第1話

文字数 3,915文字

 最近、ステイホーム期間中で試合の報道がない分、世界中の代表チームやクラブ、リーグでの「歴代ベストイレブン」の企画記事をよく目にする。選考基準は人それぞれだが、選んだ理由やエピソードを読んでいると選手や記者の人たちのサッカー観が分かり面白い。

 何を隠そう僕は、若干(かなり?)の物好きで、ベストイレブンを作るのが三度の飯より好きだ。現在の試合を観るだけでなく過去の映像もネットで漁り、11人をノートに書きだすと止まらない。家に3冊ほどの「ベストイレブン帳」がある。そこに書いてあるのは「日本代表歴代ベストイレブン」、「国内外生まれ年ごとベストイレブン」、「バルセロナのカンテラ出身ベストイレブン」など数十種類に及ぶ。当然「Jリーグベストイレブン」もワクワクするお題の一つである。

 しかし、このご時世が理由でどうしても完成させることができないベストイレブンがある。正直このベストイレブンを作る魅力を思えば、映像で名プレーを辿ることが少し味気なくなってしまう。
 それは「実際にスタジアムで観たベストイレブン」だ。一番完成させたいにも関わらず、コロナによる各国リーグ延期でそれが困難になってしまっている。

「サッカーなんてテレビでもスマホでも観られるじゃん」という人の85パーセント以上の人は、スタジアムでサッカー観戦をしたことがないのだと僕は断言できる。それくらい、生で観るサッカーの試合は面白く選手の凄さを体感できる。最後に観た試合は去年のJ2後半戦、水戸ホーリーホック対愛媛FCだ。ホーリーホックがJ1昇格争いをしていたこともあり、レベルが高く白熱した試合だった。サッカーを生で観る楽しみを思い出した機会でもある。

 一本のロングフィードやサイドチェンジを見るたびにウットリしてしまったのだ。ボールがグーンと伸びていく軌道は、選手の技術をこれでもかと見せつけてくる。プロの巧みさはテレビでは完全には分からないのだと改めて思った。また、五輪代表の親善試合に合流直前だった小川航基がPKを決めた瞬間はスタジアムがどっと沸いた。思わず僕もはしゃぎすぎて、チケットをくれた街クラブでコーチをしている友人にたしなめられた。テレビではなかなかこう言った興奮は味わえない。愛媛FCで注目していた神谷優太のドリブルスキルも観られた。ホーリーホックの勝利と両チームの五輪世代を生で観られて嬉しかった。

 そして今までにも、多くのインパクトをスタジアムで受けてきた。

 初めてJリーグを観に行ったのは、2003年、7月5日の鹿島アントラーズ対ジュビロ磐田戦。ここまではっきりと断定できるのは、柳沢敦がサンプドリアに移籍する直前の試合だったからだ。両親と少年団の友人(のちのさっき出てきた街クラブコーチ)と僕の4人で観に行った。なぜこの試合だったかというと、僕と友人が鹿島アントラーズを観たかった、だけではないらしい。母親がゴンこと中山雅史を好きで、ジュビロが鹿島スタジアムに乗り込んでくれば観られるのでは、という想いもあったらしい。
 ゴン不出場により母の願いは叶わなかったものの、アントラーズは5-2の圧勝。柳沢は2ゴールを決め皆に見送られイタリアに旅立った。でも僕がその時一番印象的だったのはダイビングヘッドを決めた鈴木隆行だ。当時から近視だった僕は、裸眼ではなかなか試合が見えづらく、時おり双眼鏡で試合を観ていた。そしてちょうどゴール前を観た時に鈴木が飛び込む横顔がばっちり見え、双眼鏡を離した直後スタジアムは歓声でいっぱいになった。あの時の試合というと、僕は今でも鈴木の鬼気迫る横顔を思い出す。その後も何度となく日本サッカーを救うあの表情が、僕のスタジアム初体験で真っ先に思い浮かぶ光景だ。

 新たな日本代表選手が発掘された試合に立ち会えた思い出もある。高橋秀人のことだ。父親が同僚の方にFUJI XEROX SUPER CUPのチケットを二枚貰い、妹と僕で観に行った。2012年のことだ。かなりいい席に座ることが出来て、一番高い観覧席に当時の日本代表監督・ザッケローニがいるのが見えた。
 FC東京のボランチで先発した高橋は守っては相手の攻撃を摘み、攻めては華麗なパスでゲームメイクをしていた。その動きはスタジアムで観るからこそより際立っており、妹と「ザックがF東の4番(高橋の背番号)、呼ぶかもしれないね」と話した。そのすぐ後の日本代表メンバーに高橋秀人の名があった時はとても嬉しかった。その後、ザックジャパンで高橋が出場機会を得ることはあまりなかったが、今でも彼の動向は追ってしまう。特別な選手であることに間違いはない。

 そして今なお輝き続ける天才、中村俊輔の衝撃は忘れられない。それは横浜の祖母の家に遊びに行った時にチケットを取っておいて観に行った試合だ。記憶が確かなら2013年のことなので、俊輔はそのシーズン後に2度目のJリーグMVPを獲得しているはずだ。
 彼の何が凄かったか。ドリブル、パス、シュートどれもだったが、一番鮮明なのはボールタッチだ。彼がボールを受ける。囲まれる。ちょん、ちょん、ちょん、ちょんとボールを左右交互に足の内側で触る。この「ちょん、ちょん、ちょん、ちょん」のインパクトが忘れられない。ダブルタッチ気味に軽く何回かボールに触れている。ただそれだけなのに、何だか聖なるものを見たような気がした。サッカーの神様が空から俊輔を照らしていて、背番号25のレフティがキラキラ光っているように見えたのだ。すごく抽象的だけれど、この不思議な感覚は後にも先にもこの時の俊輔だけだ。それに匹敵するボールタッチにお目にかかれたのは、強いて挙げたとしてもテレビでジダンとイニエスタを観た時くらいしかない。どうにかしてイニエスタをスタジアムで観たいと思ったのもこの時からだった。

 二十歳を過ぎてアントラーズ戦を観た時には、自分と同年代の選手がいた。大迫勇也と柴崎岳。この二人が、黄金世代(小笠原満男、中田浩二、本山雅志、曽ヶ端準)のバトンを継ぎ始めていた。これも確か2013年の秋頃だ。僕と同い年の柴崎は、すでに我らが地元のサッカー少年皆が憧れる名門のキャプテンだった。
 そこでの大迫と柴崎は素晴らしかった。「半端ない」という言葉をすぐ使う人を僕は冷ややかに見ていたけど、それもやむなしと思ったものだ。柴崎は何度もスプリントして決定的なパスを送り、大迫はキーパーをかわしてゴールネットに流し込んだ。大迫が相手キーパーを手玉に取ったこと、試合終了後に近くにいたサポーターが「本当に海外行っちゃうかもなぁ」と嘆いていたことはスコアや対戦相手を差し置いて強烈に残っている。大迫はこの頃、ドイツ移籍の噂があり、数か月後に本当に海を渡ったのである。試合後ゴール裏に選手が来た時、僕が当時から大好きだった柴崎に「ガクー!」と叫んだ直後に「オーサコ!」コールが起きてかき消されたこともあった。なんにせよ、どちらも当時から素晴らしい選手だった。

 他にも、いくつか記憶がある。セレッソ対レッズで観た原口元気と南野拓実の粗削りながら才能のきらめくドリブル。そして扇原貴宏の正確なプレースキックなどだ。他にも南アフリカワールドカップ得点王のフォルランがいて、彼がコーナーキックを蹴ったところをガラケーで撮った写真が残っている。

 しかし、悲しいかな。大学生の頃に各クラブの試合を観た時期を別にすれば、あまり僕はJリーグの試合に行く時間を作れなかった。これは忙しさもあったが、自分の怠慢がもたらした結果で悔やまれる。チケットを取りスタジアムに行くのを妥協して、ネットで気軽にプレー集などを観るようになってしまった。それに加え、やっと時間が取れた頃の2年前にバセドウ病に罹り、それが治った今年に念願のイニエスタ観戦構想を名古屋に住む友人と考えていた矢先のコロナである。それにより当然、各ポジションに記憶に残る選手を並べ、ベストイレブンを作るほど選手が浮かばない。テレビやネットで観たスターによるベストイレブンはいつでも作れる。それも僕にとっては面白い。でも、スタジアムの魔力を知っている以上は全ポジションに俊輔や大迫、高橋のような自分の眼で観た思い入れのあるスターでベストイレブンを作ってみたいのである。サッカー観戦歴数十年の記者さんやライターさんのベストイレブン記事で読むたびに、羨ましくて仕方ない!どんなに過去の映像で振り返っても、自分の目で観る選手の動きやスタジアムの雰囲気には及ばない。

 だから僕は、Jリーグが再開したら、いろんなクラブのいろんなスタジアムに行きたい。そしてたくさんの選手を観るのである。身体に差しさわりがない程度で良い、仕事に差し支えない程度で良いから、もっとサッカーをスタジアムで観たいのだ。
 そして、名前が挙がらないどころか、誰にしようか迷うくらいのJリーグベストイレブンを何十年もかけて作り続けたい。スタジアムで観る選手たちのスーパープレーは、その記憶が過去になっても簡単には色褪せないと思う。そこが映像で観るサッカーとの最大の違いだと思う。そうやって作るベストイレブンは、どんな11人よりも鮮度抜群なはずだ。そして、定期的にスタジアムに行くことで常に自分にとってのサッカーを更新したい。
 自分のライフワークを綴る「ベストイレブン帳」の「スタジアム生観戦ベストイレブン」の欄はまだ余白が多くもどかしい。早くこのページを埋めることのできる日が近づくことが、僕の切なる願いである。
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