第1話

文字数 2,000文字

「あたしって盗みの才能あるじゃない? これって神がかってると思うの。だったらあたしが神様になって宗教はじめてみたらどうかしら。( セン)()(きょう)なんていいんじゃない?」
「お母さん、何わけの分からないこと言ってるの? 万引きは悪いことよ」
「あんたの父さんは株や不動産の才能を生かして家のお金を何倍にも増やしてる。あんたは絵の才能を生かして賞をたくさん取ってる。あたしだって同じように才能を生かしてるだけじゃないの」
「ビジネスや絵は悪いことじゃないでしょ?」
「盗みだって極めれば芸術よ。そういう意味ではあんたのやってる絵と一緒」
 私はあきれて何も言い返せなかった。母は数ヶ月前から近くのスーパーでドライバーだのボールペンだの、必要のないものを万引きしている。母は万引きする様子をまるで武勇伝のように誇らしげに私に語って聞かせる。万引きのことを父に言っても、父は母を止めようとしない。

「こうなったら……」
 母がスーパーに出かけると、私は先回りしてスーパーで待ちぶせた。万引きの現場を押さえて警察に突き出してやろうと思ったのである。これくらいしないと母は改心しないだろう。
 しばらくすると母がやって来た。こんなに長い間店員に気づかれないのだから、目にも留まらぬ速さで、しかもすごい技を使って盗んでいるのだろう。そう思った私は、何も見逃さないように母の行動を注意深く監視した。
 スーパーに来た母は顔面蒼白で不安そうだった。キョロキョロとあたりを見回しながら店内を歩く姿は完全に不審者であった。日用雑貨コーナーの前まで行くと、母はドライバーに手をかけた。そして、袖の中にドライバーを入れ……ようとしていたが、ドライバーの先端が袖に引っかかるらしく、入れては戻し、入れては戻しを何度も繰り返していた。途中、通りがかった客に気づかれそうになって、慌ててドライバーを商品棚に戻す場面もあった。万引きの現場を押さえにきた私でさえじれったくなるほど手間取った後、ようやく袖の中にドライバーを入れることができた。仕事を終えると、母は満面の笑みで意気揚々とスーパーを出ていった。

「……あれでよく今まで捕まらなかったもんだ」
 私は思わずひとり言をつぶやいた。母が普段話す武勇伝とはあまりにも様子が違いすぎ、母を取り押さえる計画などどこかに吹き飛んでしまった。しばらくすると店員たちの会話が聞こえてきた。
「またあの奥さん来たわよ。あの人毎日のように万引きしてるのに、いつまでたっても上達しないわね」
「あたしなんてお客さんが奥さんの万引き見つけて通報しようとしてたから、『私が通報しときます』って言ってお客さんの通報をとめたことあるのよ。店員が客の万引きの尻拭いするなんて聞いたことがない」
 店員たちが話していると、店長がやってきた。
「万引きの奥さんは?」
「店長お疲れさまです。奥さん帰りましたけど」
「あの人の旦那から、先月分の万引き代もらってないんだよね。2ヶ月連続で払わなかったら、警察に通報してもいいよね?」
「私に聞かれても……店長、なんでこんなこと許してるんですか?」
「旦那さんに頼まれたんだ。このスーパーの土地は元々旦那さんのもので、安い値段で売ってもらったから……恩を仇で返すのも、と思って。けどあの奥さん、才能ないねぇ。まぁ万引きの代金さえもらえれば、どうでもいいんだけど」

 店員たちの会話を聞いていると、ふと昔の記憶がよみがえってきた。
「お前の母さんは、若い頃女優になりたいって言って芸能学校に通ってたんじゃが、なれんかった。おじいちゃんはお前の母さんの将来が心配になってな。商才ありそうな男見つけたから見合い結婚させたんじゃ。結婚後もお前の母さんは自身の才能を見出そうと色々頑張ったが、どれも芽が出んかった」
「あたしがお母さんと一緒に通ってた絵の教室は?」
「あれもお前の母さんが才能探しではじめたことじゃ。あいつはすぐ辞めてしまったが、お前はあれこれ賞を取るほど才能を開花させた。お前の母さんは、商才のある旦那と、画才のある娘に囲まれて、さぞかし肩身の狭い思いをしてるだろうに」
 母は家族の前では自信家だった。しかし本当は才能のなさに落ち込み、父や私に一歩でも近づこうと焦りの気持ちでいっぱいだったのだ。父はこのことを敏感に感じ取っていた。そんな時に万引きが母の自信を取り戻すきっかけになりそうだと気づいた父は、陰ながら母を手助けしていたのだ。

「お父さんって、お母さんのこと、すっごく愛してるんだ」
 と私は難しい顔をしながら新聞を読んでいる父に言った。
「親をからかうもんじゃない!」
 父は私の思いがけない発言に困惑し、私をたしなめた。しかし恥ずかしさのあまり耳まで真っ赤になっていた。愛してる、これがすべてだったのだ。意外だけれど素敵な父の一面を見た気がした。
 このことがあってから、私は母の武勇伝を、笑顔で聞くようになった。
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