第1話

文字数 1,716文字

 その穴は僕の家族の秘密であって、細長い暗い空間なのだが、その向こうになにか広大な世界が存在するのか、その細長い空間がもう少しだけ奥につづいてどん詰まりとなるのかは、僕の家族も(ということは 誰も)知らなかった。というもの、それは死んだ者しか入れぬ空間なのである。客用寝室のベッド上部の或る空間を謂わば女陰をひらくような具合に手でひらくと、そうしなかったときには単なる透明な空気にすぎなかった空中に細長い闇が奥へとつづく空間が視覚化する。しかし、そこに手なり頭なりを入れようとするとその空間は閉じて消えてしまう。死んだ者だけが入れるので、僕の祖父母も更にずっと前の祖先も死んだ後そこに自らの遺志で遺族により入れられることとなった。僕も祖父母のときにはその《送り》の場に立ち会ったし、親族ではないのだが母が趣味の会で知り合った女性で家に泊まりにきた晩どういうわけか我が家を選んで睡眠薬自殺を遂げた奇特な美熟女も送ってあげた。
 《送り》にはメリットがあって、チェンジリングではないが、送られた者の取替えに、本人と一見異なるところのない人間がこの世界に出現するのだった。だからといって遺された者の哀しみが緩和されることはないが、喪失の代わりに新たなものを得るということにはなった。
 僕は高校のとき女の子を四人 家に招いて紅茶に添えてだした毒入りクッキーで死なせたうえ、僕ひとりで《送り》をおこなった。
 これは親密な(僕も含めて)五人でやった毒四発入りのルシアンルーレットで、ひとつだけ致死性のものを仕込んでいないクッキーのあるゲームだった。生き残ったひとりが《送り》をおこなうとの約で。つまり僕は彼女たちにはHoleの秘密を明かしたのだ。
 僕は生き残るよりは選ばれた四人として《送り》をされる側にまわるものと期待していたのだが………

 雨が長く降りつづいたあと、空は深い紫色に澄んだ。

 穴は移動もしないし喋りもしないので、僕の家の秘密はどこにも漏れようがなかった。僕の四人の同級生の女の子は、外見がほぼ同一の女の子たちによって置き換わり、卒業後は大学に進んだり交通事故で死んだり、いずれにせよ彼女たちの身近な者には違和感を与えながらも、死んだ同級生たちとしての人生を歩み、あるいは事故とはいえこの世の通常のあり方によって人生を途絶するなりした。
 大きな変化は彼女たちの家族などにではなく僕に訪れた。四人は僕の親しく交際していた友だちだったので、僕の母親が、置き換わって出現した女の子の誰かに会ったときに僕の所業に気づいたのだった。
 母親と話した結果、事故で死んだ女の子とはその死の直前まで、まだ生きている三人とは現在も、いわゆる責任ある男女関係をもつこととなった。

 その《相似の者》たちとの交際を語る前に、僕が出した毒入りクッキーによって死に《送り》によって細長い暗い穴に消えた、いわばプロトタイプたる僕の友人 女子四人について述べておかなければ読者はひどく気持ちのわるい思いをかかえることになるだろう。そういう不快感を維持して読み続けてくれるだろうなどと期待するのは大いに無理であろうとの自覚から、彼女たちについてまず語っておくことにしようと思う。
 花を摘み豚を殺す そんないつまでも変わらぬ人間の偽善というものにつき合ってやらねば どうしたって話というのは進まぬものなのだから。

 教室で初めて会ったアキは、なにかプールに落とされて塩素臭い水が鼻から咽喉へ奔流したときのような激烈に哀しい印象を与える女の子だった。ホームルームを待つ落ち着きのない教室で、彼女は前のほうの席にひとり、誰とも話さずに背をむけていたのだが、右腕が藁でできていて、その手を僕にむけて振りながら、火がついてめらめら燃える腕のすみやかな消失にもかかわらず僕に微笑んでいる。そんな惨めで正視にたえない幻視を僕に喚起して、しかしやはり身動きもせず、こちらに背をむけ座っている。
 僕は惨めな人間への志向性をもっていたので、顔を見るまえから彼女と友だちになろうと定めてまっすぐ彼女の席にむかった。そうして足を踏み出して五歩も行かぬうちに僕に足をかけて転ばしたのがカナである。
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