もう一人の天人

文字数 6,506文字


 長年睨み合ってきたコレールへの侵略戦争を決心させたのは、なにもエポック蔓延の報復のためだけではない。

 アヴニール山脈の先にある北部の台地は、天秤の神ギエイアが住まう神域とされ、ルラックル人はアヴニール山脈南部で遊牧民として暮らしていた。

 あるとき、一人の冒険を夢見る若者がアヴニール山脈の先に興味を持った。
 その若者は同じ好奇心を抱いた者たちを集め、教会の叱責を無視して都を出た。大なり小なり問題はあったが、あろうことか数人の犠牲を出しただけで、ついには山脈を超えてしまう。

 そこで待ち受けていたモノを、一行はサイアクな形で都に持ち帰ってしまった。


 最初に声を上げた若者の頭が、無残にも工芸品に加工されていた。


 ある帰還者が言った。

「アヴニールの先に、悍ましい怪物がいる」
 血濡れの工芸品を抱え、こう続けた。

「奴らはギエイア様を知らなかった」

 それが、コレールとの最初の接触であった。

 ギエイア様の聖域に根付いた人の形をしたナニカ。
 これは本来、許され続けていい事ではない。

 そうして、教会──特に天秤派の信徒はコレールの打倒を悲願とするに至る。
 それ故の戦争、トゥメル教の権威を確固たるものにするための聖戦。

 コレールを打倒することで天秤派の悲願を果たし、ギエイア様の神性をより確かなものとするための戦いである。



「──ここまでは、キミも大まかに把握しているだろう?」

 その話をしてくれたのは、ガルロ・カルロという男だった。ロマは馬車の荷台に乗せられ、ぼんやりと青空を見上げながら、それを聞いていた。

 カルロは明るい白髪を肩先で切り揃えており、倒木に腰かけて栗鼠を愛でてそうな優男で、ゲール直々にロマの見張り役を任されたらしく、白金の少女と一緒にロマの対面に座っている。

「天人相手に、ずいぶんと親切だよな。発見次第、処刑されると聞いてたんだけど」
「普通はキミの言った通りになるけど、コレールという〝より凶悪な敵〟がいるのと、王国でも天人を一人だけ飼っているし、僕はその天人と仲が良いんだ」

 その物言いに少女が不満げに口を窄めた。
 そこでロマは少女について聞いてみた。

「私? 私はただの医者だよ」

 騎士団に医者が同伴するなんて聞いたことが無い。それに、ずいぶんと若い。十五から十七ぐらいか。マムロンと……マムロンと、そう変わらない。

「エポックの件があってから、騎士団が遠出するときは、基本的に医者が同伴するようになったの」

 少女は長い耳を撫でて、続けた。

「耳が気になるんでしょ?」言い当てられ、ロマは眉頭を持ち上げた。
「私は天人じゃないよ。ルラックル人とルール人の混血なの」

 そう聞いて、ロマは納得する。ルール人とは、ルラックル大陸の北にあるニダヴェルール島に住む人種で、長く鋭利な耳と金色の髪が特徴的な種族だ。彼女の白金色の髪は、ルラックルの白とニダヴェルールの金が混ざった結果であろう。
 少女は白い外套の裾を正した。

「あらためて──フラワーリップ・レディ。王国で最も腕の立つ大工の娘よ」

 瀟洒に膝の上で手を組む少女に、カルロは胡乱な横目を向けていた。

「お嬢様を装うなよ、リップ。大工の仕事なんて何一つ知らない占い好きの医者見習いの癖に、なんで妙なところで見栄張るのさ」

「ちょっ」とリップは顔を引き吊らせた。
「私の占いを馬鹿にするな! 百発百中で評判なの!」

 それは確かに凄いことだと、ロマは感心して顎を撫でた。

「いつも五割五分ってところじゃん」

 嘘だった。
 リップはむっとして「カルロの時だけだよ。他の人は七割ぐらい当たるから」と、結局は嘘を認めていた。

 リップは深く鼻から息を吐いて、腕を抱いた。



「キミ、大丈夫なの?」

 その声には、確かな哀れみがあった。何が、とは聞かない。大丈夫、とも言わない。ロマは間を置いて、村の方角を見据え、静かに拳を握る。

「王都まで、どれくらいだ?」
「もう直ぐだよ」

 カルロが答え、リップは口を噤んだ。

「そうか」

 ロマは、それっきり喋らなかった。





 しばらくして、
「そろそろ見えてくるぞ」と御者の弾んだ声に、全員がパっと顔を上げた。

 屋根など付いていない開放的な馬車なのもあって、周囲は見渡しやすい。今は他の丘に比べたら、いくらか背の高い丘を上っている最中である。

 さて、立ち上がって、くるりと回ってみても……どこまでいっても緩やかな丘と、丘に覆いかぶさった草木しか見当たらない。遥か遠くに山脈の陰があり、青空には細切れの雲があるとはいえ、流石に都が空にあるなんてことは無いだろう。

「阿呆。向こうだ」

 ゲールが顎で指した方角は、馬車が進んでいる方角を指していた。
 小ぶりな丘を登り切ったとき、ロマは〝それ〟を目にして息を呑んだ。

「あれが、オレたちの『王都』。真っ白な雫を想わせる絶景と、白と橙で彩られた清廉な街並みが、この都の売りらしいぞ」

 その都は長い下り坂の先、巨大な湖の中央にある滴る雫の形をした陸の上にあった。東西に架かった橋の上には人々が行き交い、黒い波となって蠢いているし、湖上には多くの舟が浮いていて、その上にも人が肩を寄せ合って仕事に勤しんでいる。

 そして、雫の中心には空を突き刺さんばかりに高く鋭利な城があり、雫は橙と白の建築物で埋め尽くされている。昼の陽ざしの下で瑞々しく活気づいているのが、遠目からでも感じられた。

 豪華絢爛。風光明媚。そう称さずにはいられない。
 不落の湖上都市は白い剣を頂上の太陽に突き上げ、悠然と湖に鎮座していた。

 ◆

 騎士団の宿舎は王都中央に聳える城の敷地内にある。二階建ての宿舎の傍には訓練場として平地も設けられている。そして、訓練場に隣接する形で、簡素な処刑場もあった。

 ところが、ロマが連れて来られたのは、騎士団の敷地内ではなく、敷地からほど近い『聖クレタ病院』の門前だった。

 ゲールは遠征から帰還するや、騎士団長に事の次第を報告し、数人の騎士と共にロマを連行して、鉄の門前まで来ていた。今は病院の門衛に、とある人物を呼んできてもらっているところだ。

 ロマは三人の騎士、ゲールとカルロと名前も知らない騎士に囲まれ、鉄の鎖で両手を括られたまま、病院を見上げて感嘆する。

 まず、城と都は湖で隔たれている。湖、都、湖、城といった順番だ。そして、城と都は一本の石橋で繋がっている。

 聖クレタ病院は石橋の途中、城門手前にしゃんと背を伸ばして佇んでいる。黒い鉄柵に囲われて、色鮮やかな花々に彩られ、真白で四角い煉瓦の建物が中心にそびえる様は、さながら花を手向けられる墓標のようだった。

「ずいぶん立派な建物だな。見るからに真新しいが」

 三人の騎士の一人、カルロが答えた。

「ここは昨年建てられたばかりだからね。時の人シルバーピット・クレーター氏が都で拡大していたエポックの蔓延を止めた功績により、国王様が褒美として都最高の職人たちに建設を命じたんだ」

 カルロは肩を竦めて「病の根絶はまだなんだけどね」と言い加えた。
 それから五人は壮年の医師に入場を許可され、ゲールとロマのみが診察室に通された。カルロ含む騎士三名は診察室前で待たされる事になった。せっかく護衛として来た騎士たちの存在理由がなくなってしまうが、大丈夫だろうか?

「危険だ、とでも考えたか? 生憎、あたしにとっちゃテメェも患者の一人なんだよ」

 診察室奥の扉から、白衣を着た少女が不機嫌そうに現れた。

「久しぶりだな、ゲール。まだ生きてやがったか」

 乱暴で勝気な印象の女だった。黒い髪は肩先までしかなく、中世的な顔つきの所為で男に見えなくもない。左耳の赤い耳飾りは、交戦的な顔つきと相まって、背伸びする少女のようで、かえって可愛らしく見えてくる、はずなのに目元の深い隈の所為で台無しである。

「本名は聞いてるんだろ? あたしのことはシルバとでも、なんとでも呼べ」

 黒髪と彫りの浅い顔つきから見るに、東洋の生まれだろうか?
 シルバはスタスタとロマの目の鼻の先まで来ると、白い手袋を嵌めてペタペタとロマの身体を触り出した。

「顔つきは西洋人のそれだが、赤い髪は呪いの影響だな。髪色だけ変化する天人なんて初めて見たぞ。肉つきは良いし、栄養失調の様子も無い。古傷の類いも一切無いな。そして──」

 そこでシルバの手が止まった。ぴたりと時間が止まったように。
 ゲールは首を傾げて「何か問題か?」とロマの後ろから覗き込んだ。シルバはロマの前で膝をついて、縦に長い瞳孔で興味深そうに一点を見つめていた。

「てめぇ、さては童貞だな」とシルバはロマの泳ぐ目を見上げた。
「女に、身体を触られた経験は、あまり無いんだ」
「あまりじゃないだろ。こいつは初めてって感じだ」

 屈辱と期待と羞恥に胸中を搔き回され、得も言われぬ達成感を噛み締める。ゲールの提案に乗って良かったと。我ながら単純だと思う。

「……せっかくだ、資料として採取しておくか」
「ふぐっ!」

 鳴ってはいけない音が、下から聞こえた気がした。
 ロマは思いがけない衝撃に身を震わせる。

「あ、ああ、えっと……オレは外にいるから、終わったら呼べ」

 ゲールがそそくさと退室してしまい、診察室で二人きりとなる。
 どうしてだろう。
 甘い気配は欠片も無い。シルバの行動のすべてが事務的であるのに、なぜか蛇に睨まれた蛙のような、正体不明の恐怖が期待を伴って、ロマの肝っ玉を縮み上がらせる。

「これから血、精液、尿、大便、口の中の粘膜、涙といった要素を採取して、てめぇの身体が人間寄りか獣寄りかを調べる──覚悟はいいな?」

 その問いに答える間もなく、ロマは小柄な女に蹂躙された。事が済んだ時には、もう日は傾いていた。ゲールが入室すると、シルバは丸い硝子の板でロマの体液を覗き込んでおり、ロマといえば診察台の上で「尻が、俺の純潔が」と憔悴しきっていた。

「それで、こいつは使えそうか?」

 ゲールは気怠げにロマを指差す。ゲールは疲れを癒す間もなく、相当な時間を待たされる破目になって辟易しているようだった。

「特別なのは、不死と復活の際に生じる発火反応ぐらいだから、使い勝手は良さそうだぜ」

 その後、待機中の騎士を含めた全員で、病院の地下へ向かった。

 湿った石づくりの階段を下りた先で、広々とした空間に二十人分のベッドが等間隔に並べられていた。その内の四台に人の陰が見える。

 ベッドの脇に設けられた蝋燭の光が、儚げに患者たちの青白い肌を照らしていた。シルバは患者の一人に寄り添い、白い手袋に覆われた手で、患者の痩せた手を撫でた。患者の反応は無く、か細く呼吸する音を喉で鳴らすだけだった。

『エポック』──五年前、何の兆しも無く奴らは現れた。ほんの数名、おそらく偵察の類いだろうと思われたが、その後の感染拡大を経て、それが計画的な戦略であったことを悟った。

 戦士の排除は難なく済み、対応した部隊が都に戻ってくるや、翌日には部隊の全員が高熱で倒れた。三日目には、体中に赤黒い斑点が広がり、四日目に、悍ましい何かを見たような表情で亡くなってしまった。
 三日目の段階で、今度は風俗街で感染が確認され、四日目には住宅街や商店街などの住人にも病は広がっていた。国王は存亡の危機だと判断し、各国の医師を呼び寄せた。

 数十名の医療に心得のある者が己の名を上げようと、病の感染経路の解明と治療方法を探した。
 だが、その殆どがエポックに感染し、命を落とした。

「偉そうに医師だと公言していたが、どいつもこいつも祈祷師や呪術師の類いだった。呪い(まじない)で病は治らねぇ。呪いは一時の安心しか与えてくれないもんだ」

 そう語ったのは、シルバであった。
 彼女もまた国王の救援要請に応じた医者の一人であったが、その中でも唯一の〝医師〟であった。経験に基づく技術と知識を申し分なく振るい、僅かな時間で感染経路を突き止め、エポックの進行を抑える薬を開発してみせたのだ。

 それは正しく偉業。英雄と称されるに値する功績である。
 その正体が『天人』だと知った上で、人々は彼女を英雄として称賛した。

「他の天人を見るのは初めてか?」
「それ、尻尾だよな」

 黒く艶のある鱗に覆われた尻尾が、彼女の裾を持ち上げて、ゆらりゆらりと揺れている。

「尻尾だけじゃねぇ」と今度は口をあんぐりと開いてみせた。ロマはぎょっとして顔を引いた。彼女の口内が黒かった所為だ。白い布に墨汁をぶちまけたような黒さで、粘膜特有のぬめりで表面はてかてかしていた。

 そういえば、彼女の瞳孔は猫のように縦長だった。あれは猫ではなく、爬虫類系の瞳だったのか。

「神に呪われたんだよな? あんたは何をしたんだ?」

 天人が神に呪われた者を指すと謂うのなら、彼女は神に出会い、何かしら不遜な行いをしでかしたに違いない。
 しかし、シルバは飄々と肩を竦めた。

「知らねぇ。神様ってのは、どこにでもいるし、どこにもいない。人前に姿を現すことなんて滅多に無いのに、出たら出たで珍妙な警句を囁くか、呪うかだ。あたしの場合は、独占欲の強い神様の国を出たから、親不孝者めって呪われたんだろうよ」

 そいつはまた、器の小さい神がいたもんだ。

「要するに、住む人間全てが箱入り娘でないと気が済まない神様だったのさ」

 ゲールは溜息交じりに「そういう所が逆鱗に触れたんだろ」と言った。

「お前も大概だろ。病で倒れた時も、神を罵倒していたらしいじゃねぇか。そこの優男に聞いたぜ。騎士団では有名な話だって? 呪われずに済んで良かったな」

 びくり、と脇役を貫いていたカルロが反応した。ロマの後ろから顔を出し、ゲールの無言の圧力にたじろいだかと思えば、思い出したかのように挙手した。

「そういえば、今日から彼を使うんですか? 一応、隔離室は用意してありますけど、流石に明日とかの方が僕たちの睡眠時間的に助かるなぁ、と思ったり」

 苦しい逃げ方ではあったけれど、もっともな意見だった。死ねば疲れも病も解消されるロマとは違って、騎士団は遠征の疲れを休息で回復しなければならない。ここで満足な休息も取れないまま、あまつさえ朝早くから仕事があるとなれば、事故や病気に罹る要因となる。都を守る騎士団としては、休息はもっとも軽んじてはいけない仕事の一つだ。
 もちろん医師である彼女も、その点は誰よりも理解していた。

「そうだな。早ければ明日の昼からだ、と言いたいところだが、まだこいつの処遇は決まってないんだろ? そんときはリップに行かせる。今日のところは何もしねぇよ」
「承知しました! では、さっそく別棟まで案内致します!」

 彼女の言葉を合図に、そそくさとカルロは踵を返した。もう二人の騎士も顔を見合わせ、ゲールとロマのために道を空けた。

 ゲールも怒る気が削がれたのか、「……行くぞ」と無精ひげを撫ながら歩き出す。ロマもシルバに一言挨拶をして、その後に続いた。

 彼女は振り向くことなく、患者の手を摩り続けていた。



 別棟は病院の裏手にあった。
 こちらは丸い屋根の白い建物で、おそらく二階建て。入口は正面の開き戸一枚のみで、窓は二階の側面に一枚ずつの四枚。二階は騎士たちの居住空間で、一階は食堂と礼拝室に加えて装備品の倉庫。そして、ロマの隔離室は地下一階にある。

「それじゃ、また明日迎えに来るから」

 そう言い残して去るカルロは早々に去った。
 あらためて、牢屋を見てみると、以外にも清潔感のある場所だと直ぐに分かった。
 湖の傍というのもあって、多少の湿気がこもっているのは確かだが、それを踏まえても暑くもなく、寒くもない場所で、ベッドもさらさらとした手触りであった。手足は自由だし、便器は座れる形をしており、真白に輝くのを見るに手入れされているのは明白だ。

 石造りの壁際に設けられた机。その上には、針の長い燭台が一つと、蝋燭が三本。
 正直、悪くないと思った。

 そのまま、ロマは仰向けにベッドに倒れ込む。薄い枕に顔を押し付け、四肢を放り出した。そうすれば、睡魔が全身を包み込む。眠気は思考に蓋をして、疲労が杭となってベッドに打ち付けられる。



 その日、夢は見なかった。



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