紳士の予言
文字数 1,646文字
これもまた祖父の体験談。
祖父がまだ小学生であった頃、ご近所さんがお風呂を借りに来るということが日常的にあったという。
その日も、馴染みの一家が揃ってお風呂を借りに来た。
その一家には祖父と同い年の子どもがおり、つまりその子は同級の友人でもあった。男友達である。
ちょうど夕暮れ時で祖父も風呂に入ろうという頃合いだった為、お風呂を借りに来た家の子と、友達同士二人で風呂に入ることとなった。
風呂に浸かりながら友達と今日あったこと、遊んだ相手、宿題の話、次々と話題が回っていく。
すると友達のその子―――仮にA君とする、そのA君がふと思い出したように今日あった出来事を話し始めた。
A君の話はこのようなものだった。
この日、学校は午前中までだった。A君は学校からの帰り道、近道である商店街を抜けて我が家を目指していた。
その途中、商店街の雑踏に混じって電信柱のそばに立つ一人の男が目についた。
仕立ての良い黒い背広に身を包んで、高価そうな傘をまるでステッキのように手元に持っている紳士であった。
下町の商店街には不似合いな程の、立派な身なりをした紳士が一人でぽつんと佇んでいる。
生活の大部分がこの商店街で成り立っている町である。商店街を行き交う人々の殆どが顔見知りだ。
それなのにその紳士のことをA君はまるで知らない。紳士だけどこからか切り抜いてきて、町の風景に貼り付けたような違和感がある。
その紳士の違和感にA君の視線は釘付けになった。なぜ道行く人々がその紳士のことを気にかけないのか不思議なくらいだった。
するとA君の視線に気づいたのか、紳士もA君の方を見た。双方、目があった。
紳士はA君が自分を見ていることに気づくとにこりと柔和な微笑みを浮かべてA君に向かって手招きをしてきた。
紳士の柔和な笑みと手招きの仕草の優雅さにA君はまるで警戒することもなく紳士の元へと近づいた。
紳士の正面まで近づくと、紳士はA君に会釈をした。
「こんにちは、ボク」
言うと紳士は背広のポケットから包み紙に包まれたチョコレートを取り出した。
「これをあげましょう」
突然の申し出に驚いたA君だったが、知らない人から物をもらってはいけないという両親からの言いつけにより、チョコレートはかなり欲しかったのだけれど、無言で首を横に降った。
すると紳士は気分を害する様子もなく穏やかな様子でチョコレートをポケットに戻した。そしてA君に告げた。
「それなら代わりに良いことを教えてあげます。明日、大地震が起こります。人が沢山死にます。でも君は助かりますよ」
急にA君はその紳士のことが怖くなった。大地震という言葉や、人が沢山死ぬという話を唐突に語りだす紳士のことが気味が悪かった。
だからA君はその場から踵を返して逃げ出したのだった。
振り返ることもなく紳士の元から一目散に走り出した。
そんな話をしたA君は一緒にお風呂に入っていた祖父に言う。
「明日のことなんてわかるはずないよな。地震なんていつ起きるか誰にもわかんないよな」
その言葉に祖父はそうだそうだと返事をすると、話題はまた別のものへと移っていった。奇妙な紳士のことなど明日になれば忘れるだろうと、この時の祖父は思っていた。
けれど紳士の話を祖父は未だに覚えているという。
A君とそんな話をした翌日、本当に大地震が祖父の住む地域を襲ったからだ。
被害は大きく、死者も多く出た。
その死者の中にA君も含まれていた。地震が起き、慌てて机の下に逃げ込んだA君は倒壊する建物の下敷きになって亡くなったのだ。
紳士の奇妙な予言は的中したことになる。ただし、A君は助かるという部分を除いて。
紳士が口にした予言と助からなかったA君。祖父はその紳士に出会いたいという気持ちと、出会えば自分もまた恐ろしい予言を授かるのではないかという恐怖と、その二つの感情が未だに混ざるのだとそう私に教えてくれた。
祖父がまだ小学生であった頃、ご近所さんがお風呂を借りに来るということが日常的にあったという。
その日も、馴染みの一家が揃ってお風呂を借りに来た。
その一家には祖父と同い年の子どもがおり、つまりその子は同級の友人でもあった。男友達である。
ちょうど夕暮れ時で祖父も風呂に入ろうという頃合いだった為、お風呂を借りに来た家の子と、友達同士二人で風呂に入ることとなった。
風呂に浸かりながら友達と今日あったこと、遊んだ相手、宿題の話、次々と話題が回っていく。
すると友達のその子―――仮にA君とする、そのA君がふと思い出したように今日あった出来事を話し始めた。
A君の話はこのようなものだった。
この日、学校は午前中までだった。A君は学校からの帰り道、近道である商店街を抜けて我が家を目指していた。
その途中、商店街の雑踏に混じって電信柱のそばに立つ一人の男が目についた。
仕立ての良い黒い背広に身を包んで、高価そうな傘をまるでステッキのように手元に持っている紳士であった。
下町の商店街には不似合いな程の、立派な身なりをした紳士が一人でぽつんと佇んでいる。
生活の大部分がこの商店街で成り立っている町である。商店街を行き交う人々の殆どが顔見知りだ。
それなのにその紳士のことをA君はまるで知らない。紳士だけどこからか切り抜いてきて、町の風景に貼り付けたような違和感がある。
その紳士の違和感にA君の視線は釘付けになった。なぜ道行く人々がその紳士のことを気にかけないのか不思議なくらいだった。
するとA君の視線に気づいたのか、紳士もA君の方を見た。双方、目があった。
紳士はA君が自分を見ていることに気づくとにこりと柔和な微笑みを浮かべてA君に向かって手招きをしてきた。
紳士の柔和な笑みと手招きの仕草の優雅さにA君はまるで警戒することもなく紳士の元へと近づいた。
紳士の正面まで近づくと、紳士はA君に会釈をした。
「こんにちは、ボク」
言うと紳士は背広のポケットから包み紙に包まれたチョコレートを取り出した。
「これをあげましょう」
突然の申し出に驚いたA君だったが、知らない人から物をもらってはいけないという両親からの言いつけにより、チョコレートはかなり欲しかったのだけれど、無言で首を横に降った。
すると紳士は気分を害する様子もなく穏やかな様子でチョコレートをポケットに戻した。そしてA君に告げた。
「それなら代わりに良いことを教えてあげます。明日、大地震が起こります。人が沢山死にます。でも君は助かりますよ」
急にA君はその紳士のことが怖くなった。大地震という言葉や、人が沢山死ぬという話を唐突に語りだす紳士のことが気味が悪かった。
だからA君はその場から踵を返して逃げ出したのだった。
振り返ることもなく紳士の元から一目散に走り出した。
そんな話をしたA君は一緒にお風呂に入っていた祖父に言う。
「明日のことなんてわかるはずないよな。地震なんていつ起きるか誰にもわかんないよな」
その言葉に祖父はそうだそうだと返事をすると、話題はまた別のものへと移っていった。奇妙な紳士のことなど明日になれば忘れるだろうと、この時の祖父は思っていた。
けれど紳士の話を祖父は未だに覚えているという。
A君とそんな話をした翌日、本当に大地震が祖父の住む地域を襲ったからだ。
被害は大きく、死者も多く出た。
その死者の中にA君も含まれていた。地震が起き、慌てて机の下に逃げ込んだA君は倒壊する建物の下敷きになって亡くなったのだ。
紳士の奇妙な予言は的中したことになる。ただし、A君は助かるという部分を除いて。
紳士が口にした予言と助からなかったA君。祖父はその紳士に出会いたいという気持ちと、出会えば自分もまた恐ろしい予言を授かるのではないかという恐怖と、その二つの感情が未だに混ざるのだとそう私に教えてくれた。