そして塔は無人になった

文字数 1,636文字

 蔦に覆われた塔の屋上で、フォルは薬草の世話をしていた。ふと、目の前をひらりと蝶が飛ぶのを見て、フォルはどうしようもなく寂しくなった。

『俺の故郷では、子供を可愛がって大事に大事に育てることを《蝶よ花よ》って言い方するんだ。ちょうど蝶が飛んでるな』
 そう言って微笑んでいたのは、かつてのこの塔の主。緑の賢者と呼ばれたその人は、植物を育てることと薬を作ることがそれはそれは得意だった。

 緑の賢者は女神と話をしたことがあるらしい。美人だったと言っていた。生産ちーと、というものをもらったと言っていた。賢者の話はフォルには完全に理解できたとは言い難い。

 緑の賢者は、時折とても寂しそうな顔をすることがあった。でも、理由を聞いても、結局最後まで教えてくれなかった。

 蝶がフォルから離れていった。花は動くことができないが、蝶は自由に飛んでいく。飛べばその分危険も多いだろう。どちらが幸せだろうか、とフォルは少しの間考えていた。

 緑の賢者がどこから来たのかは誰も知らない。ただ、彼が作った薬はどれも素晴らしかった。それを知った国王は、更に多くの薬を作らせようと彼をこの塔に軟禁したのだ。動けない花みたいに。自分たちが蜜を奪うために。

 フォルは使用人だった。もっとはっきり言ってしまえば奴隷だ。緑の賢者の世話のためにこの塔に連れてこられた。緑の賢者はフォルの主人でもあった。

 事故だった。
 疲労が積み重なり体調を崩していた緑の賢者は、塔の螺旋階段で足を滑らせ、酷い落ち方をして、そのまま……

『必ず戻る。君を解放するから、待ってて』
 それが緑の賢者の遺言。
 幸か不幸か、フォルは人間とエルフの混血で、少しばかり長い寿命を持っていた。だから待ってみようと思った。塔に居続けるために、賢者が残した植物の世話をしたいと頼み込んだ。

 植え替えを終えて立ち上がったフォルの上を、影が横切った。雲にしては速く、鳥にしては随分と大きい。何事かと見上げて、フォルは焦った。

 一体の飛竜がこちらに向かって降りてくるところだった。身を守ろうにも奴隷のフォルに武器など与えられていないし、魔法は封じられている。
 せめてもの抵抗に、剪定用の鋏を投げつけようとした時。

「攻撃するな、フォルトゥナート!」
 呼ぶ人などいなくなったはずのフォルの本名を呼んで。飛竜の背から、小柄な人影が飛び降りた。

「ごめん。待たせた」
 そう言って近付いてきた少年に見覚えなどない。だけど。
「いやー、転生させてもらえたのは良かったんだけど、思いの外時間がかかっちゃって」
 にひひ、と笑う少年の、その笑い方が。緑の賢者にそっくりだった。

「……賢者様……?」
「そうだよ」
「まさか。生まれ変わって……?」
「そういうこと」

 聞きたいことも言いたいことも沢山あった。だけどそれらは一旦飲み込んで、フォルは泣きそうになりながらも笑顔を作った。
「おかえりなさい、賢者様。ずっと、待っていました」

 少年は「うん」と頷いた。そして、フォルの首にあった隷属の首輪を壊してしまった。大量の魔力を一気に流し込むという、実に乱暴な力技で。
「よーし、さっさと逃げよう」

 フォルは生まれて初めて飛竜に乗った。鞍はあっても恐ろしくて、少年の細い身体にしがみつく。なんだか酷く非力になった気分だった。

「賢者様。この飛竜はどうしたんですか。借り物ですか?」
 襲われると思って警戒した飛竜だが、鞍も首輪も着けた飛竜が野生のもののはずがない。
「いや。こいつは俺の従魔。今の俺は従魔術士なんだ」

 遠くなる地面に心細さを感じながら、塔から動くことができなかった賢者は空を飛ぶ自由を手に入れたのだな、とフォルは思った。

「あんまり空を見るなよ。太陽に気を付けろ。目を痛めるからな」
「どこまで行くんです?」
「そうだなぁ、どこまででも。けど、とりあえずこの国を出ようか」

 フォルは身分証を持っていない。本来なら国境を越えることなどできないが、この少年と一緒なら、全部上手くいくような気がした。




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