第1話

文字数 8,231文字

「ウオッ、ナニコレ。『隧道を抜けるとそこはまるで南国の風景だった』ってか?」
 その風景にオレは思わず声を出した。
「Amazing!」
 助手席でガヤも声を上げる。 
「でも、なに? 『トンネルを抜けるとそこは雪国だった』をパクったつもり? 普通、隧道なんて言う? 書き言葉でしょ」
 ガヤはそう突っ込んできた。
「……だね。言えてる。タシカニ」
『トンネルを抜けると』と言うと、モロ『雪国』のパクリになると思って、わざわざ隧道と言ったんだが、オレは逆らわない。

 そこは館山。助手席で笑っているのは“ガヤ”こと程ヶ谷由紀。大学の一個下の後輩だ。初めて見たときから好きだったけど、やっと一緒にドライブ出来るまでになれたということ。
 目の前の景色はホント南国みたいに見えた。トンネルを出たとたんその景色が広がってた。とにかく、道路の両側にヤシ。あの南国に生えてるやつね。その椰子が並木として並んでるわけよ。ただ、ズラッと並んでるって感じじゃないんだな。“マバラ”そう、間隔がかなりあってまばらな感じなんだ。
 すっごく背が高い。それで、うえーっの方にだけちょこっと葉っぱが付いてる。まるでガヤだ。そう思うと余計おかしかった。

“一目ぼれ”って有るだろう。お米じゃないよ。古臭い言い方だけど、オレはガヤに一目惚れしたんだ。
 オレ行ってる大学って大したこと無い大学なんだけど、新入生歓迎会のとき背のデカい女の子が居るのに気が付いて、何の気なしにチラッと顔見たら、これが、かなり可愛いのかなって感じだったんだよね。マスクで殆ど目しか見えないけど。ところが、可愛いと思われるのにかなり変。周りの子はおしゃれな服着てキレイキレイしてるのに、ブルージーンズの上下に中はTシャツ。昭和かよ! と思った。
 それだけじゃない。髪、思いっきり短くてその上刈り上げてるんだよ。最初遠くから見たときは男かと思ったし、女と分かってからも、なんだこの女、変な女って思ってた。じっくり顔見るまではね。顔見たとき何思ったかっていったら『もったいない。普通に髪伸ばしておしゃれな服着てたらモテまくるだろうに』そう思ったんだ。
 オレ、二つ上の姉がいる。その姉、結構いい女と思われてるらしいんだけど、スッピン知ってるオレに言わせたら大したこと無い。小顔なのと、目、鼻、口のバランスが特に崩れていないというだけで、本当は目だって小さい方。だけど、コスメとファッションには異常に関心が有って、それだけにメイクは抜群に上手い。その姉と比べてスッピンでこれだけ整っていれば、メイクして可愛い服着たらどうなるか想像したってわけなんだ。いや、と言うよりも正統派美人になるだろうと思った。マスクで隠れていたってそれくらいは想像出来る。もちろんハズレることだってあると思うけど、見たときのヒラメキで、確信みたいなもんが有るんだな、これ。

 それからというもの、キャンパスでも目で追っていつも彼女を探すようになった。所属は英文。オレ国文なもんで講義で一緒になることは無い。学食で見掛けることはあるが、いつも友達と一緒で近付きにくい。男女問わず仲間内で結構人気有るみたいだ。
 オレ、国文って言ったけど、実はレスリングの特待生。スポーツで売ってる大学ではないんだけど、何故かレスリングだけは力入れてる。理事長が昔やってたらしいんだよね。

 それはともかく、ガヤは演劇部に入ったらしい。それが分かって、俺は演劇部の日野原と言う奴から情報を得ようとした。日野原とはもともと友達だったけど、それほど親しい訳でもなかった。だけど、意識して接近した。向こうはどう思ってたんだろうね、急に俺が接近するのを。
 日野原によるとガヤは“面白い子”だと言うことで、先輩たちからも可愛がられているらしい。詩も作るし、本もかなり読んでるらしい。英文科だけど、日本の小説にも詳しいという。この間は、先輩と演劇のことに付いて話していて『スタニスラフスキーシステム』とか言うものについて議論して、結果、先輩たちが恐れ入ってしまったという。
 オレは心配になった、きっと、演劇部の誰かと親しくなって付き合い始めるのではないかと心配したんだ。話が合うだろうからね。
 はっきり言ってオレは筋肉バカ。ガヤと話す機会があったとしても、何を話していいか分からない。きっとつまらない奴と思われてしまうだけだろうと思った。

 そのうちガヤは高下駄履いて歩き回るようになった。日野原によると、演劇部の部室に有った小道具だと言う。それが気に入って、部長の許可を得て履いているのだという。来ると部室に直行してスニーカーから高下駄に履き替える。それで、一日中履いたままでキャンパス内を歩き回る。とにかく変わった奴だとは思われているらしいのだが、人気が有る。変わっているが、明るい。ユニークさと、あと絶対に、可愛いことも人気が有る理由の一つに違いない。オレはそう思っていた。
 しかし、それでなくとも背が高いのに高下駄履いて歩き回るものだから、まるで電信柱が歩いてるようだ。
「お前、あいつに興味あるんじゃないの?」
 日野原も当然気付いている。
「ああ、有るよ」
とオレも素直に認めた。
「面白い子だけど、胸ないじゃん」
「えっ? そんな事どうでもいいだろう。オレ、胸の大きな子、別に好きじゃないし、むしろ小さい方がいい。お尻も、小さくてキュッと上がってるのがいいね」
 オレはそう言った。
「なるほど、そういう好みか、分かった」
「分かったって、何が?」
とオレは聞いた。
「お前のような単純な奴が何考えてるかなんて、手に取るように分かるさ。協力してやる。切っ掛け作ってやるよ。後はお前次第、駄目でもオレ恨んだりするなよ」
 日野原はそう言って笑った。
「本当か?」
 オレは真面目な顔をして、そう聞いていた。
「今日、昼飯おごれ、学食でいいからさ」
「分かった、おごるよ」
「フッ……お前は……」
 日野原は、吹き出すのをこらえたかのような素振りをして笑った。
「何だよ!」
とオレはムキになって聞いた。
「なんでもないよ。いい奴だなって思っただけさ」
 日野原はオレの反応を面白がっていた。

 日野原はちゃんと約束を守ってくれた。或日、キャンパス近くのパーラーに呼び出された。とにかく来いと言うから行ってみた。店に入ると、窓際の席に、日野原と奴の彼女の栞、そして、何とガヤが居た。蛇足だが栞は胸が大きい。
 一瞬、どうしようと迷って足が止まった。ガヤが居たことは嬉しかったが、心の準備をしていなかったので、どう振る舞って良いのか分からない。
 日野原がオレに気付いて、笑顔で手招きした。ちょっと硬く見えたに違い無い笑顔を見せて、オレは覚悟を決めて日野原たちの席に向かった。
「おう」と日野原に言って、「栞ちゃん、しばらくだね」と奴の彼女に言う。
 そしてガヤには、ぎごちなくちょっと頭を下げた。そして席に着く。
 日野原と栞が並んでいて、栞の向かい側にガヤが座っていたので、必然的に、オレはガヤの隣に座ることになった。
「友達の神谷。顔知ってるよね」
 日野原がガヤに言った。
「高三のときに、インターハイで三位になった人ですよね」
「えっ? なんで知ってるの」
 意外だったので、思わずそう聞いた。
「大学のホームページに載ってたから」
 ガヤはそう言って少し笑った。『そうだ。そう言えば、小さく載ってたんだっけ』そう思い出した。
 日野原だけでなく栞も心得ているらしく上手く話題を盛り上げてくれる。二人共演劇部なので『さすが役者だな』と、オレは妙なところで感心し、二人に感謝した。
 ガヤはレスリングに関心を持って、色々と聞いて来た。きっと好奇心旺盛で、レスリングに限らず何にでも興味を持つ性格なのだろう。
「吉田沙保里さんの片足高速タックル。あれやってみたい。教えてくれます?」
 ガヤがどの程度本気で言っているのか分からなかったが、オレは嬉しくなって説明を始めてしまった。
「うーん。体技って大体そうなんだけど、まず大事なのは、自分の正面で技を掛けること。相手が斜めとか横を向くように崩すことが必要なんだ。それで、相手の足をまたぐようなイメージで自分の両足の間に来るようにするんだ。相手の足が外側にあると力が逃げやすくなるし、相手は体重を掛けやすくなるからね。ちやんと身体を作っておかないと、相手が体重を掛けただけでも支えきれないで崩れちゃったりするんだ。それから、相手の足元まで踏み込んで膝上に腕を巻きつけるイメージ。素早く、素早くだ。口で言っても分かんないよね」
 つい本気で説明してしまいそうになった自分に気付いて、オレはそう言って笑った。後輩に指導しているときなら、この後『顔を相手の足の付け根に押し付けるイメージで股関節を固定するんだ』と言うところだ。まさか、それを説明する分けには行かない。それに気付いたんだ。
「それより何より一番大事なのは、一瞬相手の視野から消えること。それが出来ないと逃げられてしまうから」
 代わりにそう付け加えた。
「ウワーッ、やってみたい。イッヒッヒ」
とガヤは無邪気に笑う。 
『イッヒッヒ』と書くと魔法使いの婆さんの笑い方のように思えるかも知れないが、これが、いたずらっぽくて可愛いのだ。
「こいつとやったら、その細い体じゃ、骨がバラバラになっちゃうぞ」
 日野原がそう言って笑った。一瞬『本気でやるわけ無いだろう』と言おうとしたが、ガヤと組み合った情景を想像してしまい、バツが悪くなってやめた。
「プロレスやったらいいんじゃないですか。リングネームは『ボーンクラッシャー神谷』とか。ねえ、センパイ」
と日野原に同意を求める。
『なんで話がそこへ行くかな』とオレは思った。トレーニングのこととか試合の予定とか聞いて欲しかったのに。
「アマレスとプロレス、全然違うんで……」
と、オレはつい間抜けなことを言ってしまった。
「分かってるわーい!」
 ガヤは、叩くように空中で手を振り、オレの方を見て笑った。
「劇団入りたいって言ってたけど、ヨシモトの方が向いてんじゃないの? ガヤ」
 ガヤに突っ込んだのは栞だった。
「ヒヒーッ」
とガヤが笑う。似ていると言うことではないんだけど、何故かきゃりーぱみゅぱみゅのイメージが重なる。
『このキャラで女芸人てのもアリかな』とそのときオレは思った。井森とかファーストサマー・ウイカとか、友近とか、黙ってりゃ美人って女芸人結構いるもんな。アレッ、井森って芸人じゃなかったっけ? そう思った。

 オレたちは急速に親しさを増して行った。だけど、それでトレーニングに身が入らなくなるようなことは無かった。三位じゃ駄目だ。優勝してガヤに格好いいところを見せたい。そんな想いでオレはトレーニングに挑み、練習に励んだ。二人とも講義を取っていないコマが週に二度ほど有ったので、そこをデートに当てた。尤も、オレの本音は、練習はサボれないが、講義の方はガヤ次第でいつでもサボるつもりではいた。もし、急に会いたいと行ってくれば、オレはいつでもOKしていたろう。

 そんな俺がガヤの為に、仮病を使って練習を休む事にしたんだ。
「なんか、ドライブに行きたい気分」
 ガヤのその一言で、あっさりオレは崩れた。その分頑張って、後で取り返せばいい。そう自分を納得させた。

 レンタカーを借りて、駅前で待ち合わせた。今日こそは少しはおしゃれして来るのかと思ったら、いつものジーンズ姿のガヤがロータリーに立っていた。その前に車を止め、一応、降りて助手席のドアを開けてやろうかなと思う間も無く、ガヤは自分で乗り込んで来た。
「お疲れさんでーす」
 ガヤがそう言って乗り込むと、オレはバッグを受け取って後ろのシートの足元に置く。ブランド品でもなんでも無く、普通にショッピングセンターかなにかで売っているようなバッグだ。
「マスク外していいですか?」
 ガヤがそう聞いて来た。
「ああ、もちろん。オレも外していい?」
「もちろんです。この狭い車の中に何時間も一緒にいるんだから、もしどっちか陽性だったら、マスクしてても移るでしょ」
「だよな」
 そう答えたが、ガヤから移されるのは仕方ないが、オレから移したくはないなと思った。
 ガヤはマスクを外して「イッヒー」と笑った。横に唇を開いて白い歯が見える。左の端に小さな八重歯が一つ有る。裸を見た訳でもないのに、一瞬ドキリとした。ガヤが口を閉じて表情を戻したとき、オレは自分の予想が間違っていなかったことに満足した。鼻も唇も美しい。親しさを表す表現として、マスクを取って話せる仲と言う表現が成り立つんじゃないかとオレは思った。オレもマスクを外し、ダッシュボードにそれを置いた。

 第一の目的地は、安房白浜の野島崎灯台。その途中、フラワーラインで花を眺めよう。そんな話に落ち着いた。  
 オレは房総半島の南端は館山かと思っていたんだが、野島崎が最南端なんだそうだ。連休明けの平日。大した渋滞も無く快適に走れた。『フラワーライン』と言う名前に惹かれて走ってみたが、長い道路全体をそう呼ぶのかと思ったら、館山から洲崎に向かう湾曲部分だけらしい。春には菜の花、今頃はマリーゴールドが咲いているらしいのだが、何故かオレはそれを見逃してしまったらしい。どこでスルーしたのか分からず、停車してナビを見ながら「もう一度戻って探そうか」と提案してみた。
「いい、野島崎行こう」
 あいみょんの『マリーゴールド』を口ずさんでいたので、きっと楽しみにしていたはずなんだよな。「ゴメン」とオレは言ったが、「モンダイないでーす」とガヤは手を横に振った。道は国道四百十号線と合流して海沿いを進む。既に太平洋側となっているはずなんだけど、意外に波は静かに見える。むしろ、休憩を取って浜辺から見た内房の方が潮騒の響きに迫力あったような気がした。
 
 途中喫茶店風レストランで食事を摂った。席に着くとガヤはラインやメールを一応チェックするが、ずっと見続けたりはしない。オレの姉貴なら、きっと、コスメグッズやファッションサイトを見まくっていて、ちゃんと話も聞いていないだろうと思った。

 野島崎に着き、灯台に向かう。近くには大きなホテルが三つほど、民宿も有る。
 海岸沿いに町の設置した駐車スペースが確保されていてなんと無料だ。有名観光地になると、高い駐車料金の民間駐車場が並んでいて呼び込みが煩かったりするんだが、鉄道の駅が無くバスも本数が少なくて不便なためか、安房白浜町は観光客の誘致に力を入れているように見える。灯台に続く半島も芝生の広場が有ったり、散策のための小路が整備されていたりするんだな。
 灯台に向かう道は小砂利の上に薄くアスファルトを掛けて、その上からブルーの塗料で着色したようななだらかな坂道だ。その坂道と並行するように十段ほどの階段が有って、小ぶりな松の林に囲まれた神社になっている。『厳島神社』と言う表示が有る。
『へぇー。厳島神社って広島だけに有る訳じゃないんだ』とオレは思った。
「ね、寄ってから灯台行こう」
とガヤに誘われたので、参拝とかには日頃関心の無いオレなんだけど、賛成した。
 安房の名工武田石翁が十九歳の時の作品と言う七福神の像が置かれていて、その中の弁財天、つまり弁天様だけが社内に祀られているんだと言う。男神六人は雨ざらし。
「逆差別、セクハラじゃない?」
とトボけた調子で。、オレはガヤに言った。
「日本って、本来そう言う国だったんじゃないですか? 天照大神の時代から……」
「神話だろう」
「女性を崇拝していたから、そう言う神話が生まれたんじゃないですか。卑弥呼みたいな女性が居て」
「そうかな。うん、今は女性は天皇になれないらしいけど、昔は女帝何人も居たものね」
「『日の本は女ならでは夜の明けぬ国』って言うでしょう」
「ああ、天岩戸ね」
「知ってるぅ」
「あの、一応オレ国文科なんだけど。文学部レスリング科って無いから……」
「知らなかったぁ」
とガヤの目が動く。
「絞め落とすぞ」と言って、オレがガヤの首に腕を回すと、ガヤはその指先を握った。

 矢鏃の石と言うのが置かれている。南房里見八犬伝の祖、里見義実が武運を祈願して「野島山」の三文字を記したと伝えられているそうだ。ガヤは背が高い。
 男同士みたいに肩を組んで、オレたちは灯台に向かった。

 灯台の入口には券売所が有って『設備維持のためにご協力ください』と謙虚なコメントが書いてある。入場料三百円を払ってまずは資料館を見る。明治維新の二年前にアメリカ、イギリス、フランス、オランダの四ヶ国と結んだ「江戸条約」によって建設することを約束した、八ヶ所の灯台の中の一つなのだそうだ。資料館を出ていよいよ灯台に昇る。段差の低い螺旋状の黄色い階段が続く。十段ごとに側面に数字が書かれている。ぐるぐると回りながら進む快感につい魅せられてオレの足は速くなっていたようだ。気が付くとガヤが遅れている。
「大丈夫?」と声を掛けると「大丈夫、大丈夫」と笑って答が帰ってきて来た。追い着くまで少し待った。浅い螺旋階段が七十七段。辿り着いたフロアーからは梯子のように急な鉄製の階段が天井に開いた穴に向かって突き立っている。昇り切るとそのフロアーからももう一つ鉄の階段が伸びている。鉄の階段は十二段づつ二つで、合計二十四段有った。
 手を差し伸べて引いてやると、登って来たガヤの息が上がっていた。オレは笑いながら「本当に大丈夫か?」と聞いたが、ガヤもピースサインをして目で笑った。
 車を下りるときは、当然二人ともマスクを付ける。呼吸が乱れたのはマスクのせいだとそのときオレは思った。スポーツをやっている人間の肺とそうでない人の肺は違うもんだなと思ったのだ。

 灯台から下りて芝生の有る広場に戻り、自然のままカンナを掛けていない木製のベンチで、オレたちは休んだ。
 海猫ではなく、たくさんのトンビが舞っている。風を捉えてグライダーのように優雅に滑空するものもいれば、翼一つ動かさずかなりのスピードで一直線に飛んで行くものも居る。上から下に、右から左に互いに行き違いながら戯れているかのようだ。
 ピーヒョロヒョロ、ピーヒョロヒョロとのどかに鳴くのがトンビだと思っていた。ところが、その中にビッヒッピ、ビッヒッピと、まるで、神輿か山車を誘導するように鳴くものも混じっている。違う種類の鳥が混じっているのかと思ったが、トンビしか見えない。

 ガヤにも話し掛けず、オレは何故かトンピを眺めていた。立ち上がって周りを見渡していたガヤが「面白ーい」と言った。
「あそこにも、あそこにも、ほらあそこにも、ちゃんと一羽づつ止まってる」
 そう言えば、飛び回っている数が減ったなとは思っていた。見ると、広場の周りに点々と有る。食堂や土産物屋の屋根に、トンビは律儀に一羽づつ止まってるのだ。
「うわっ、スッゲェ。縄張りでもあんのかね」
とオレは言った。
「ほら、あそこだけ二羽止まってる」
と一軒の食堂の屋根をガヤが指差す。
「ホントだ。でも、両脇に離れて止まってるよ。ソーシャルディスタンス保ってるのかな」
「まさか。でもそうだったら面白い」
とガヤは、イッヒッヒではなく普通に笑った。

 しばらくそうしていたけど、
「房総半島最南端の碑、見に行こう」
とガヤが言ったので、散歩道を辿って先端に向かって歩いた。
 碑と灯台がほぼ一直線に入る位置にガヤを立たせた。
「マスク取って」
と言うオレの要望にガヤはすぐに答えてくれた。角度を変えながら、オレはスマホで何枚もガヤの写真を撮った。そして、だんだん近付いて行って、更にアップにしてガヤの顔を撮る。
「も、ヤダー」
 そう言ってガヤは笑いながら遂に逃げ出したんだ。
 
 体調を崩したと言って神戸の実家に帰ったのは、それから一週間後の事だった。
『まさかコロナでは……』
 もしオレが感染していてカヤに移したとしたら、そう思ってすぐにPCR検査を受けた。幸いオレは陰性だった。
 妹と一緒に撮った写真がラインで送られてきた。
「へへっ。コロナじゃないよーっ」
 そうコメントが付いてる。安心した。
 後から知ったところでは、その翌日入院したそうだ。二週間後、容態が急変して命を落としたという報告がガヤの妹から届いた。
 子供の頃から病気がちで、小児喘息が大人になっても治っていなかったという。
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