第1話
文字数 1,999文字
窓から見える五月の夜空は、星ひとつ見えない、あいにくの雨模様だ。
レジで会計を済ませたお客さんが、エコバッグに商品をつめて、自動ドアから出ると、傘をさして歩いていくのが見える。わたしは、品出しをしていた手をとめて、ひとつため息をついた。家を出るまえにお天気アプリで確認したときは、雨マークなんてなかったのに。店内のBGMは、雨の日にそぐわない、人気アイドルグループの、爽やかな夏ソングがながれている。
わたしは、ドリンクコーナーのまえで缶ビールを手に持ったまま、暗澹 たる気持ちで、窓の外を見ていた。
「おーい、ちびのハル」と、うしろから、挨拶にしては少し棘のある言葉が聞こえた。
わたしはふりかえって、「チビは余計じゃない?」
「だって、二回呼んでも気づかなかったんだもん」
「アカネ……もしかして暇なの」
「どうして」
「昨日も来たじゃん」
「べつに、大学の帰りに寄ったってだけ」
暇ってことでしょ、それ。
中学からの友人であるアカネは、わたしがこのコンビニでバイトをはじめてからというもの、「帰り道だから」という理由で、よくわたしを冷やかしにくる。部活がいっしょで仲良くなったアカネとは、大学生になったいまでも、昔と変わらない関係がつづいている。
でも……。
「ハル、バイト何時までだっけ? おわったらいっしょに帰ろうよ」
「うん。二十二時までだから、ちょっと待っててもらうけど」
わたしは、台車のうえに積んだお酒のダンボールの中から、缶ビールを両手でとり、すばやく棚に並べる。
「大丈夫、外にいるから」
わたしは、窓をながれる雨水を見て、「傘いれてくれる? 来るときは降ってなかったから、持ってこなくて」
「いいけど、折りたたみだから、ちょっと窮屈 かもよ」
「大丈夫。わたし小柄だから」
アカネは、「たしかにね」といって笑うと、ドリンクコーナーから缶ビールを二本とって、レジのほうへ歩いていった。
二人でひとつの傘に入りながら、雨に濡れた国道沿いの道を歩く。昼間はわりと暖かかったのに、雨が降っただけでとたんに冷える。わたしは、うすでのパーカーを着てきた、夕方の自分を恨んだ。
「そういえば、ハル」と、アカネがなにか思いだしたように、「もう酒って飲んだ?」
「うん。でも、わたし……あんまり得意じゃないかも……」
つい一週間まえの、わたしの誕生日。晴れて二十歳になったわたしのために、家族でお祝いをしてくれるというので、ちょっといいイタリアンで食事をした。そのとき父に「飲んでみろ」といわれて飲んだワインは、ちっとも美味しくなかった。香りは大人っぽいけど、鼻にささるような、刺激のある感じで苦手だった。
「なーんだ、ハルと酒飲めるの楽しみにしてたのに」と、アカネは少し残念そうにいった。
「ノンアルなら飲めるかも」
わたしがそういうと、アカネは不意をつかれたように「そりゃそうだ」といって笑った。わたしより一足先に誕生日をむかえたアカネは、もうすでに酒豪になりつつある。アカネの将来の肝臓が、わたしは心配だ。
二人の家の分岐点 にさしかかったところで、アカネが、「ちょっと、持っててくれる」といってわたしに傘をわたすと、バッグをおろして、中から缶ビ-ルをとりだした。さっきコンビニで買ったやつだ。
「はいよ」
「うん?」
「ハルにあげる。飲んではやく慣れてよ。そんで居酒屋いこう」
「だけど……」わたしは少し困って、「学校の友達といったほうがいいんじゃない?」
「わたしが友達すくないの知ってるよね……。そうじゃなくて、ハルといっしょにいきたいの」
……そういわれたら。
わたしが受けとると、アカネは、彼女らしい温かみのある笑みをうかべた。
それからアカネはうしろを向くと、「じゃあ、また」といって歩きだした。
わたしは、自分が持っている傘に気づいて、「ちょっと、傘は」
「貸してあげるよ、もう小雨 だし。ハル、ちびだし」
わたしがチビなのは関係ないと思うけど、たしかに雨はさっきより弱まってきている。
あたりは暗く、雨に濡れた道路が、沿道 ぞいの少し頼りない街灯の光に照らされて、ぎらぎらとした光沢をおびている。わたしは、雨を浴びながら離れていくアカネの背中を見た。
アカネとはこれからも仲良しでいたい。けれど……もしもわたしが、自分の気持ちを、素直に伝えたら、きっと……。
目を閉じて、手に持っている缶ビールを、胸にそっとあてる。正直、お酒はすきじゃない。練習したところで、おいしく飲める自信もない。でも、わたしは……。
ゆっくり顔をあげると、遠くの曲がり角に、立ち止まってこちらを見ているアカネがいる。わたしと目があったのを確かめると、アカネはこちらに手をふった。
傘にあたる雨粒の不規則なリズムが、少し不安げな、わたしの心を揺さぶった。
ほんとは、アカネのことが……。
缶ビールをわきに挟 むと、わたしは、小さく手をふりかえした。
レジで会計を済ませたお客さんが、エコバッグに商品をつめて、自動ドアから出ると、傘をさして歩いていくのが見える。わたしは、品出しをしていた手をとめて、ひとつため息をついた。家を出るまえにお天気アプリで確認したときは、雨マークなんてなかったのに。店内のBGMは、雨の日にそぐわない、人気アイドルグループの、爽やかな夏ソングがながれている。
わたしは、ドリンクコーナーのまえで缶ビールを手に持ったまま、
「おーい、ちびのハル」と、うしろから、挨拶にしては少し棘のある言葉が聞こえた。
わたしはふりかえって、「チビは余計じゃない?」
「だって、二回呼んでも気づかなかったんだもん」
「アカネ……もしかして暇なの」
「どうして」
「昨日も来たじゃん」
「べつに、大学の帰りに寄ったってだけ」
暇ってことでしょ、それ。
中学からの友人であるアカネは、わたしがこのコンビニでバイトをはじめてからというもの、「帰り道だから」という理由で、よくわたしを冷やかしにくる。部活がいっしょで仲良くなったアカネとは、大学生になったいまでも、昔と変わらない関係がつづいている。
でも……。
「ハル、バイト何時までだっけ? おわったらいっしょに帰ろうよ」
「うん。二十二時までだから、ちょっと待っててもらうけど」
わたしは、台車のうえに積んだお酒のダンボールの中から、缶ビールを両手でとり、すばやく棚に並べる。
「大丈夫、外にいるから」
わたしは、窓をながれる雨水を見て、「傘いれてくれる? 来るときは降ってなかったから、持ってこなくて」
「いいけど、折りたたみだから、ちょっと
「大丈夫。わたし小柄だから」
アカネは、「たしかにね」といって笑うと、ドリンクコーナーから缶ビールを二本とって、レジのほうへ歩いていった。
二人でひとつの傘に入りながら、雨に濡れた国道沿いの道を歩く。昼間はわりと暖かかったのに、雨が降っただけでとたんに冷える。わたしは、うすでのパーカーを着てきた、夕方の自分を恨んだ。
「そういえば、ハル」と、アカネがなにか思いだしたように、「もう酒って飲んだ?」
「うん。でも、わたし……あんまり得意じゃないかも……」
つい一週間まえの、わたしの誕生日。晴れて二十歳になったわたしのために、家族でお祝いをしてくれるというので、ちょっといいイタリアンで食事をした。そのとき父に「飲んでみろ」といわれて飲んだワインは、ちっとも美味しくなかった。香りは大人っぽいけど、鼻にささるような、刺激のある感じで苦手だった。
「なーんだ、ハルと酒飲めるの楽しみにしてたのに」と、アカネは少し残念そうにいった。
「ノンアルなら飲めるかも」
わたしがそういうと、アカネは不意をつかれたように「そりゃそうだ」といって笑った。わたしより一足先に誕生日をむかえたアカネは、もうすでに酒豪になりつつある。アカネの将来の肝臓が、わたしは心配だ。
二人の家の
「はいよ」
「うん?」
「ハルにあげる。飲んではやく慣れてよ。そんで居酒屋いこう」
「だけど……」わたしは少し困って、「学校の友達といったほうがいいんじゃない?」
「わたしが友達すくないの知ってるよね……。そうじゃなくて、ハルといっしょにいきたいの」
……そういわれたら。
わたしが受けとると、アカネは、彼女らしい温かみのある笑みをうかべた。
それからアカネはうしろを向くと、「じゃあ、また」といって歩きだした。
わたしは、自分が持っている傘に気づいて、「ちょっと、傘は」
「貸してあげるよ、もう
わたしがチビなのは関係ないと思うけど、たしかに雨はさっきより弱まってきている。
あたりは暗く、雨に濡れた道路が、
アカネとはこれからも仲良しでいたい。けれど……もしもわたしが、自分の気持ちを、素直に伝えたら、きっと……。
目を閉じて、手に持っている缶ビールを、胸にそっとあてる。正直、お酒はすきじゃない。練習したところで、おいしく飲める自信もない。でも、わたしは……。
ゆっくり顔をあげると、遠くの曲がり角に、立ち止まってこちらを見ているアカネがいる。わたしと目があったのを確かめると、アカネはこちらに手をふった。
傘にあたる雨粒の不規則なリズムが、少し不安げな、わたしの心を揺さぶった。
ほんとは、アカネのことが……。
缶ビールをわきに