文字数 2,851文字

 忌まわしい出来事から数年の月日が流れた。穏やかな日差しの中、とある少女はうんと
背伸びをした。彼女の名はヨシノ。まっすぐな黒髪が風に遊ばれふわりと舞う。ヨシノは
畑作業をしている親の元へと駆け寄り、大地の恵みがたくさん詰まった籠をひょいと持ち
上げた。
「お母さん。手伝うわよ」
「あら、ありがとね。今日は何を作ろうかね」
「今日は私が作るわよ。獲れた野菜からだと……煮物かしら?」
「また煮物かい?でもまぁ、ヨシノの作る煮物は美味しいから嬉しいわよ」
「楽しみにしててね」
 献立の話をしながら帰路へ着く二人。その時、生温い風が突然二人を襲った。
「きゃあ!な、なに?」
「なんか嫌らしい風だったね」
 二人に怪我はなかったが、なんとも嫌な風だった。ヨシノはなんとなくだが嫌な予感が
していた。
 というのも、畑から自宅までの間に石でできた小さな祠がある。ヨシノが物心つく頃に
は既にあって、そこからたまに鬼のようなうめき声が聞こえたのだ。それを母親に話して
も信じてもらえなくて泣き出した時があった。
 大きくなった今でも、数日に一回の割合でうめき声のようなものが聞こえる。母親には
もう聞こえないから大丈夫と言ったものの、やはり気味が悪い。
「か、母さん。早く帰ろ」
「そ……そうね」
 気持ち急ぎ足で自宅へと向かっていく。

 翌日。今日も気持ちの良い青空が広がっている。こう清々しいと昨日のことが嘘だと思
えるくらいだった。
「さぁ。私も畑作業手伝うわよ」
 道具を担ぎ、自分たちの所有する畑へと向かう。さて、今日は何を植えようか……。倉
庫から種を選んでいると、ほんのわずかだが何かが聞こえた。
「……なに?また……?」
 耳を澄ますと、昨日のあのうめき声がまた聞こえた。それも徐々に大きく聞こえるよう
になっていた。
「なんで……?祠まではそんなに近くないのに」
 怖くなったヨシノはさっさと種を選んで、自分の畑に駆け足で向かった。

 畑を耕す時も、種を蒔く時も、水をやる時も心ここにあらずの状態だった。心配になっ
た母親はヨシノに帰るよう促した。
「うん……もうちょっとだけいい?」
 本当は三種類くらい準備しておきたかったが、この日は一種類のみだけ済ませて帰るこ
とにした。
 いつもと同じ道を通る……。そのことに恐怖を覚えたヨシノは、少し遠回りをして帰る
ことにした。そうしたら、あの祠は通らなくてすむ。道具を積んだ籠を担ぎ、ヨシノは先
に家路についた。
「違う道なら……大丈夫よね」
 すっかり怯えてしまったヨシノは、自分に大丈夫と何度も言い聞かせた。
「ダメよ。楽しいことを考えていれば平気よ」
 楽しいこと……楽しいこと。思い出しながら歩を進めていくヨシノ。なるべくネガティ
ブなこと考えないようにしているうちに、無事帰宅。ほっと胸をなでおろし、荷物を倉庫へ戻した。
 その日の夕飯。あまりに元気のないヨシノの姿を見た母親は声をかけた。
「ヨシノ。あんたどうしたんだい?最近、なにかあったのかい?」
 話そうかどうか迷った。なぜなら前に笑い話にされたことがあるから。でも、これをず
っと抱えていくのは辛かったから、笑われるのを覚悟で母に話した。
「あ……あのね。笑わないで聞いてほしいんだけど……」
「うん。どうしたんだい」
「昨日からなんだけど……何かうめき声のようなものが聞こえててね。今日もずっと聞こ
えてて怖くて……それで」
「あんたにも聞こえたのかい」
 母親から帰ってきた言葉は意外な言葉だった。それにあんたにも聞こえたとは……。
「前に話したとき、お母さん……笑っていたから、私だけかと思っていたけど」
「……ヨシノ。ちょっと待っててね」
 そう言って母親は台所へ行き、お茶を入れ直してくれた。まるで熱いお茶で正気を保っ
ていなさいと言わんばかり。
「……ヨシノ。ちょっとばかり話が長くなるかもしれないけど、心して聞いてね」
 ふうと一呼吸おいた母親の口がゆっくりと開いた。
「まずはこのメモを読んで欲しいんだけどね」
 ヨシノは母親から一枚のメモを受け取った。結構年月が経ってるからか、文字が滲んで
いたり所々破れていた。
「お母さん、これは?」
「この集落が建て直されたとき、落ちていたそうなんだって」
「書いた人は……」
「……」
 母親の沈黙が全てを物語っていた。書いた人の行方は誰も知らない。
「それで、この刀って……」
「私たちの家の近くに祠があるでしょ。その中に封印されているのよ」
 これで合点がいった。何かのうめき声はその刀から発せられているというのが自然だと
いうこと。だが、なぜ刀からうめき声が……。
「私も聞いた話だから確証はないんだけど。どうやら、その刀には鬼が憑いているんだっ
て」
鬼……。その一言で背筋がぞっとした。
「な……なんで、そんな刀がうちの家の近くの祠にあるの?」
「刀を持ってはいけないって書いてあったわよね。だから、その刀を動かさずに封印する
にはそうするしかなかったのよ……そして、その家にたまたま住んでしまったの」
「確かに書いてあるけど……この刀にはどんな秘密があるの?私にうめき声が聞こえるの
と何か関係があるの?」
「うめき声が聞こえるのはあなただけじゃないわ……私にも聞こえるの。私たちだけじゃ
ない。この集落の女性全員聞こえるって話よ。それとね……」
母親はお茶を口に含み、気持ちを落ち着かせた。どうやらとても言いにくそうだった。
「……あのうめき声を聞いて……発狂した子がいるの。そしてその後……家にあった包丁
で家族を刺そうとしたの」
「え……そ、そんな……。でも、お母さん。私がお母さんにあの声が聞こえるって言った
とき、そんな声聞こえないって言ってたわよね。あれは……なんで」
「それはあなたを怖がらせないためよ」
 ヨシノは段々怖くなり、呼吸が少しずつ早くなっているのに気付いた。心臓の音もすぐ
耳元でなっているように聞こえる。口の中がカラカラに乾く……。ヨシノは気付けの念を
込めてお茶を含んだ。少し渋めに入れてくれたのか、おかげで落ち着くことができた。
「はぁ……。お母さん。さっき、村の女性全員に聞こえるって言ったわよね。男の人には
……聞こえてないの?」
「……そうみたい。私だって他の人に聞いてみたけど、そんな声は聞いたことがないって」
「……どうなってるのよ……」
「怖いのは私だってそう。ヨシノ。あなたは一人じゃないわ。寝る前に変な話してごめん
ね」
「ううん。話してくれてありがとう。おやすみなさい」
 ヨシノは湯呑を流しに持っていき、軽く洗った。水切り桶に置いて就寝の準備を整えた。
 布団の中に入ったヨシノは拭えない恐怖とにらみ合っていた。
「私だけじゃない……か。ちょっと、あいつに相談してみようかな」
 ぼそりとつぶやき、変なことを思いださないうちに体を休めた。
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