第1話 冬枯れ

文字数 851文字

 久しぶりに先日、浅草寺に行ってみたいと思い、日本堤から徒歩で今戸を抜け、浅草へと向かった。

 どうして途中が今戸かと言うと弾左衛門の邸があったこの辺りがなんとなく好きだからだ。革細工のハンディクラフト製品が建ち並ぶ街、前世に何らかの因縁があったのかもしれない。

 この辺りの部落の人は、中世には武具や馬具など革製品を幕府に
献上していたと漏れ聞かれる。欧州の○○やら△△やらの所謂エンブレム付きのバッグばかりがもてはやされて、国内製品が冷遇されると何か寂しい気がする。

 途中の慶養寺で山門の仁王様に軽く会釈する。筋骨隆々とした姿が実に頼もしい。私も六尺近くある巨漢、神仏に縁があるとすればこんな佛になるんだろう。

 行きすがらのコンビニの前で、女子高生達が焼き芋を頬張っているのを見かけた。彼女達の嬌声は、今日のコロナ禍とは別世界にいるようで、その無邪気さに勇気づけられる。

 浅草寺の仲見世は、コロナ禍にあってもなかなかの人出であるが、皆マスク着用なのが痛々しくも礼儀正しい。たぶん日本人は、生真面目なので、最終核戦争のハルマゲドンになったら、全員秋葉原でガイガーカウンターを買い求め、持ち歩くんだろうな。
 
 呼子も勿論、マスク着用。チャキチャキの江戸娘もマスク着用だとイマイチ勢いが出ない。啖呵ではなく、流感禍なので痰が出たのではしまらない。

 外国人が少ない。去年は、紅毛碧眼の輩が溢れていたが、今はもう全くいない。日本人もまた少ない、寂寞たる感が境内に漂っている。

 熊手の出店で、ひときわ高そうな立派な熊手を買っている人を見かけた。熊手を見ると、私などはカジノでポーカーゲームを取り仕切るディーラーを連想させられる。

 さては、付近のパチンコ屋店主と目星を付けるのは穿った見方か。

 境内に珍しく易者が出ていたので、手相を見てもらった。

 「水を呑んだら、掘った人の恩を忘れるな」

 成る程、苦しい時ほど感謝の心を忘れるな、か。こういうのを禊っていうのかな、人は苦しいと先ばかり見て、過去の恩人は忘れがちだしな。
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