第1話

文字数 1,162文字

 もう40年も前のことだ。中学1年の夏、私は市内の小さな英会話教室に通っていた。先生は優しい笑顔をした20代半ばの女性だった。まもなく夏休みが始まるという頃、先生が「大島でキリスト教のサマーキャンプがあるの。一緒に行かない?」と声をかけてくれた。先生がクリクスチャンだと知ったのはその時だった。キリスト教徒でもない私がそんな場に行くことは少々気後れしたが、「きっと楽しいから」という先生の言葉が、参加の決め手となった。
 大島に着くと、さまざまな地域からたくさんの中学生が集まっていた。私たちはグループに分けられ、皆でグループ名を決めるよう指示された。私が振り分けられたグループには1年生が5人と2年生と3年生のお姉さんが1人ずつで7人のグループだった。上級生のうちの1人が、「1年生が5人と上級生が2人だから、グループ名は『5つのパンと2匹の魚』っていうのはどうかな?」と提案した。みんなが口々にいいねと言った。5つのパンと2匹の魚…私には何のことだかわからなかった。
 私たちは、教会で話を聞いたり、讃美歌を歌ったり、食事をする以外には、主にグループで行動した。イベントとして開催されたオリエンテーリングにも、このグループで参加した。オリエンテーリングでは、単にポスト記号を記して行くだけではなく、ポストで渡された聖書の一節を暗記し、ゴールで待つ牧師さんの前でそれを暗唱するといったミッションが課せられていた。ポスト記号を全てチェックした後は皆で必死に渡された言葉を暗記した。ゴールした後、声を揃えて暗唱した一節を披露すると、牧師さんが「よく短時間で覚えたね」と褒めてくれた。
 オリエンテーリングの結果発表の過程で、私たちのグループ名は挙がらない。みんなの顔が「頑張ったけど上位には入れなかったのかな」という表情に変化したその時、「優勝は5つとパンと2匹の魚!」と言う声が聞こえてきた。みんな顔を見合わせて目をパチクリした。牧師さんが「このグループは聖書の暗唱が本当に素晴らしかった」とコメントをくれた。私たちは抱き合って喜んだ。
5日間のキャンプが終わり、埼玉に戻ると、私は母に聖書を買ってもらい、真っ先に「5つのパンと2匹の魚」を探した。聖書を読み慣れない私にとって、それを探すことは容易なことではなかった。主イエスは5つのパンと2匹の魚で5千人以上の人々の空腹を満たしたという奇跡の話だった。「5つのパンと2匹の魚か…なかなかいいグループ名だったな」と思った。
 その後、部活に明け暮れることとなった私は、キリスト教徒になることはなかったし、翌年以降のキャンプに参加することもなかった。でも、今でも聖書を開くと、あの楽しかった時間が想起される。陽の光が映る海の波間のような思い出が、今もヨハネの福音書第6章に刻まれている。
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