私のほうがずっと好き

文字数 1,980文字

 好きな人がいた。
 同じ会社の二つ年下の男の子だ。
 でも告白は難しい。私には上司の肩書があったからだ。
 うっかり声を掛けようものなら、パワハラ、セクハラ、オバハラ、オバサンハラスメントで、なけなしのお給料が全部溶けてしまう。
 なんてね。そんなの全部ウソ、本当はただ勇気がないだけ。
「山口さん、これで全部です」
「ありがとう」
 目当ての田中が雑誌の束を車の後ろに積み込んだ。
 炎天下の下、蝉がやかましく鳴いていた。
 夏は恋の季節と言わないばかりに、うだるような暑さのオフィス街を、恋のシャウトで埋め尽くしていた。
 あー、うるさい。うるさい。うるさい。
「さぁ、午後も元気に働くわよ!」
 精一杯、明るい声を出した拍子に私は貧血を起こしてしまった。頭のうえに真っ黒な太陽が見えた気がした。
 気づくと私は田中に抱きかかえられていた。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、うん。寝不足かしら」
 ボディタッチに緊張してしまう。
「医務室に行きましょうか?」
「それより配達、急がないと」
「それは僕が行きますよ。車のなかはもっと暑いですから」
「お願いしていいの?」
「はい、帰りに冷たいアイスクリームを買ってきますから」
 気が利く。そういうところが好き。
「じゃぁ宜しく頼むわ」
「夏休みは北海道に行くんで。張り切って働いてきます!」
 田中の言葉が胸にチクリと刺さった。

 氷水を飲むと医務室の簡易ベッドのうえに横になった。腕を額に乗せ田中の言葉を思い出す。
 やっぱり北海道には彼女と行くのかな。
 邪な考えが頭に浮かぶ。田中のやつ、熱中症で倒れないかな。
 うちの会社の仕事はタウン誌を契約したお店に配ることだった。
 だけどその仕事が結構きつい。夏の酷暑のなか、ガラス張りの車内はまさに走る殺人サウナだ。少々暑さに自信がありますなんて言ってみても、体中から汗が噴き出し、気づいたら気力と体力を奪われる極悪空間なのだ。

 私はアイスクリームを買い物袋に入れ病室の扉を開けた。
「はい、この前、倒れた時のお返し」
 接点の数が増えたと思い、ベッドに横たわる田中に微笑みかけた。
 だけどその目の前には、彼女とおぼしき可愛い女の子が椅子に腰掛け座っていた。

 ふいにスマホの音がした。
 私は暑さのせいで眠っていたようだ。
 傍らの電話を手に取る。
 相手は田中だった。
「お疲れ様です。少しは楽になりましたか?」
「あぁ、うん。わざわざ、ありがとう」
 なんの変哲もない会話だ。だけどもっと喋っていたかった。
 ガラス窓の向こうに野球部員たちの練習が見えた。私も学生時代は陸上部の長距離選手だった。陸上は自分との戦いだ。
 長く喋ればデートに誘えるかもしれない。
「配達暇でしょ。ゲームしない?」
「どんなゲームですか?」
「暑いって最初に言ったほうが負けってゲーム。負けたほうは相手の言うことを何か一個だけ聞くの。どう?」
 田中は簡単に乗ってくる。
「分かりました。じゃぁ、課長が今日、食べた朝食のトースト、三ミリぐらいですか?」
「なに言ってるのもっと厚いに決まってるでしょ? あっ……」
 あっさりと負けてしまった。田中の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
 さて、お願いは何だろう? 上司らしい仕事だろうか? 北海道旅行に行く彼女との仲人のお願いだったら面白い。まさに意地悪な罰ゲームだ。
「じゃぁ課長、僕からのお願いは、課金ゲームをしてもらうことです」
「なに、私からお金を取るつもり?」
「お金以外の何かのメーターが一杯になったら僕が勝ちになるゲームです」
 田中の声が急に真面目になった。
「仕事が終わったらホテルに行きませんか?」
「え?」
「配達先でチケットもらったんです。併設のナイトプールの」
「あ、あぁ」
「そこのホテル、この辺りで一番凄い結婚式場があるらしいんですよね」
「そう、なんだ」
「水着の代りにウェディングドレスを着てみませんか?」
 ………もしかして、プロポーズ?
 沈黙に負けたのは田中のほうだった。
「あ、給湯室の冷蔵庫のなかにアイスクリームがあるのを思いだしたんで、良かったら食べてください」
「……あぁうん」
 そう言うと電話を持ったまま冷蔵庫を開けた。アイスではなく宝石箱があった。
 私はそっとケースを開けた。小さな指輪とカードが入っていた。
 そこに書かれた文字は、“一緒にいたら好きになりました。”だった。
 告白、課金。ハートのラブメーターは、私も。のほうにふりきっていた。
 でもお人好しのバカじゃない。
「北海道には彼女と行くんじゃないの?」
「あれは違います。もしフラれたら有休を取って逃げ回ろうかと思っていたんです」
 そうなんだ。
 いつの間にか頭痛は消えていた。
 私はエンゲージを小指につけてみた。
 驚くほどスマートに言葉が出てきた。
「ありがとう。ナイトプールで待ってるわ」
 それまでに、お返しの言葉を探しておかなければならない。
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