第1話

文字数 1,950文字

 ヒーローというのは人の注目や賞賛を集めると同時に、強い嫉妬の念をも浴びる宿命にある。人間というのは多くの場合、他人の活躍を素直に喜べない仕組みになっているからだ。そのヒーローがお互いを知り尽くした幼馴染となれば余計に、である。
 人は平等でもなければ公平でもない。二物三物どころかあらゆる才能と環境を与えられたり、逆にたった一つその手に与えられたものすら、ろくなものじゃなかったりする。それが人生なのだ、と悟ったのは、実はそれほど最近のことではない。何でも器用にこなし、勉強もスポーツもでき、性格もよく、お金持ちで……そんな奴は漫画やアニメの中だけで生きていると思うだろうが、まあ現実世界にいるのだ。俺の目の前に。
 雅人(まさと)は名前の通り物腰の柔らかなイケメンで、白馬の王子様そのものである。本当に白馬に乗って散歩しているのを見たときには、さすがに何の冗談かと思った。両親が馬術の選手だから、競技から引退した馬を自分が譲り受けて運動させていたのだと言っていたが、シチュエーションがおかしすぎる。ここは日本の都会だぞ?
 雅人とは小学校に上がる少し前に出会った。雅人一家が近所に引っ越してきて、母親同士が意気投合してからの付き合いだから、もう15年以上になるだろうか。その頃から雅人は完璧で、俺はどう足掻いても何かで注目されることはなかった。長年の嫉妬は積もり積もって、今やキリマンジャロくらいにはなっている。
「栴檀は双葉より芳し、って言われてた人がさ、どんどん周りに追い抜かれていくって状況、どう思う?」
 並んで歩いていた雅人が、不意にぽつりと呟いた。
「うまくいかないんだよね、いろんなことがさ」
 俺は内心、はあ? と思った。何言ってんだこいつ、常に注目の的で居続けているくせに。
「学習曲線とかって習ったろ、この間の講義でさ。別にそれなんじゃねえの?」
 そう適当に答えて飲みかけだったゼリードリンクを握り潰す。詳しい説明は俺もできないが、要は上手くなっていく過程には成長する時期と停滞する時期があって、ついでに人によって大きく伸びる時期は異なっていて、それは根本的な才能とは関係ない、という感じだ。最初に大きく上達する人もいれば、ずっと芽が出なくて、ある時突然一気にごぼう抜きしていくような人もいる、ということらしいが、競馬好きの教授が、ハナを奪うタイプと末脚に賭けるタイプがいるのと同じだ、と説明して爆笑を誘っていたのは俺には何のことやら分からなかった。
 雅人は少し驚いたように俺をまじまじと見た。
「何やってんだよ、前見ろ、前」
 顎をしゃくって促した次の瞬間、暴走自転車が目の前すれすれを横切っていって、二人とも肝を冷やす。
龍也(りゅうや)さ、なんでいつも欲しい時に欲しい言葉をくれるの?」
 あん? と柄の悪い返事がつい口を突いて出てしまった。お前こそさりげない気遣いをいつも自然に振り撒いてんじゃねえか。たくさん持ってるんだから、せめてお前の性格くらいこっちに寄越せ。
「あー……なんだっけ、ツンデレ? じゃなくて、ええと、クーデレ? だっけ? この間女の子たちが龍也のそういうとこが堪んない、って騒いでた」
「はあ? なんだそりゃ。見る目のないやつらだな、もっとスペックの高いやつを選べっつーの」
 お前みたいなさ、と俺は心の中で悪態をつく。
「それよりお前、怒んないの?」
「え? 何を?」
 きょとんとしている雅人に、少しいらっとする。
「栴檀に対して、大器晩成に抜かれてるんだろ、って言ったんだぜ? さっき」
「あー! そういうこと」
 からっとした笑顔になった龍也に、もはや戦意すら失う。
「大器晩成に抜かれてるんだったら、自分に才能がないからって訳じゃないでしょ? 努力でなんとかなるかもしれないってことだから」
 ──思い出した。こいつは元々才能に恵まれているが、決してそれだけではなかったのだ。遊びに行ったら机に問題集が山積みされていて、それが次の週には全部終わっていた春休み、陽の昇る前からトレーニングを始め、俺が起きると朝陽の中で汗だくになっていた夏合宿、楽勝だろうに待ち合わせした駅からずっと全身の震えが止まらなかった大学受験の朝。
 そうか。諦めてひねくれていたら、いつまでたっても雅人に追い付くことはない。いや、頑張ったところで追い付くことはないのかもしれないが、俺は俺の道を、俺のやり方で一歩ずつ少しずつ進むしかないのだ。
 明日は土曜日、講義もアルバイトもない。始発電車に乗って、何処かへ行ってみようか。勝ち目のない人生でも、勝ち負けではない場所を探してみようか。そうしたらいつか、へなちょこライダーにも付き合ってくれる白馬が訪ねてきてくれるかもしれない。
 隣で微笑んでいる王子の背中は、今は遠く霞んでいる。
 
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