第1話

文字数 5,000文字

 こんな話を聞いたことがある。たいして面白くもなかったので、書き留めもせず、人に語ることもなく、こうして記憶の片隅に留めてある。
 昔、罪を犯した一人の男が、千里に鶯の鳴き渡る春、遠く(ひつじさる)の彼方にある都から巡回してきた判官の前に引き出された。
 名を、「まふくたまろ」という。
 村の神を祀る廟の前で面を上げよと命じられ、筵の上にひれ伏した男は顔を見せる。
 その前に立った若い判官を見上げる目に、罪人特有の諦めや反抗の色はない。
 むしろ、一点の曇りもなく磨き上げられた水晶のようで、その面持ちは清々しくさえあった。
 冷たい眼差しで男を一瞥した判官は、凛とした声で厳しく言い放った。
「これ、まふくたまろ。このように悪びれた様子もないとは、自分の罪を心得ておるのか」
「それは嘘の罪でございます。人を惑わしてばかりおりましたので」
 涼しい顔で答えるのを、判官はなおも問い詰める。
「村の者に掴まるとは、よほど爪はじきにされておるのであろう。本当にここの生まれか」
「この村の生まれでございます」
 さらりと答えると、判官はなおも悪口を浴びせかける。
「助けを求める親兄弟もないのか」
 腹を立てたふうもなく、男はぺらぺらとまくしたてる。
「私には生まれたときから父も母もございません。三つの年で生まれてからはただひとりで、池の端の芹を積んで売っては暮らしを立てておりました」
「口の減らぬ呆れた奴めが、何ゆえ、かような目に遭うまでの嘘をついた」
 苛立たしげに問う声に、男はしゃあしゃあと答えてみせた。
「恥ずかしながら、私のせいではございませぬ」
「では、誰のせいだというのか」
 怒りの中にも筋道を立てた判官の問いに、男はもっともらしく応じてみせる。
(たん)のせいでございます」
「そもそも誕とは何者か、人か獣か、それとも草木か」
 男は口を「へ」の字に曲げると、畏まった口調で蘊蓄を傾けた。
「西南の果てに、人をだます女がおります。身体は清純な乙女でございますが、男のような姿をしておりまして、その言葉には猛毒がございます。しかも東と申せば実は西、よしと申してもその実は拒み、良からずと申すは良いことばかりでございます」
「その講釈で刑が軽くなるわけでもない。その女子とおぬしの罪といかなる関わりがある」
 男はきっぱりと告げた。
「その女に懸想し申しました」
 その一言にほころんだ口元は、再び真一文字に引き結ばれる。
「若いおぬしの物言いを信じてやりとうもなるが、その懸想と嘘に、いかなる関わりがある」
 男は胸を張って、自らの恋のなれそめを語り始めた。
「この夏、池のほとりにて芹を摘んでおりましたところ、1人の男が水辺へやってまいりました。すぐにその衣を脱ぎ始めましたが、草の茂みにいた私には気付かなかったようでございます。葉の隙間から眺めておりましたところ、その乳ぶくらで女だと分かり申しました。水浴びをするその姿の美しさに見とれておりましたところ、やがてやってきた馬車から2人の女が降りてまいりまして、新たに服を差し出しました。女はきらびやかな服をまとうと、馬車に乗って行ってしまいましたので、高貴な姫であろうと察しがつきました。」
「なかなかよう出来た夢物語であることよ。そこでおぬし、その女子に懸想したと申すか」
 男は静かに目を閉じると、ゆっくりと頷いた。
「その姿をもう一度見たいと後を追いましたところ、道端の木陰に出て一息ついているところに追いつきました。暑い中で馬車を追いましたので、疲れ果ててそこまでたどりつけず倒れましたところ、女2人が不審がってやってまいります。姫への思いのたけを包み隠さず申し上げましたところ、笑って姫のところへ戻ってゆきました」
「雲の上の女子に想いは叶わなんだか」
 嘲笑する判官を、男は眦を怒らせて睨みつけたが、すぐにその目を伏せて背中を丸めた。
「女どもが戻りまして、思いを叶えたくば、都まで参れと。然るに私めには、そこまで参る路銀がございません。思いが叶わねばいっそこの場で命果てなんと申しましたところ、姫の前まで抱えて連れてゆかれました」
「泣き言でも言うてみるものだのう。それで、姫は何と?」
 いかにも気の毒そうに同情してみせる判官を前に、男はますますうなだれた。
「ひざまずいた私の(おとがい)をつまんで引き上げると、こうおっしゃいました。嘘をついて捕らえられ、都まで引かれてまいれと」
 そこで判官は、男を文字通り頭から怒鳴りつけた。
「たわけが、そのようなことで女子にそそのかされて、嘘をついて人を惑わせたのか!」
 その罵声を、男は顔を上げて正面から受け止めた。
「いいえ、私はもともと嘘のつけぬ男でございます。そう申しましたところ、いきなり口づけを賜りました」
 判官は呆れたように天を仰ぐ。澄んだ空を、一羽の鶯がケキョケキョと鳴きながら横切っていった。
「身に余る褒美ではないか。それで思いは叶わなんだか」
 ため息交じりに判官が尋ねると、男は縛られた身体をのけぞらせて訴えた。
「ますます気持ちは高ぶりましたが、どうしても嘘はつけそうにございません。そう申しましたところ、姫は笑って、それがもう嘘じゃとおっしゃったなり、私を捨て置いてその場を馬車で立ち去られました」
 判官は鼻で笑った。
「まことにようできた恋物語じゃ、聞いただけで涙が出そうになる。おぬし、それが誕であったと申すのだな?」
 男は血を吐くような勢いで答える。
「その証拠に、私は本当のことを申すことができぬようになりました。姫に会いたい一心で、私も口の動くままに任せておりましたところ、村の者は私に愛想をつかして一人、二人と去ってゆきました。それでも私は罪人として捕らわれることはなく、姫への思いは募るばかり、とうとう病に伏すまでとなりました」
 判官はそれでも、男の揚げ足をとってからかい続ける。
「それで生きておるのであれば、身寄りのおらぬおぬしの面倒は誰が見たのか」
 男は大きく頷いた。
「最後に残った友が1人、私の最期を看取ってくれました。私もその恩に報いたいと思いまして、死ぬ間際に言い残しました。床の下に黄金800枚が埋めてある。それで葬式を出してくれと」
 判官は眉をひそめる。
「芹を摘んで、かような黄金をいかにして貯めたのか」
 男は慌ててかぶりを振った。
「そのようなことができるはずもございません。友が人を集めて弔いをして、通夜振る舞いだのお斎(とき)だの、棺桶代に坊主や野辺送りの人足、まとめて黄金800枚を支払おうと家の床下を掘り返しましたところ、黄金と書いた板切れが800枚出てまいりました」
 ぷっと噴き出した判官は、手を叩いて笑った。
「なるほど、たいした嘘よ」
「まことにございます」
 目を剥く男の前に、判官の命令で並べられたのは眩いばかりの黄金の山であった。
「その金はお前の家から没収して、ここにある」
 どうだと言わんばかりの判官に、男はきっぱりと言い切った。
「3枚足りぬはずでございます」
 首をひねる判官に、男は滔々と述べ立てた。
「その友には将来を誓い合った娘がおりました。しかし娘が申しますには、母親が強欲で、貧しい男には嫁げないということでございました。そこで友は、私の与えたその黄金800枚を娘に渡して、母親へのとりなしを頼みました。ところがまた娘が申しますには、それでは足りない、黄金1000枚でないと応じられないとのことでした。とうとう友は、私が芹を取っていた池の深みに身を投げようと娘にもちかけたのでございます」
「この村でかような心中があったとは聞かぬが」
 訝しげな判官に、男はなおもまくしたてる。
「友は池に身を投げましたが、娘はそのまま帰ってしまいました。その話を聞いた私は我慢がならず、娘とその母親の元に参りました」
「まふくたまろ、おぬしは死んだのではなかったのか」
 すかさず口を挟む判官に、男はさらりと言ってのける。
「それも嘘でございます」
「なるほど」
 身を乗り出す判官の前で、男はとくとくと語る。
「私は死んだ友が化けて出て、娘を殺しに来ると脅しました。許してほしければ、髪を切って尼になれと」
「その男も、ここにいる」
 判官の指図で連れてこられたのは、何が何やら分からないという顔の若い男である。
 まふくたまろはその場で頭を垂れた。
「それも嘘でございました。娘が共に身投げをすれば母親も強欲さを悔いましょう。そこで二人で姿を現して結婚を認めさせる手筈だったのでございます」
「娘はお前に脅されて、髪を切ったそうではないか」
 判官の詰問を、男は軽くかわしてみせる。
「よく見ると、それはかつらでございましたので、私は黄金800枚を返せと申しました」
「素直に返したからこそ、黄金はここにある」
 娘に非はないという意味なのだが、男は怯んだ様子もなく、もっともらしい種明かしをする。
「そこで私、あの黄金は偽物だと申しましたので」
「すべて本物であったぞ」
 ああ言えばこう言う判官に、男は一歩も引かない。
「黄金を取り返した後で娘をそう笑いましたところ、母親が懐から、抜き取った3枚を出しましてございます」
「ならばこの場で数えてみよ」
 そう言われてしまったら、もう逃げられない。男は地面に頭を摺り寄せた。
「嘘をつくつもりはございませんでした。これも誕のしわざでございます」
 判官はしばらく考えていたが、そこではたを膝を打った。
「では、ひとつ嘘を申してみよ。それがまことであれば、おぬしの嘘は誕のしわざなどではない」
 男は困ったような顔をした。
「私は50年の間、武者修行の旅をしてまいりましたが、剣術の果し合いで一度も負けたことがございません。ことに東の海の果てで立ち会った相手などは100人からの手下を引き連れておりましたが、私は箸一本で立ち向かい、その一振りでその剣を全て叩き折りましてございます」
「それなら、ここが東の海の果てである。我が手勢の剣、箸の一振りで全て折ってみせい」
 戒めを解かれ、言われるままに箸を手にした男は、判官の部下たちが逆さに立てた剣の前に立つ。
 箸を横薙ぎに払うと、冷たく光る刃は澄んだ音を立てて地面に落ちた。
「見よ、おまえは嘘などついておらぬ」
 叱り飛ばす代官の言葉など、男は全く気にした様子もない。
「剣に細工があったのでございましょう」
 らちの明かない会話に嫌気がさしたのか、判官は言い放った。
「ならば、都に参れ、己がまことの嘘つきであることを暴いてみせようぞ」
 男はそのまま、車輪のついた檻に入れられ、はるか南西にある都にまで護送された。
 都の判官府には、寝台ほどの祭壇が据えてある。男をその前で座らせた判官は、にやりと笑った。
「これに横たわると正直な者には何の害もないが、嘘を述べる者は、たちまち目を見開き、金縛りに遭うという」
 目も合わせずに立ち上がった男は、ものも言わずに祭壇で横たわる。
 果たしてその身体は、弓なりにのけぞったかと思うと、そのまま動かなくなった。
 判官は男に歩み寄ると、その耳元で囁いた。
「見事な嘘である」
 そのまま部下に着替えを持ってこさせると人払いをして、高く結った髪をその場で解いた。
 長い黒髪の艶めかしい姿を惜しげもなくさらすと、その場で女の服に着替えてみせる。
 祭壇の前で身体をそらした男が呆然と見つめるのは、その服の合わせ目から覗く乳ぶくらであった。
 その前をさっと合わせて隠すなり、判官だった女は男の頤(おとがい)を掴んで横を向かせる。
 唇を重ねたところで、艶然と微笑んでみせた。
「まだ思い出せませぬか? まふくたまろ」
 男は、村で見せたような清々しい面持ちで身体を起こすと、その女をかき抱いた。
「この場で、お確かめくださいませ」
 かの姫こそがその誕であったのか、またこの2人が結ばれたかどうかは、実をいうとよく覚えていない。
 かつて聞いたこの話は一応、メモに取りはしたが余りに荒唐無稽だったので、こうして活字にして残すことも、人目に晒すこともせずに破いて捨ててしまったからである。
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