第1話

文字数 1,994文字

「まずロウソクに火を点けて」
「次にお線香をそっと折れないように、一本だけ取り出して」
「それを三等分に折ってね。きちんと三等分でなくていいよ、大体で」
「そしてロウソクからお線香に火をもらって、線香立てに立ててね」
娘が幼かった頃は、とりあえず手を合わせることだけを教えていたが、中学生になった今は、マッチでロウソクに火をつけることもお手のもの。そんなところにふと成長を感じる。ただ、短くしたお線香はすぐに線香立てに立てないと、指が燃えそうになるので、ハラハラする。そして手を合わせ、祖父と祖母、それから以前の愛犬…懐かしい人々を思い浮かべながら
「チーン、チーン」
と、おりんを二回、鳴らす。
私は、この所作をずっとやり続けてきた。きっかけは、祖母との二人暮らし。

大学一回生の夏、大好きだった祖父が亡くなった。そして祖母はマンションで、一人ぼっちになった。気丈で気ままな性格のおばあちゃんだけど、寂しいだろうから、と、当時、家族で一番時間が自由になる私が、祖母の家に居候することになった。とはいえ、スープの冷めない距離。いや、ピッツァも熱々で運べるくらい、実家とマンションは近く、それまでも頻繁に訪ねていたから祖母の生活はだいたいわかってる気でいた。ところが同居すると、知らなかったことが色々と見えてきた。例えば、ソースや醤油などの調味料の蓋に、何か三桁の数字がマジックペンで書いてある。聞くと、購入した時の金額だそうで「その値段くらいか、安い時に買う」のがモットーだと言う。すごい!主婦の鏡!と思ったが、実のところ、買い物の時にその金額を覚えているわけでもなく、使い切ったら、見つけ次第、買っていたのには笑ったけれど。そしてなんでも自分でしないと気のすまない性分なのに、スーパーのレジでは、会計後、押し車に詰めるのを毎回、手伝ってもらって
「お世話様でした」
と深々一礼。上品なおばあちゃま、に変身するのだ。

でも知らないことが見えたのは、お互い様だったはず。祖母は祖母で、素直でいい子だったはずの孫の素行に呆れたはずだ。おばあちゃんは孫に甘いだろうと門限を破ったり、祖母が寝静まってから、こっそり出かけたり…。私はお手伝い役として同居していたつもりだけれど、祖母にしてみたら、孫に面倒をみてもらうという感覚はなかったようだ。それどころか、大学生になり、気の緩んだ孫の目付役を仰せつかったとでも思っていたのだろうか。深夜、こっそり帰ると、玄関で待ち構えていて、こっぴどく叱られた。
「寝といてくれたらいいやん」
「そんなん、心配で眠れるわけないわ」
生まれて初めて、80代の祖母と、本気で口喧嘩をした。でも、しばらくやりやった後、おもむろにお仏壇の前に座って、手を合わせ
「無事に帰ってきてくれてよかった。ありがとうございます」
と頭を下げる祖母に、完敗だった。
3LDKのマンションで、お仏壇が置いてあった四畳半だけなんとなく空気が違っていた。長年のお線香の香りが、土壁に染み入っていたからかもしれない。お線香を立てて、手を合わせ、読経をするのが祖母の日課だった。そのたび、横に座っている私に
「ロウソクの火もお線香の火も、吹いて消したらあかんよ」
と必ず。そして続けて
「お線香は長いまま火をつけたら絶対あかん」
と、一本を三等分してロウソクから火をつけた。
「こうやって短くしておいたらお経読んでる間に、消えるやろ。でも消えたんを必ず確かめなあかん。お線香からの火事は怖いんや。こんな小さな火やけど、よう火事になるねん。ご先祖様が一番悲しむことやから、絶対、気ぃつけて」
と。数ヶ月、奇妙な同居生活を送った後、実家での同居が決まった。その後、社会人になった私は、家にいる時間が減ってしまったが、祖母の部屋に置かれた仏壇の前に、時間があるときは一緒に座った。

三本の矢という毛利家の家訓には程遠いかもしれないけれど、祖母のこの「三本のお線香」の言い伝えと一連の所作を私は引き継がなきゃならない。それが同居して祖母と暮らした意味ではないか、と思うようになり、まさに今、機会を見つけては、娘に伝授しているところである。
そうそう私の父は、父にとって父親である、私の祖父が長年やっていたことを、引き継いでいる。それは、お仏壇から下げてきたお仏飯を、庭にくるスズメに振るまうことだ。乾燥して硬くなってしまったご飯は水でふやかして、自作の餌台に盛り付ける。
「じぃじ、今日はお仏飯、ないの?」
「炊き込みご飯だったからなあ」
「スズメは炊き込みも好きそうやけど。なんで仏さんにはダメなんかな?」
息子と父の会話を聞きながら、こっちの家訓は息子が引き継いでくれるだろう、確信し、思わずにやける私。さぁ庭の花を数本手折って供えよう。
「買ってきた仏さんの花より、庭の花を供えたほうがおじいちゃん、嬉しいはずや」
と言ってた、祖母の笑顔を思い出しながら。
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