第12話

文字数 4,682文字

「――……」



 ゆったりと、甦る様に瞑っていた目を開く。後味の悪い目覚め。どんな夢だったか覚えてるからこそ体が疲れている、そんな塩梅。まだ頭の中は微睡んでいて、ここはどこ私は誰の状態。なにがなんだか分からないので、思考が戻るまでこのまま暫く視界の考察とする。

 窓際の席に座る俺の視界に映るのは、同じ講義を受けている大学生達。一人で黙々とノートを取る真面目や、友達とこそこそ喋る不真面目や、俺と同じく腕枕をしてまだ目が覚めない様子の寝不足などなど。



 ……何でコイツら前と同じなんだよ。



 身を起こす。左腕の、肩と肘の中間が痒い。ぽりぽり。



「詩乃、いい夢は見れたかい?」



 すると後ろから、真琴にからかわれた。いつもの位置関係、振り返って見上げる。助教授に気をつけて。



「ふあぁ……いや、見れてねぇですよ。と言うか、いい夢なんてもう何年も付き合いがないな」



 たぶん中学を卒業してから。



 きっとこれも母さんのせい。



「そうなんだ。……むー、駄目だよ詩乃、日々を思い詰めちゃ。いい夢は心を豊かにしないと見れないからね。僕でよかったら相談にのるよ」



「それはとても嬉しいんだけど……えっ、何でそんな話……、俺ってそんな風に見える?」



「いや、ただなんとなく」



「ぞんざいだ事」



 でも気を使ってくれるのは嬉しい。あとで人目もはばからずに抱きしめてしまおう。感謝という名の欲求のままに。



「はは、ごめんごめん。――あ、でも詩乃って偶に、どこか遠い所を見つめてるような時があるよ。僕は後ろにいるからよく見かけるんだ。あれは何て言うか……まるで地平線よりも更に向こうを見ているみたいな、そんな感じでさ。だから今みたいなの言っちゃったのかな」



「――はっはっは。何だそりゃ」



 笑ってやったら、真琴も笑い返してきた。何言ってんだろうね僕、と自分で自分を笑っている。

 実際、俺がそんな事をしていたのかどうかは覚えがない。けど真琴の口振りからすると、最後のは比喩だったけど、そんな事をしているらしい。



 これからは気をつけよう。意外に俺は感傷的のようだ。きっと母さんのせい。





















「――おや。こんにちは、詩乃くん。大学はもう終わったのですか?」



「こんにちは、倣司さん。はい、朝の講義しか受けるつもり無かったんで」



 ちょうど昼時、cherryに到着。何か用があったので来たのではなく、暇つぶしに雑談をしにきただけ。倣司さんと会話をすると和むのだ。



 本当に予定が無かったのもあるけど、もし入っていたとしても大学からは出ていただろう。昨日のアレのせいで体がだるい、叫んだり堪えたり怒ったりしたから。正確には気分的にだるさを感じているだけで、身体に関しては快調である。肉体と精神は別物。



 カウンターに座る。倣司さんは、やはりグラスを磨いている。



「……詩乃くん、今日は何かあったのですか? 何やら疲れている様に見えるのですが」



「あー……まぁ、はい……」



 正直に言える筈もないので濁す。



 女友達に抱き付こうとしたら躱されて階段を転げ落ちた、なんて言えない。



「本当に疲れてるのですねぇ。何があったかはわかりませんが、無事に解決出来たのでしょうか」



「んー、無事といえば無事ですかね。体とか。でも色々と勘違いされてしまったというか、失ってしまったというか……」



 真琴は笑っていた。まあいつもの事。

 周りの学生たちは冷たい目をしていた。まあ当然の事。



「それはまた、何とも大変な目に遭ったのですね。日々を忙しくも真面目に健気に頑張っている詩乃くんが、そんな事態に巻き込まれるなんて、私は悔しいです……。ああ、それに比べて、私はなんて恥ずかしい学生時代を送ってしまったのでしょう。詩乃くんを見ていると自分が申し訳なく」



「な、倣司さん、色々と進み過ぎです。全然そんな事ないっていうか……ほんと気にしないで下さい。なんか心が痛い……」



 倣司さんがどんな学生だったが知らないが、俺は現在進行形で貴方の何倍も堕落した学生だと思います。



 高校時代、真剣に何かに取り組んだという記憶が全然出てこない。部活はまぁまぁ楽しかったけど、それ以外での学校の事は断片的にしか覚えていない。千ピースで完成するパズルを、三ピースしか持っていないみたいな。



 大学に通ってるのだって、単に働きたくなかっただけだし。フリーターになるのもどうかと思ったし。アルバイトと定職って、やっぱり重みが違うよね。なんか逃げたくなるよね。ダメ人間言うな。



「詩乃くんは相変わらず謙虚ですねぇ。それとついでに訊ねますが、左腕、どうかしましたか? 店に入った時からずっとさすっていますが」



「――とっ」



 言われてから気付いた。無意識にやっていたようだ。むず痒いだけですよ、と答えて、もう触るのをやめる。むず痒さは俺の心が生み出しているもので、腕自体には何も無いのである訳だが。



 すると背後からからんころん、



「――おろ、珍しいじゃねぇか。この時間帯から坊主がいるなんてよ」



 とガラス戸が鳴って、鷹無のおっさんが現れた。



「おや、これはこれは。こんにちは、鷹無警部」



 おう、とおっさんは答える。公務員が堂々と咥え煙草なんかしてんじゃねぇ。



「珍しいって、ただ顔が会わないだけで、俺はそれなりにはこの時間帯にいるよ。てか、おっさん、仕事は?」



「んっ。いやな、聞き込みしてる内に近くを通りかかったんで、ちょいと顔見せによ」



 いつもの焦げ茶色のスーツと焦げ茶色の帽子、いつものへらへらした顔の、鷹無古朗たかなしころう警部。



 白い無精ひげを生やしたおっさん。というかジジィだけど、おっさんという方がしっくりする顔立ち。背は高いが細い体格の、服の色と相まってゴボウみたいに見える人。こんなどこにでも居そうな、けれどちょっぴりダンディなおっさんは、うちに個人的に捜査を協力させる警察の人である。



「それよりも詩乃坊主、どうしたんだよ今日は。サボリか、サボリだな、皆まで言うな。おい帯臣、てきとーに酒くれ」



「違う。勝手に進めんな。ただ朝で終わっただけ。……てかおっさん、なにカウンター座って当たり前のように酒飲もうとしてんだよ。仕事中だろ」



「かてぇ事言うない。少しくらい息抜きしたっていいだろう? 老体に働き詰めは地獄地獄」



「その言い分はわからなくもないけど、あんた警察でしょうが。この税金泥棒め。市民の為に汗水流して働け働け」



「まぁまぁ詩乃くん、良いではありませんか」



 そう言って、倣司さんはビールと灰皿をオッサンの前に置く。



「がはは、すまねぇな帯臣。まったく、若僧は世間の在り好し方が分かっちゃないねぇ。目標も無しに大学通ってる奴がよくいうぜ」



 ギクッ。



「それは誤解ですよ、鷹無警部。詩乃くんはなさねばならない事が多すぎる人なのです。日々が大変であり続けるが故の頑張り屋なだけなのですよ。ねっ、詩乃くん」



「……あ、あははは……」



「くくっ。頑張り屋、ねぇ……?」



 にやにやしながら見るんじゃねぇ。くそっ……この人、仕事柄か、本性を見抜くのが長けてやがる。いや、倣司さんの早合点なだけなのだが。



「しかしまぁ、ただ寄っただけじゃない。一応聞いてみたかったんだよ。昨日の今日だからあまり期待しちゃいないが、帯臣、何かわかった事はあるか? お前、仕事早いからよ」



 落ち着いた所で、鷹無古朗は仕事モードに入る。表情も声色も変わった様子はないのに、独特の雰囲気を発し始めた。問いたら答えろ、とでも言わんばかりの。



「昨日の事件ですね。ええ、大体の目星は付きましたが、しかしまだ情報が少ない。場所の特定も、推測できる所が多すぎて絞れていません。――私としては、昨日の内にまた事を起こすと思ったのですが、ニュースにはなっていませんでしたね」



「がっはっは、やっぱり帯臣は仕事が早いな。まっ、昨日はヤらなかったのか、またはヤッてたとしてもまだ死体が見つかってないのか。わからないが、その辺は俺らの領分だから、お前は引き続き犯行現場の予想を頼む」



「ええ、そうします。……しかし。何もなかった事を願うのですが、やはり、昨日の夜も犯行に及んだと思ってよいでしょう。間を取る必要性がありませんし、この手のものは止まる事を知りません。二件目が見つかれば、それなりに絞り込めるのですが」



「期待してるのに期待したくない情報だな。だがそれは考えても仕方がねぇ。どちらかに転ばそうとしてるのは俺らじゃないからな。俺らはただ動きながら待ちわびるしかないのさ。……そんでよ、さっきから気になってたんだが――坊主、なんか顔色悪いぞ。あと左腕どした?」



「いや、おっさんの煙草が臭くて」



 何だとこのやろう、と反論するけど灰皿を遠ざけるあたり、この人は心優しい人だ。また無意識に触っていた左腕は先ほどと同じく、痒いだけと言って誤魔化した。

 顔色が悪かったのは、単純に居心地が良くなかったからだろう。だって昨日、帰り道に出会っちゃったもん。それでいて襲われちゃったもん。

 二件目はどうのこうの警察と探偵が隣で話しているのだから、当事者としては内心ドキマギして仕方がない。



「時に坊主よ、お前の意見も聞いてみたいんだが」



「しがない学生を物騒な話に加えないでくれ。そういうのはプロだけの間でしやがって下さいー」



「冷静にはぐらかせるって事は、確固たる意思があるって事だぜ? お前も何だかんだで帯臣の弟子なんだなあ」



「いや、そんな。弟子だなんて、ふふ」



 倣司さんは恥ずかしそうに笑う。あなたがそんな事すると可愛い過ぎるので控えて下さい。てか助けてくれないのかよ。



「…………まったく。じゃあ、何を言えばいいんだ……?」



「次の犯行現場。大まかでいい」



 ……めんどくさいなぁ。正直に考えた事を喋っても、そこまで怪しまれはしないんだろうけど。



 えーっと。最初の現場は霊ヶ哉の中心から北東の仙理《せんり》、俺が住まう甲煉《こうれん》の一つ上となる地区。そこの、ほぼ境目に位置する二丁目の廃ビル。次に俺が出会した場所は甲煉の西側あたり。二つを直線で繋いだ距離は自転車で走って三十分くらい。……うわっ、意外と範囲狭いじゃん。



 いや、そもそも考えてみればその通りか。どうな経路で動いているのかはわからないが、例え偶然だとしても、出会ってしまえる時点で自分には関係ないと言える範疇ではない。

 ……これなら確かに。二件目さえ確認されてしまえば倣司さんはアイツの行動範囲を読み取り、犯行現場に加えて潜伏先をも見つけてしまうに違いない。彼なら絶対にそこまで出来る。



 ――それじゃ駄目だ。行き過ぎだ――。



「――だっはっはっは! 期待してるところ悪いが、残念だったなおっさん。俺には本当に全く持って見当が付かないのだ。何故かって、何故なのかって、馬鹿だからさっ!」



「だよな。結局はそうなんだろうなって思ってたよ。お前は期待を裏切らねぇな」



「ですね。詩乃くんみたいに平和的な人格を持った人が、物騒な事を考えられる筈がありません」



「いや、帯臣。俺のは坊主は頭悪いからって意味なんだが」



「いえ、何を言いますか。詩乃くんは大学に通ってるのですよ。頭が悪い筈ありません」



「いやいや、今の時代、有名でもない大学に入るのは簡単だぞ。裏口も安くなってるし」



「いえいえ、有名だとか無名だとか関係ありません。上に辿り着いた事自体が素晴らしいと言っているのです。つまり、その上に辿り着いた詩乃くんは素晴らしいのに加えて同時に頭が宜しいという事になります」



「いやいやいや――」



「いえいえいえ――」



「いや……あの……もうやめてぇぇぇ!」


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