神の教え

文字数 1,960文字

 人々に讃えられ、味ぽんは神となった。味ぽんが世界で唯一の真実となった。その冷蔵庫に入っている調味料は味ぽんではない。それは調味料をこえた超自然的存在である。主に従え。祈りを捧げよ、とポン酢は言った。

 
 今から半世紀以上前の一九六四年、まだ味ぽんを知る人は世に少なかった。
 そのとき味ぽんは、ポン酢より知名度が低く、世の大半の人が酢と醤油の力に頼っていた。
 今でこそ、その真理が全国に広まった味ぽんの教えだが、当時は山間部に住む一部の少数民族が信じているだけだった。

「わすら、アズポン様の教えだがたよりじゃ」
「んだ。アズポン様のおかげで、わすら今日も、どないか生ぎのびれた」
「アズポン様、明日もまんず、よろすくお願げえします」

 彼らはそのように、味ぽんの力によって冷え切った体を蘇らせ、長く寒い冬を乗り切っていた。
 
 味ぽんの教えが、世に広がり、彼を信仰する人々が増えたきっかけには、諸説さまざまな言い伝えが残されている。
 そのなかには、味ぽんが人間の言葉を喋りはじめたことが伝承として残されている。
 それまで、無言で祀られていた味ぽんが、ある日意志を持って人間に語りはじめたのだ。
 崇拝されるだけの対象にとどまらず、その教えを味ぽん自らが説くことによって、人々が信奉する神の声を聞いた瞬間でもあった。
 当時、その状況を見ていたポン酢は、悔しさを滲ませながら「味ぽんにはかなわねえ」と言っている。
 このポン酢の発言は、味ぽんを創造したミツカンの伝記にも記され、その記録は誰もが閲覧することが出来る。
 しかし世間には、彼のように味ぽんを神と認めない者たちも少なからずいた。
 民衆から絶大な支持を得、その教えが世に広がっていけば、その人気を妬む者も世には現れる。
 彼らは皆、一様に口を揃え、「あいつは調味料じゃないか!」と人々に訴えた。

「スーパーに行って買える神の教えなど、お前らはどうして信じるんだ!」

 彼らが言うように、たしかに味ぽんは調味料で、スーパーに行けば商品としてたくさん棚に並んでいた。それは紛れもない事実で、揺らぐことのない真実でもあった。
 味ぽんの信者たちは、その真実の声に危機感を募らせた。声を上げる者は、日ごとに増え、その考えは世に広まってきている。
 彼らの信奉する神の教えが、抗議者たちの声によって揺らぐ恐れがあった。
 一人の信者が、彼らに言った。

「アズポン様の教え、わすら守っとるだけじゃ。誰さ迷惑かげてね。やめてけれ…」

 信者が言うように、彼らはその教えを生活の中で守り、心の中で味ぽんを信じているだけだった。その信仰による悪影響が、何処かで現れたことはない。しかし無害な彼らの訴えに、抗議者たちが耳を貸すことはなかった。信者たちの声を無視し、彼らはその活動を過激化させた。
 味ぽん祭の中止を呼びかけ、味ぽんの教典を燃やし、電車に味ぽんを非難する落書きをした。
 そしてある夜、彼らは大勢の同志を引き連れ、味ぽんの信者たちが集う神殿に押しかけた。
 抗議者たちは、そのとき完全に我を失っていた。神殿を取り囲み、「偽りの神の教えなど、燃やしてしまえ」と叫び、なかには手にしたたいまつを放とうとする者もいた。
 神殿のなかで、一人の信者が言った。

「アズポン様、こげんこっだと、あんた様がわすらに説いできた真理ば…」

 味ぽんは黙っていた。彼には分かっていた。光りあるところに闇があり、闇あるところに光りがあることを。その抗議者たちも、彼の信者たちと同様、悩める一人の人間として救いを求めていることを知っていた。
  味ぽんは、みなに言った。

「なんじは、我である。そして、我はなんじなのである」

 その場がしんと静まり返った。不意に届いた味ぽんの声に、そこにいる誰もが驚き、暗闇の中で体験した神の力に圧倒された。
 味ぽんは、再びみなに言った。

「我々は、一つの共同体である。その共同体の一部が、我々、一人一人なのである」

 それから月日が流れ、時代が変わっても、味ぽんは凛とした姿でスーパーに並び、今日も目の前を通る人々の声に耳を傾けている。

「お母さん、みきちゃんが今日ね、味ぽんって餃子のタレになるって教えてくれたの」
「へぇ〜 味ぽんって、餃子のタレにもなるの。それじゃあ、今晩は餃子にして試してみよっか」
「うんっ。どんな味になるのか楽しみっ」

 スーパーを訪れた親子は、そのようにして棚に手を伸ばし、味ぽんを一つ手に取る。
 味ぽんはその様子を見守っている。彼には分かっていた。そのようにして、すでに広まっている味ぽんの教えにより、味ぽんを信じる者がまた一人増えることが。
 味ぽんはもう、自ら進んで人々に教えを説くことはない。スーパーの棚に、祀られるように並び、それを人々が手に取れば彼の教えは自然に広がっていくのだ。
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