ。レビュアーは何を彫ってんだろうなと思って想像巡らすも想像力には終点があるって知った、知っていた。想像力の欠如を憂う批評家たちも、明日の天気にすら及ばない行き止まりの想像力を前にしたのなら、一体何に対してその文脈を膨らますのだろう。記号通りの薄い論文には感嘆の歴史も無いな。
 明日になれば分かるだろうか。でもきっと君にしか知らされないんだろう。君にも知らされない? そもそもこれは犯罪であって、消されるべき悪文だよ。
 石を彫るという行為は予測不可能な事態に直面することであると、きのう石屋に訊いたところだよ。思い通りにいかないんだって、石屋は言っていた。私はただただどうでもよく、見ず知らずの石屋の苦労話に、売り物の墓石になぜか供えられた林檎の腐った様子を見て、どうせならその果実も石で作りゃあ技術の宣伝にもなるだろうにと、この石屋は初対面の私に苦労話をするほど落ちぶれているのだと、そんなことにうんざりしていたんだよ。いや、正しくはそれだけにうんざりしていたんだじゃあないな。二日後にはサイナラだってのに、こんなところへ来てしまった。彫刻刀の試し彫りだとかの都合の良い理由をつけて人と話がしたかった自分にうんざりしていたんだよ。未練がましさが遺書を空色に塗っていく。それは私と君の嫌いな色だろう。
 空っぽで真新しい墓石に供えられた林檎はいったい誰に向けられたものなんだろう? 何を始めるための果実なのだろう。
 古代ギリシャには鑿を斜めに滑らせる技術が無く、鑿は中心に向かう道しか用意されていなかったのだそうだ。

「明日死ぬとしたら何がしたい?」だとか「誰に会いたい?」だとかのタラレバ。私だって考えたよ。良くしてくれた両親だとか、飲み屋の親父、教会の連中、旧友、だいたいそんなのが思い浮かぶものだと思ってた。私は、すべてが上手くいっていて、最期だってきっと感謝や後悔を口にできるものだと思っていた。ありきたりで幸福な最期に期待していたんだね。情けないな。私は、誰かに会いたいと思うことがうまくできなかったんだ。
 もしいま君が生きていて、私のクエスチョンマークに相応しい解を見つけてくれたなら(でも君が生きていたら、私は君に会いたいと思うことさえなかったのかもしれない。こんなこと言うなんて酷いなと君は思うかもしれないけれど、君がこの世にいないことが私のたった一つの救いになっている)、明日も明後日もやって来ないのかもしれないんだよ。君は無口で、冗談のひとつも言いやしない。私は饒舌で、呪詛のようなことを喋るでもなく喋りつづけている。おかしなことばかり言ってごめんね。もうすぐ終わるから、君はもうちょいそこで眠っていてね。

先祖代々之墓 酒井家
「お別れの挨拶
明日でどうやら終わりらしい。疲れた。君のご先祖様たちよごめんなさい。私の身勝手さによってこの墓石はチラシの裏と化し、別れの特売だ。広告の品になれればいいんだけれど、そうもいかないのが私の最期らしい。ダサいねえ。まあとにかく小さな文字でお別れの挨拶を彫っています。学生の頃は字がデカすぎて批判されていたっけな。
 君のご先祖様たちが好んでいたのであろう、供えられたツナ缶やたらみのゼリー、ファミチキはお供え物には向かないな。でもそれらをまるっと全部いただきました。うまくはなかったな。最後の晩餐は死人への供え物か、まったくおかしいよ。ここにはユダも何にもいやしない。誰も嘘のための言葉を持たず、かと言ってほんとうのことも無いな。魂と、冷たく硬い墓石ともうすぐ沈む太陽。少しでも寂しくなれたならよかったのに。少しでも誰かに会いたくなれたらよかったのに。寂しさと孤独を繰り返すだけだよ。くだらない感傷を墓場まで持っていっちゃうのかあ。
 私にも、どうして私が明日でさようならなのかいまいちよく分かってないよ。でももうだめなんだ。もう疲れたよ。誰にも会えなくなったこと、何も言えなくなったこと。ただ単純に何もできなくなっちゃったんだよ。そしてそれが当たり前の結末に向かって進んでいることに、私自身が納得してしまった。破滅願望じゃあないよ。
 映画のエンドロールを待つように、それに合わせてマフラーを巻くように。どれだけ結末まで遠回りした映画であっても、私はいつだってエンドロールを待っていた。結末の先に帰路しかないことが分かっていても。ポップコーンは何味であっても帰りにトイレに流すんだ(チーズ味だとちょっともったいない)。
 私のエンドロールは誰の心にも届かず、誰にも思い出されることもなく、それでいい。一生残る傷を君の墓石につけてしまったね。誰も読むことのない書物は書物としての価値を失い、遺書になってしまうみたいだね(これは最初から最後まで書物ではない!)。
 君よ。石よ。意思よ。最期だってのにこんな駄洒落。遺書。おしまい。そのうち元気で会おう。じゃあね」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み