第1話ぽつねーん

文字数 1,919文字

彼はなぜかいつもぽつねーん、としている。
こういう人は結構多いのだが、みんなぽつねーんとしているので、顔をぽつねーんの会でも作って合わせることもない。
人が嫌いなのでもないし、人から嫌われるのでもない。それに、男性らしく、ちゃんと欲望も持っている。
けれど彼はいつもぽつねーん、なのである。
彼はごくたまに、他のぽつねーん達は何をしているだろうか、と思ったりするが、ぽつねーん達はぽつねーんとすべくして、ぽつねーんとしているので、なんと考えようにも、はかりかねている。
彼はちゃんと会社勤めもしていて、しっかり働くし、上司や仲間からの信頼も得ている。
それに、収入もしっかりあるし、金曜の夜には飲み会にも誘ってもらえる。気になる女性もいる。けれど、彼はそれらがはけると、いつも通り、ぽつねーんに戻るのだ。
彼自身もなぜかよくわからない。他者に興味がないのでもないし、しっかり会話にも参加している。けれど、なのだ。

彼はある日、会社帰りに最寄りのスーパーマーケットに寄り、晩御飯の買い物をした。
この日は、すっかり夏らしくなってきたので、麺にめんつゆでも買おうかと行った。
乾麺のコーナーで、何がいいかな、と見てみる。ひやむぎなんかどうだろう、と探すが、なんと、ひやむぎがないのだ。あっても、そうめんや、そばの安いのに比べて、量も少なければ値段も高い。えっ、いつからこんな乾麺事情になったんだ、と困ってしまった。あのそうめんに比べて太くて、コシを出しやすいのが好きだったのに…、とさみしくなった。しかたなく、細麺うどんにしたが、ひやむぎがなかった残念さを引きずって帰った。

すると、会社の気になる女性とたまたま会った。あ、こんばんは、こんばんは、とお互い挨拶を交わして、何の買い物ですか?と聞かれたので、夏らしく乾麺なんか見てきました、けど、ひやむぎがなかったんですよ、と言うと、女性も、えっ、今はひやむぎはないんですか?あたしも好きなんだけどなあ、残念、と会話を交わし、じゃあまた会社で、と別れた。けれど、ぽつねーんの彼は、好きな女性とひやむぎが好きなことで趣味が合ったので、とても幸せな気持ちになった。今日も仕事はきつかったけど、いいことあったなあ、と小さな幸せをかみしめて帰った。
彼はこんな小さなことで幸せなのである。もっと手の早い男性なら、あわよくば、と思うかもしれないが、彼にはそういうところがないことはないが、希薄なのだ。

やはり彼はぽつねーんとすべくしてぽつねーんとしているようだ。自分でもこの頃思う。俺はいつもぽつんとしているが、やはりこの欲望がとことん希薄なんだな、と。
それに彼はぽつねーんとしていても、周囲の人達が彼をばいきん扱いしたりしないでいつも支えてくれているから、寂しさも感じていない。ある日は、彼は仲間の一人から、あなたに人間的に好感を持っている人達もいるんですよ、と言ってもらい、えっ、そうなんですか?と驚いてしまった。こんなにぽつんとしている不人気な俺に好感、と、とても不思議だった。
人間は、自分自身を俯瞰出来るように、若い頃と違ってだんだん出来るようになってくるが、それでも人間個人には、自分の有り様は見えないところがたくさんあるようだ。

彼は、いつも通り、6時半には起きて、ラジオを聴きながら、朝ごはんを食べたり、顔を洗ったり、歯を磨いたりして、身なりもしっかり整えて会社へ行く。通勤電車の中で今読んでいる小説を読む。会社の最寄り駅に着くので、電車を降りて、改札を通り、会社へ歩を進める。着いたら、おはようございます、と同僚へ声をかけ、机に向かい、仕事をする。6時半に、会社を出て、いつも通りスーパーマーケットへ寄る。
この日は、こないだ乾麺やつゆを買ったし、買い置きの食材もあるので、ビールとおつまみと、台所洗剤を買って行く。
すると、また気になる女性と、帰りにばったり会った。
今日は何を買われたんですか?と聞かれたので、今日はビールにおつまみに洗剤だけです、食材なら家にあるので、と言うと、女性は、あたしはあなたの真似をして、今日は麺です、それに、ビール、と笑った。
そこで、じゃあまた、と別れた。
うんうん、今日もまたあの人に会えた、家に帰ればいつも通りぽつねーんだけど、これで幸せだし、これでいいな、と帰っていた。
すると、さっきの女性が歩いてきて、あの、と呼び止める。どうしたんですか?買い物は?と言うと、実はもうちょっと話したいことがあって。えっ、なんですか?と問うと、全く、いい人だけど鈍いですね、あの、女が恥をかかなきゃいけないなんて、あなたは最低ですね、あたしはあなたが好きなんです、と言った。          [了]
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