第1話

文字数 3,433文字

バレンタインデーの翌日だった。
一人の生徒が死んだ。

自殺だった。

なんで、と周りの子達は言った。
その答えを、クラスメイトの一人である僕が知るはずもなかった。

一度だけ、刑事らしき人が話を聞きにきた。
最後に彼と会って言葉を交わしたのは、何の因果か僕だったようだ。

何か、変わった様子なかったかな。

そう聞かれても困った。
バレンタインデーなんて一部の男子生徒はネタのように不幸ぶったりするけれど、彼はそれとは無縁だった。

彼は背も高かったし、成績も良かったし、男女分け隔てなく友人が多かったので、それはそれはもてた。
現に、僕が教室で会った時だって、机の上を箱で賑わしていたのだ。

(――どうした?)



「どうした?」
はっと振り向いて、彼は僕の姿を認めた。瞬間、気のせいか少しだけ気が緩んだように見えた。
「なんだ、岩下君か」
「どうした、明かりもつけずにぼーっとして」
「え? あー、帰ろうと思って、荷物取りに来たんだけど」
困った顔で机の中から出したであろう、箱の山を見ている。思わず、笑ってしまった。
「ひょっとして貰い過ぎってやつか」
「うん。思ったよりかさばって、カバンに入りきらないんだ」
申し訳なさそうに手元の箱をいじっている。少しだけ包みをほどいた箱がいくつかあった。
「ちょっとだけ食べたりしたけど、さすがに全部はなぁ」
「いや、それは無理だろ。気分悪くなったら辛いから、やめとけ」
「そう?」
とぼけた調子で首をかしげる、一風変わったテンションの持ち主。
クラスの中で少し浮いた感のある僕に対しても、彼は態度を変えたことがない。
だから僕も、彼とはあまり警戒することなく話していた。「貰い過ぎるのも大変だな」
「いや、でも悪くはないよ。貰い物ってさ、自分じゃ絶対に買わないようなものが転がり込んできたりして、予想外の嬉しさがある」
「え? チョコレートだろ、それ」
「うーん、チョコじゃないものもあるよ」
「マシュマロとか? あ、まさかブランド物とか?」
「ふふ、送った方は案外、そんなに喜ぶと思っていないかもしれないけれどね」
「え、そうなのか。じゃあ、送った方は嬉しいだろうな。そんなに喜んでもらえるなんて」
「さぁ、どうだろうなぁ」
彼はなんとも形容しがたい笑みを浮かべた。嬉しそうで、けれども何だか申し訳なさそうな。
僕は、それが妙に引っかかったけれど、彼の口が重いので、それ以上は追求しなかった。
努めて明るい声で、話題を変える。
「それにしても他の奴らと一緒じゃないのか。珍しい」
「いや、そうでもないよ。生徒会ある日は、いつも一人だから」
「あ、そうだったのか」
「そういえば岩下君は、いつも一人で帰っているよね。別に友達いない訳じゃないのに」
「僕は部活の関係。二年の男子は一人しかいないから」
他愛もない会話をしながら、僕も机の中を確かめた。
予想通り、ゼロ。泣くな、自分。
そんな僕の心境を知ってか知らずか、彼はああ、と屈託のない声で言う。

「料理部だっけ?」
「……ああ」
憮然とする。
自分で決めたこととはいえ、僕がクラスから浮いた理由はこれだ。
仕方ないだろう。やりたくても家でやれる環境がないんだから。
自分の中では色々理由はついていたが、高校生男子に求められているものからは遠いことは分かっていたので、必要以上に言い訳はしない。
しないが、突かれると痛いところにはなった。
「君もどうだ? 確か、帰宅部だったよな」
君ならもてるよ、といったら、笑って返された。
「興味ないなぁ」
「それもそうか」
「大体、岩下君はもててるの?」
「……聞くな」
僕も帰り支度をしながら、ロッカーを開け、袋を取り出す。
「ほら」
「え?」
無造作につき出した紙袋に、彼はきょとんとしていた。
「紙袋、一枚余ってるからやるよ。鞄に入りきらないんだろ」
だから持って帰って食えよ。
そう言った僕に、彼は一瞬だけ、ほんの一瞬だけ表情を消し、そして嬉しそうに笑っていった。
「ありがとう」

それが、僕と彼との間の、そして彼が生涯最後に交わした言葉だったのだ。



話すだけ話して、僕は教室に戻ってきた。
僕に限らず、色々な人間が刑事から話を聞かれたようだった。

彼の友人達は泣きながら、人によっては茫然としながら、とりとめもなく色々なことを話している。
一度もお弁当を持ってきたことがなく、毎日購買で買ったものを食べていたこと。
夕食を家で取る習慣がなさそうだったこと。
一緒に暮らしているはずなのに、彼の会話に両親の影がちらついたことがなかったこと。
彼の家がどこにあるのか、最寄り駅すら誰も知らなかったこと。

そういえば、僕も両親の話は聞いたことがなかった。
確かに高校生ともなると、好んで親の話などしないが、出される食事のこととか買ってもらえるものとか、お小遣いのこととか、怒られること一つ取ったって、何となく話題にはのぼるものだ。
彼には、それがなかった。
単純に共稼ぎで両親が忙しい人だったのかもしれないし、片親でやはり留守がちだったのかもしれない。
だが、亡くなったのが深夜だったのに、最後に会話をしたのが僕だった時点で、彼と家族の縁は薄かったのかもしれなかった。

ぼんやりと話を聞いていると、誰かが僕の横に立った。見ると、同じクラスの男子生徒と女子生徒が二人、青い顔をして僕を見ていた。同じクラスではあるが、名前はうろ覚えだ。あまり親しくはないし、そんなに目立つ生徒でもない。
ちょっといいか、と言われ、怪訝に思いながらも席を立つ。

学年はちょっとした騒ぎで、完全に機能がマヒしていた。自習のクラスがほとんどで、一部の生徒は廊下にたむろしている。
そんな一団の横をすり抜けながら、人気のない階段の踊り場までやってきた。
さすがに、少し警戒する。
「……何だよ」
そんなに親しい訳でもない、男子生徒の方が、もごもごと言い訳をしながら、尋ねてきた。
「アイツが死ぬ前に、最後に会ったのが岩下だって聞いて」
「あの、さ」
男の方が頼りにならないと見たのか、女子生徒の方が口を開いた。
「岩下君、彼がこういう包装の箱を持ってたの、見た?」
彼女が出してきた包装紙を見て、僕は首を傾げた。
かなり奇抜な、何となく視線をやってしまいそうな柄の包装紙。
「いいや?」
机の上にもなかったし、彼がほどいた中にもなかった。
僕の返事を聞いて、彼らは心底ほっとしたような顔をした。
「そ、そっかぁ……」
「やっぱりオレらのじゃないんだよ、あいつの飲んだ薬」
「ちょっと待てよ」
僕の出した声に、彼らは怯えたように身を縮めた。しまった、という顔をして、男の方が大きく手を振る。女の方が結局根が強かなのか、一瞬だけ男を馬鹿にしたように睨んで、そして諦めたように神妙な顔を作った。

「あ、いや、その、さ」
「お前ら……」
僕の声が、ひどく冷えるのが自分でも分かった。
怒りともつかない、なんだかひどく沈んだ感情が僕を支配する。
「あいつに毒物を贈ったのは、お前らか」
男ががっくりとうなだれ、そして同情をひくように女が泣き真似を始めた。
「……本当に飲んじゃうとは、思わなかったんだよ」
「だって間違いようがないもの。ちゃんと瓶のラベルに毒物って書いてあって、気づかないなんてことは」

(ああ、そうか――)

僕はようやく、気づいた。前日の会話で彼が言っていた、予想外の贈り物の正体に。
「気づかなかった訳じゃないと思う」
「え?」
「アイツは、お前らとは違うよ。そんな間抜けじゃない」
自分でも恐ろしいくらい、感情のこもらない声が出た。
「間違って飲んだんじゃない。遺書はなかったみたいだけど、自殺は自殺なんだろう」
「そう思うのか?」
「ああ」
そうか、という彼らは納得したわけでもなさそうだったが、それでもほっとした顔をしていた。
言うほど過失を感じていた訳でもないのだろうが、それでも不安だったのだろう。
別に、彼らを安心させてやるつもりもなかったが、その思い違いをそのままにしておくのも何か違う気がした。
少し申し訳なさそうな、彼の笑みを思い出す。

――さぁ、どうだろうなぁ。

そそくさと去っていく彼らを見つめ、僕は階段の踊り場にある窓に手をかけた。
そうだ、そうだった。
彼はたまに、この窓から外を見ていた。
そこを僕が何気なしに声をかけ、わずかな交流が始まったのだ。

「――君は」

ずっと死にたかったのか。

ぽつりと、手元に何かが落ちた。
にじんだ視界に僕は、たまらずしゃがみ込んだ。

バレンタインデーの翌日だった。
彼は多くの贈り物の中からその一つ、たった一つの贈り物に、死という礼を返して逝ったのだ。
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