第1話 おしまいは虹色
文字数 1,998文字
奥行きが出るように蛇腹式に作られたトンネルブックは仕掛け絵本の一種で、覗き込むとまるでその中に入り込んだような楽しさがあるという事で昔流行したらしい。
まるで、どころか。
一瞬、花の匂いを感じたと思ったらいつの間にか森の中にいて、木漏れ日をじっと見ていると、花びらのようにひらひらと妖精達が楽しそうに笑ったり歌ったりしていた。
【La Bal】《舞踏会》は、宮殿の
花火が噴き上がり、シャンデリアに蝋燭の灯りが
【Paradise】《楽園》。
南の島に太陽がさんさんと降り注ぎ、鮮やかな鳥や花に目を奪われる。
エメラルドグリーンの海を覗き込めば花畑のような珊瑚礁に色とりどりの熱帯魚が泳ぎ回る。
なんてすごい魔法。
これは宝物。
アイルランドという国から祖母がお嫁に来る時に持ってきたという小ぶりの
それは秘密の部屋に続くトンネルの入り口であったのだ。
「
祖母が亡くなる数日前にお見舞いに行った病院でリボンのついた小さな
大人達が葬儀の用意で誰もが忙しくしている隙に祖母の部屋に入った。
森の中のような不思議な匂い。
鍵を鍵穴に挿し込み、ゆっくり回すと扉が開いた。
それは驚いたことにトンネルのようになっていてその先には屋根裏部屋があり本がいくつか置いてあったのだ。
【Festa】《祭典》は、トランペットが鳴り響き、大通りでは豪華に飾り立てられた象の隊列が進み、群衆が歓声を上げていた。
あまりの賑やかさに夢中で歩き回った。
甘い匂いのする雲のような綿飴を子供達が嬉しそうに食べているのが羨ましくなり
綿飴を作っている女性に声をかけたが、まるで自分の声は耳に入っていないようだ。
こんなに賑やかなのに、こんなに人がいるのに、誰も私が見えていないし、声も聞こえていない。
急に寂しくなって、広場の真ん中にある噴水の縁に座り込んだ。
私なんて居ないみたい。
歓声の中、情けない気分で目を閉じると、気がつけばまた薄暗い部屋にいた。
どうせ、誰にも気付いて貰えないなら、もういいや。
でも、おばあちゃんは言ったのだ。
「お約束よ。おしまいは虹色ね」
最後の一冊はタイトルも無い、何色もの色が水に滲んだような表紙。
目を開けると、空はとても高く澄んで、こんなに明るく広い場所なのに、また一人ぼっち。
悲しくて顔を上げると、空に大きく弧を描く七色の虹が架かっていた。
あっち、行ってみようかな。
でも虹って、光の屈折で見えているだけで、すごく遠いって聞いた事がある。
でも、その途中に。
そして、その先に。
何か、あるかもしれない。
突然、母親の声がしてはっとした。
気付いたら、祖母のベッドで寝てしまったようだった。
「伯母さん達、一旦、葬場に戻るって。何か探し物?・・・その本、もうボロボロねぇ」
箪笥の上のタイトルも元の色さえ定かではない程に経年劣化したトンネルブック。
さっきまでは、きれいだったのに?
慌てて箪笥を動かしたが、ただそこに壁が現れただけ。
母親は一体どうしたのと声をかけた。
「ここ、屋根裏部屋は?」
「何言ってるの」
無いわよと母親は本を箪笥に戻そうとして手を止め、表紙をそっと撫でた。
「・・・おばあちゃん、お嫁に来たけれど最初は言葉もわからないし、寂しくっていつもこの本見てたんだって。この箪笥、おばあちゃんのパパとママが持たせてくれて、宝石とかも入ってたらしいの。でも生きていくうちに少しずつ手放して。最後に残ったのがこれだけ。まあこんな本じゃね」
違うの、お母さん。それすごいの、と言おうとして止めた。
夢だったのかもしれない。
「まだ
娘がここ数年、学校にも行かず、家族以外の誰とも会わないという生活をしているのを気遣った。
「・・・伯母さん達って、おばあちゃんの娘、なんだよね?」
「そりゃ、私のお姉ちゃん達だもの」
「・・・久しぶりだから、こんにちはする」
母親は驚いて目を丸くした。
「無理しなくていいのよ?」
「ううん、行ってみる」
だって、私。
さっきは、あんなに遠くにある虹に向かって歩こうとしてたくらいだもの。
「・・・そう?」
ああ、そういえば。
亡くなった母もホームシックとカルチャーショックでしばらく部屋に閉じこもっていたと聞いた事がある。
でも、ある日突然、何に勇気を貰ったのか「ごきげんよう」って言って出てきたんだよな、と昔、父が嬉しそうに言っていたっけ。