第1話

文字数 1,644文字

 やっちまった。

 友佳は頭を抱えそうになる。ここは友佳の一人暮らしのアパートだが、友佳の啜り泣きが響いていた。

 先日、ついうっかり上司と寝てしまった。相手は遊びだろう。こっちも遊びのつもりで、羽目を外してしまった。街はもうクリスマスムード一色で緊張感が抜けていたというのもあるが、元々性にはゆるい所があり、メンタルが病んでる時は誰とでもOKという感じだった。

 そんな友佳だが、なぜか近所の教会に行くきっかけがあり、クリスチャンになった。元々陰謀論的なものも好きで、聖書で終末を勉強するのも面白かった。ただ、聖書を読むと、婚前交渉については怖い事も書いてあり、そういう事はすっかり辞めていたつもりだったが。

 罪悪感や恥が心に混じり合う。たった一回のそれだったが、死にほど後悔し、泣きたくなる。当然、毎週日曜日の礼拝も行けずサボっていたが。その事も罪悪感が募り、泣きたい。

 ピンポーン。

 そんなグズグズした日曜日の午後。チャイムがなる。

 聖だった。

 聖は同じ教会に通う仲間だが、彼は牧師の息子。きっと子供の頃からエリート的なクリスチャンだと思うと、友佳はまともに目が見られない。

 確か年齢は若く、まだ大学生ぐらいだ。メガネで真面目そうだが、聖書以外の勉強はからっきしダメらしい。敬虔という感じもして、ちょっと苦手。

「シュトレンもって来た。食べる?」
「え?」
「ケーキ屋で買ったいいやつなんだよ。砂糖ふんだんで」

 男を部屋に入れるのは、どうかと思ったが、聖はなぜか全くオスの匂いがしない。シュトーレンの箱から良い香りがして負けた。それにウチはボロアパートで壁も薄いし、どうでも良いかと思い、部屋に招く。

 シュトレンを切り分け、テーブルの上に置く。ふわふわと白い衣を被ったシュトレンは、甘い香りがする。ぎっしりと詰まったナッツやドライフルーツを見ると食欲がそそる。シュトレンはクリスマスに関連が深い菓子だ。真白いなまこ型のそれは、赤ちゃん姿のイエス・キリストを示していると言われている。クリスマスを象徴する菓子と言って良いだろう。

「そうだ、葡萄ジュースも持ってきた」

 聖はペットボトルの葡萄ジュースもテーブルに出す。

「なんかこうして見ると、聖餐式みたい」

 教会では聖餐式という儀式があった。パンや葡萄ジュースをキリストの血肉に見立てて、みんなでいただく。最後の晩餐を想い、キリストの新しい契約に感謝する。単なる見立ての儀式のようだが、共に食事をする仲間として絆も深まる。日本語でいえば、「同じ釜の飯を食う」といったところか。

 しかし、今の状況だと、聖とこんなシュトレンも葡萄ジュースも食べたくない。罪悪感を刺激される。こんな悪い自分でいいんだろうか。キリストの姿といわれるシュトレンも食べていいものかわからない。

「大丈夫。イエス様だって悪い人たちとよく食事してただろ? 差別とかしなかった」

 聖は全て見透かすように言う。確かにちょっとこの子は勘がいいというか、人の気持ちに敏感で繊細なところもあったが。

「そうだけど」
「教会は所詮、人間が集まるところ。いい人のフリとかしないでいいから。神様は、そんないい人とか悪い人とかで見ない。むしろ聖書読むと悪い人達のが好きっぽい感じしないか?」

 どうやら友佳を励ましてくれているらしい。聖の優しい声を聞いていると、硬くなっている心が溶けそうだ。

「みんな友佳さん来なくて心配してるし。神様も友佳さんと一緒に食事したいって呼んでるぞ」

 そんな事言われたら、何も言えない。ぐっと涙を堪えながら、シュトレンや葡萄ジュースをいただく。

 口の中でシュトレンの粉砂糖が溶け、濃厚な甘味が広がる。葡萄ジュースが少しさっぱりと感じるぐらい。

 二人で食べ終え、祈っていると、なぜか辛い気持ちも溶けてきた。来週は礼拝に復帰できそうだ。

 一人だったら、立ち直るのは難しかったかもしれない。思えば友佳とは何の共通点もないが、聖は大切な隣人だったようだ。

 気づくと、もう涙は止まっていた。
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