夏祭りの日、離れて過ごした時間の距離

文字数 1,995文字

提灯の(あか)りが遠くに灯る。その燈りは、僕らの陰を仄かに砂浜に落として、海面では蛍が遊んでいるかのように瞬いてみせた。

猫背の僕の俯いた視界には、桃色の浴衣が広がり、時折衣擦れの音が耳朶を打った。

「わあ、懐かしいっ!」

数年ぶりに帰省した彼女は、浴衣を海風に靡かせつつ腕を広げて、慣れない夏装束ながら砂浜を小走りした。

「何年ぶりや?」

僕はとぼけて頭を掻きながら尋ねる。

「四年だね」

彼女は大きな瞳を僕に向けて微笑んだ。僕はその瞳を受け止めきれずに、視線を逸らす。

「ほない、経ったか」
「うん」
「なら、就職か?」
「うん」
「まだ東京さ?」
「そうだよ」
「もう島には戻らんのけ?」

彼女は視線を海に逃して、質問には応えなかった。沈黙の渦中でも、彼女は砂浜を波際と平行に進み、腑に落ちない僕も後に続いた。しばらく間が空いた。

「そういえば、奈美の子、抱っこしてきたよ。ちょっと信じられなかったよ、友達に子供いるなんて」
「ああー。まあ、こっちじゃな。大体もう働いちゃるけ。大学じゃあ、そげな奴おらんじゃろ」
「まあね。なんかさ、私だけお子ちゃまな気がしちゃった」

彼女が俯くのが見えて、僕は思わず「んなことない!」と叫んだ。

「大学に行くなんざ、子供にゃ出来んて。立派じゃあ」

彼女は驚いて僕を見てから、呆気に取られた顔で沈黙し、それから儚げな笑みを浮かべる。

「優しいね」

僕は頬が紅潮するのを感じながら、「んなことねえ」と照れ隠しに頬をかいた。

砂浜を行くと大きな岩壁が近づいてくる。そこが砂浜の終点。そして、その岩壁の向こうに僕らの"秘密基地(シークレットベース)"があるのだった。

秘密基地までは、落海しない様に海際の岩壁を渡る必要があった。浴衣の彼女に、僕は「ほれ、乗れ」と言って、おぶってやろうとした。彼女は最初遠慮していたが、最後には僕の背中にしがみついた。

彼女の温かな体温と、艶めいた息遣いを身体中で感じて、胸の膨らみや、僕を締め付ける手足の女性特有の柔らかな質感は、まだそういう経験をしたことない僕から思考を奪った。

頭を真っ白にしながらも、なんとか四畳半程度の砂浜--幼き僕らの秘密基地に辿り着く。岩肌からピョンと砂浜に飛び移ると、二人分の体重を支えきれずに、僕は膝から崩れ落ちて、二人して砂浜に転がった。そして、彼女は吹き出した。

「やっぱり、重かったでしょ」
「そげなことなか」
「またあ、そうやって意地張ってさ」

そして、僕らは二人で笑った。それからしばらく、明るい星空を見つつ沈黙した。


ふと、彼女が起き上がるような砂の噛む音がして、僕が目を遣ろうとしたとき--。

「ねえ、アキ。私を抱いて」

彼女はそう吐きながら僕に馬乗りになった。状況を理解出来ずにいる僕は、ただ星空を背景に黒い影と化した彼女を見る。でも、その表情は見えない。

「お願い。私を抱いて。こんな私を愛してるって言って。幸せにするって言って。そして、赤ちゃん作ろ?」
「な、なにふざけちょっとか」

僕はそれを真に受ける度胸もなくおどけた。彼女の指先が這うようにして僕の股間にのびる。

「や、やめーや」

そう言いながらも僕は本気で抵抗するわけでもなかった。これまで彼女と結ばれたいと願ってきたから。本気なのかどうか気にする僕が見つめる中、彼女は独白する。

「私ね、あっちで妊娠したの」
「でもね、お互い学生だからって堕した」

僕は金槌で殴られたような衝撃に襲われ、情報が耳から脳まで届かなくなった。

「私の夢は、幸せな家庭を築くことだったの。ずっと。こんな貧村じゃないところで」

好学家だと見做していた僕にとって、それは意外な告白だったが、漁業が主産業のこの島で女手一つで育った彼女を思えば、それは当然かもしれなかった。

「でも、奈美の子供を抱いてね。奈美も清太も幸せって言ってた。二人とも、うぅん、三人ともすごい幸せそうだった」
「そのとき分かったの」

静寂の中で落ち着いた海の寝息だけが僕らを包む。

「私にも同じ選択肢があったんだって」

「私は赤ちゃんを殺したんだ。産む選択肢をとらずに」

彼女は僕の下腹部を露出させて、その手で僕の陰茎を彼女のそこへと導こうとする。止めるなら、今しかない。頭ではそう分かっていた。

「ねえ、だからやり直させてよ、アキ」
「もう一度赤ちゃん作るの。今度は産む。だから、私を抱いて。愛している、幸せな家庭を築こうって言って」

「そう言ってよ、アキ!」

最後に悲痛な怒気を孕んだ声で彼女は叫んだ。僕はかける言葉も見付けられず、星空を見上げる。

「じゃないと…」

何かをひとりごちた彼女をよそに、僕は何も言えないまま一夜を過ごした。


数日後、砂浜を散歩していると、秘密基地へと延びる、誰かの二人分の足跡があった。僕らしか知らないはずのあの場所は、僕のものではなく、僕の知らない時間をもっていた。彼女と同じく。それが鈍い胸痛をもたらして、僕は砂浜に蹲り、何度も何度もあの夏祭りの日を想起するのだった。
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