人生やりたいことリスト

文字数 1,859文字

 僕は、1冊のノートに人生でやりたいことを箇条書きで書いている。思いついたら増やして。達成したら線を引いて。ここ1年くらいは新しく書き足されたことはない。ただ、消していくだけ。すべての項目に線が引かれたとき、僕は自殺したい。生きなさすぎることもなく、生き過ぎることもなく。丁度よく死ぬ。
 今年の12月31日。その日が潮時だろうと計画している。死ぬ潮時。死に時。
 会社の同期の女性。ああ、名前はなんだったかな。覚えてない。A子さんとしようか。彼女にこの話をしたら、ひどく叱られた。とても正義感の強い、芯のしっかりとした女性なのだろう。自分の人生にもっと自信を持ってと言われた。
 しかしながら、僕はこれまでの人生の27年間のうち、15年くらいはこの人生計画について考えていたのだ。初めて聞いて15分程度のA子さんに僕の人生の自信がどうとか、寿命がどうとか説かれる筋合いはない。今年の大晦日に死ぬということに、僕は歴とした自信を持っているのだ。
 何度も開いて、草臥れたcampusの青いノート。そこに書き足すことは、最早何もない。富士山に登ったし、スキューバダイビングもしたし、就職して人並みの社会人を体験したし、恋愛もしたし、(重要視はしていなかったけれど結果として)童貞でもなくなったし。大体満足している。
 A子さんがcampusのピンク色のノートを見せてきた。まだ数回しか触っていないのだろう。新品でツルツルで濡れていない。「中本未来の人生計画」と縦書きでタイトルがついている。ああ、実に芯が通っている名前だなと呑気に眺めていたら、A子さん(中本さん、か)はノートを開いて僕に提示してきた。

☆☆☆やるべきことリスト☆☆☆
一つ、友達を1億人つくる
一つ、十五夜に、月面から「お地球見」をする
一つ、ラジオパーソナリティになって全世界配信の冠番組を持つ
一つ、真田慎二さんと来年の初日の出を見る

「なに?これ」
「私の人生でやるべきことリスト。真田さんの真似をしてみたの」
「真似するのはいいんだよ。僕のリストの項目と比べて、それぞれの難易度が規格外に高いのも、個人の自由だとは思うのだけれど。最後のこれ」
「あなたと来年を迎える。明けましておめでとうと言って、初日の出を見る」
「僕は大晦日には死ぬつもりでいるのだから。それは無理だよ」
「私はそれを止める。今思いつく、やりたい事柄がなくなった程度のことで死なせやしない。覚悟していなさい。あなたのそのノートが千冊あっても足りないくらい、あなたの人生が千年あっても足りないくらい、項目を増やしてあげるから」
 彼女の、その強い意志の、その強い言葉の、最初の目標として、〈来年の初日の出を一緒に見る〉らしい。立派な意志だろう。僕なんかが、そんな立派な意志をもつ、立派な人の、立派な人生の邪魔は出来ない。
 定時を超えた。中本さんはいつも定時ぴったりで帰宅する。羨ましそう、あるいは恨めしそうに上司や部下がその姿を見送る。
 campusの青いノートを開く。1ページ目から、やってきたことを振り返った。一つ、一つ。高校の球技大会サッカー部門で一点を決める。渾身のヘディングだった。文化祭で市塚さんに告白する。振られた。両親にハワイ旅行をプレゼントする。結婚三十周年記念として贈ることが出来た。一生で一番大きな親孝行だろう。城崎温泉に行く。文豪に憧れて。どこの温泉も熱湯風呂だった。ウルルに登る。これが出来たのはラッキーだった。観光客が登ることは出来なくなるらしい。社員旅行でたまに海外に行くという会社に就職して正解だった。
 12月31日に自殺するという項目に修正テープを引いて、書き直した。項目を書き足すと見れば、一年ぶり。この項目を達成した証として、僕が線を引くことはない。ノートをどうしようか数分逡巡して、結局、いつも通り鞄に入れておくことにした。晴れやかな、一仕事を終えた顔で、席を立つ。上着を羽織り、お疲れさまでした、と。オフィスの扉を開けながら、また明日、と。
 18時34分。未だ帰宅ラッシュの真っ最中。人が多い駅。
 遠くからガタンガタンと電車の音が聞こえる。
 こんなに混雑していたら、一人くらい線路に押し出されてしまっても仕方がないだろう。
 後悔は、何もない。
 やりたいことの最後が、これだ。
 電車の音が近づく。


〈中本未来さんの他人の生命や人生の幸福を希う立派で素敵で素晴らしい人生を一秒でも邪魔しないように、今日中に死ぬ〉
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