第1話

文字数 17,842文字

1.
「異世界転生もの」というジャンルが創作にはある。
いわゆる現実世界ではさえなかった俺だが、死後異世界に転生して引き継いだ知識やらチートで我が世の春を謳歌するぜ!というものだ。

これを下らないと見下す人たちもいる。その気持ちもわからないわけではない。だけど僕にとって、この異世界転生ものというジャンルは間違いなく救いだった。

誰だって夢想したことはあるだろう。
ああ、もし人生をやり直すことができたらと。もっと優れた容姿、優れた環境で、これまでの人生への反省を踏まえてやり直すことができたらと。あとはおまけで人より優れた才能を生まれ持っていたりしたら最高だ。そんなことを一度も思ったことがないという人間はそうはいまい。そんなことを一度も思ったことがないのは、よほどの勝ち組ぐらいだ。

僕だってそうだった。失敗するたびに、努力しても努力しても夢に追いつけぬ自分を自覚するたびに、ああ、なんてみじめな人生だろうと思っていた。

だからこそ、異世界転生ものというジャンルには夢があった。転生して堅実に努力を積み重ね、栄光を得る彼らを見るたびに、いつか僕だってと夢を見ることができた。お酒とゲーム、あとは小説ぐらいしか楽しみのない人生だったけれど、異世界転生ものは間違いなく、僕にとって救いだった。

だから。

だから僕がつまらない事故であっさりと死んでしまった後、我が身も異世界転生を果たしたと気づいたときにはそれはそれは喜んだものだ。たとえ前世が男で、今世が可憐な女の子であったとしても、それはちっとも苦ではなかった。むしろ将来の美貌が約束されているであろう我が身を見るたびに、思わずだらしのない笑顔を浮かべたものだ。

また、転生した環境もとても恵まれていた。大陸の北東に位置するそれなりの規模の王国の第二王女という身分は、それなりの贅沢ができた。何より、その世界の文明レベルは剣と魔法の支配する中世ヨーロッパレベルであったけれど、魔道技術の発達によって現代日本とそれほど変わらない生活を送ることができたのは僥倖だった。僕は、念願かなって前世より明らかに恵まれた環境を手に入れることができたのだ。

だが決して僕は慢心などしなかった。今度こそ満足できる人生を送るため、それなり以上の努力をしたつもりだ。

まずは勉学。前世での僕は、決してまじめな学生ではなかった。基礎をおろそかにし、テストの直前にありあわせの張りぼての知識で間に合わせていた。山を張る才覚だけはあったようでそれなり以上の大学には入れたものの、本物の秀才が集う大学で通用するはずもなく。評価はボロボロ。社会でも通用するはずがなかった。
だから今世での僕は、必死に基礎から鍛えなおした。第二王女という身分を生かし、国内最高峰の先生を雇い集めて師事させてもらった。なかなか厳しい先生もいたし、決して楽ではなかった。それでも子どもの脳というのは僕が覚えているよりはるかに物分かりがよく、この体の地頭もよかったようで、すくすくと知識を吸収することができた。今ならこの世界における主要五言語程度ならなら読み書きには全く困らないし、王国第一国立大学ぐらいなら受かるぐらいの学識はついたと自負している。

次に運動。前世での僕の運動能力はだめだめだった。ハンドボールは投げても10メートルは飛ばず、1キロ走れば息も絶え絶え。そもそも運動というものを嫌悪し、運動習慣なんてなかった。その結果が若年性生活習慣病の数々に百貫デブ。メンタルはズタボロで最後の方など風呂に入るのも億劫がっていたからさぞや僕の死体は臭かったことだろう。

だが今世ではそんな結末断じて認められなかった。それに何より、こんな将来美人になっていることが確定しているこの体を粗末にすることなど僕の美意識が許せなかった。だから毎日早朝夕刻のランニングは欠かさなかったし、日々の筋トレも一日たりとも欠かさなかった。12の頃になると城勤めの兵士たちに混ざって訓練に参加するようになった。最初の頃は姫様のおままごとに付き合わされるなんてと明らかに僕を煙たがっていたこの城の兵たちともすっかり仲良しだ。5年間休まずに訓練に参加し続けた結果、4人ぐらいとなら並みの兵士と同時に打ち合っても勝てるぐらいには剣の才能を高めることができた。魔術の才能がなかったのは残念だが、馬術の才能には特に恵まれて、この国最精鋭の近衛騎士団の面々よりもうまく乗りこなせるぐらいだ。体もすっかり引き締まり、短めに切りそろえた髪と相まって、ご婦人方から王子様と黄色い声援を浴びるのは気恥ずかしい限りだ。

周囲の環境づくりにもものすごく気を配った。僕の生まれた王国、フランソワ王国はその土地を治める領主である無数の貴族たちと、その頂点に君臨する王からなる専制国家だ。
この国では僕が生まれたころ、民は生かさず殺さず搾り取れるだけ搾り取るもの、という価値観が宮廷や貴族の間では主流だった。幸い両親である国王陛下は民はいつくしむべきものと考えていたが、そんな価値観の貴族はごく少数だった。僕はこれではいけないと思った。なぜならこの構造は民が黙って支配に耐えている間はまだいい。だがその支配が行き過ぎて、民たちが怒りのままに立ちあがったら?真っ先に彼らの憎しみの的になるのは僕たち王族なのだ。ギロチン送りになるのはごめん被る。真の怒りに民たちが立ち上がった時、それを抑ええた専制国家は歴史上存在しないのだ。そしてそういう場合旧支配層はたいてい悲惨な目に合うのが相場だ。しかもこちとら可憐な男装のよく似合う美少女なのだ。飢え猛った者たちに人間の尊厳を汚されるのは何としても避けたい。

だから両親に国の基礎は民であるとしてあまりに民を虐げる貴族の処分を提案。また国の各機関の上級職にも平民を広く登用するよう提案した。また各地で学校を作り国民に学力向上並び王室への敬愛の精神を教育することを提案した。他にもこの国の軍制は平民と異なり貴族は魔法を使えるからという理由で貴族を中心とする騎士団制を中心としていた。ただ平民兵を替えのきく消耗品程度にしか見ておらず、このことに不満を持つ平民や平民士官も少なくなかった。だから彼らの不満をそらすために、平民主体となる歩兵部隊を作り、その武器には最近北方連合で開発されたマスケット銃を当てることなどを提案したりした。

ただまあさすがにこうした改革案は短兵急に過ぎたらしく、貴族達の根強い抵抗もあり、ほとんどが実現の目を見なかったのは残念だ。貴族の処罰はほとんど行われず、王の直轄地にしか学校はおけなかった。
ただ、僕の手元にそこまで言うのならといくつかの平民主体となる歩兵連隊創設の許可が下りたのが幸いといえば幸いか。平民という身分の枠にとらわれ出世にできずにいた、グランツ、ヴァイス、ケーニッヒという優秀な指揮官を確保できたことも幸いに入れられるかもしれない。それにこうした一連の改革により僕の評判は平王都の市民の間では悪くないらしい。
これなら、万が一のことがあっても僕だけは何とかなるかもしれない。

そう、僕はできるだけのことをやったのだ。僕の人生は安泰だ。気の合う娘たちも宮廷の社交界にできたし、その娘たちと一緒にサロンでくつろぐのは幸せの極みだ。おいしいお菓子に、おいしい紅茶。まったりと好きな小説について語り合える友人たち。時に軽くいちゃついてみたり。勿論お互い本気になったりはしない。お互い節度をもって、一夜の夢を共にする。夢にまで見たパラダイス。
ああ幸せだ。いつか結婚して身をかためなければならないとはいえ、当分はこの幸福を堪能できる。




そう。





そう、思っていたのだ。あの時までは。

2.
王城の作戦会議室には悲鳴のような報告と罵声が飛び交っていた。
「第53歩兵連隊、壊滅!ワルター大佐殿、戦死!」
「第206魔道士中隊、敵に完全に包囲されたとのこと!救援を求めています!」
「第28近衛騎士連隊より決別電!『我残存兵力ナシ。王国ノ藩屏最期ノ意地ヲ見セン。王女殿下ニ栄光アレ』」
「206の救援にはリッテン伯の騎士団をあたらせろ!……何?!リッテン伯が裏切っただと?!
「第一防壁より緊急電!『我突破サレツツアリ』!」
「第一防壁を抜かれれば市街になだれ込まれる!近くに第208歩兵中隊がいただろう!何としても防がせろ!」
「今から急行しても間に合うかどうか……!」
「間に合う間に合わんじゃない!間に合わせるんだ!」

届くのは悲報ばかり。軍事の専門家でもない僕にもわかる。今、まさに王国は崩壊しつつあった。

どうして、どうしてこうなった。僕は思わず自問する。

始まりはなんてことはない、単なる地方の反乱であったはずだ。物珍しいといえば彼らの長が前国王の庶子を名乗り、国政を壟断し民を虐げていると主張したことぐらいだ。その主張は内実を知るものからすれば失笑ものであったであろう。そもそも前国王は愛妻家で庶子などいなかったことは宮廷では有名であったし、そもそも王室は民に対して寛容であった。実際王直轄地では関門も撤廃されており、税率も低く、裁判も公正だった。確かに近年の王室主導の改革で王国一律に追加の課税は行われている。だがそれは事前に三年後には再度の引き下げが予告されており決して重いものとは言えないもののはずであった。

そう、だからそもそも反乱のおこる下地などなく、仮に反乱がおこったとしても、既存の騎士団の力で鎮圧可能、その見立てだったのだ。

しかし動くべき騎士団は初動が非常に遅く、革命の蔓延を招く。危機感を持った王室が近衛を中心とする王直轄軍を率いて鎮圧に向かうも、魔道地雷なる隣国のルーシー連邦で開発中と噂の新型兵器を反乱軍は大量に保有しており、それらの活用により革命軍との会戦で王直轄軍は完敗。
王は戦死し生き残った皇太子二人もさんざんなぶりものにされたうえで殺された。

そしてこの敗戦以来各地の貴族たちはこぞって反乱軍側に参加。今では革命軍を名乗り、散発的に抵抗を続ける王直轄領を焼き払いながら王都に向けて進軍している。

だから僕は自問する。どうしてこうなった、と。

3.
だが民たち、とくに反乱を起こした地域の民たちからからすればまた違った見方がある。ただでさえかつかつの苦しい生活を送っているというのに、更なる課税。しかもこの課税は自分たちの領主様が決めたものではなく、お転婆で有名な王女様の思い付きによるものらしいとのうわさが入る。それに加え、王直轄地に「がっこう」なるものを立てるため人手を供出するようにという。高くなった税金に働き手の供出。さらには普段は威張り散らしている領主様の部下たちが珍しく申し訳なさそうな顔をしながら、「王命遂行のための準備費用」と称してなけなしの家畜さえ持っていく。このままでは到底冬を越せそうにない。民たちは限界であった。

そこに現れたのは「前王の庶子」を名乗る男とその手勢たち。彼らは言う。君たちの生活が苦しいのは今の王室のせいだと。王女のわがままが今の君たちの苦境を作った。さらに散々この国に尽くしてきた我らの領主様に冤罪を着せて殺そうとしているのも王女様だ。領主様がこれ以上の税金の引き上げに反発したからだ。ここだけの話5年前の大増税も10年前のイワナ村のあの虐殺も王女殿下の指示らしい……。

民衆は怒り狂った。もはや現王室の横暴許し難し。たとえ反逆罪に問われることとなっても反乱を起こすしかないといった熱狂の渦が沸き上がる。

そして粗末な農具を構えて領主府に向かおうとした民衆に向かって庶子と名乗る男は言う。
今の現状を憂いているのは何も君たちばかりではない。心ある商人たちもだ。この武器は彼らからの支援だ。心置きなく使いたまえ。その言葉とともに渡される領主府の兵隊たちが使っているような質のいい武具たち。

武具をそろえ意気揚々と進軍する民たちが領主府の兵たちといよいよ遭遇し、熾烈な戦闘がかわされる‐ことはなかった。

庶子を名乗る男の前で跪く領主とその私兵たち。お待ちしておりました閣下と深々と領主は頭を下げる。以前より現国王の悪政には心を痛めておりました。民を救わんとするその崇高な志、小生は感服仕りました。我々もその義挙にぜひ加わりたくと。庶子は鷹揚にうなずく。そなたの忠義、大変見事である。と。

民は思った。ああ、自分はまさに天が正される場面に出くわしているのだと。忠義の心を新たにする民たち。これと同様の光景は彼ら反乱軍が進むたびにみられる。そのたびに反乱軍の規模は増大し、いつしか革命軍を名乗るようになった。

そしてこれを重く見た王直轄軍もいよいよ動き出す。だが時の理は革命軍にこそあった。貴国の窮状には心を痛めると、革命軍に対する、本来であれば長らく紛争状態にあったルーシー連邦からの魔道地雷をはじめとする多数の軍事援助。その中には超重装騎兵と呼ばれる極めて高い突破力と殲滅力を持つ代わり、育成に非常にコストのかかる騎兵の派遣や近年の連邦の拡張政策を支える頭脳である参謀群の派遣も含まれていた。同時に北方連合からは対魔導士戦闘に近年高い評価を得つつある大量のマスケット銃の無償譲渡とその訓練の実施。大義は我にありと革命軍の士気はいやがおうにも上がる。

そして、王直轄軍との激突。王直轄軍が大陸に誇る重装魔道騎兵の突撃は魔道地雷によって粉砕され、浮足立った軽装魔道士連隊をマスケット銃の猛射が襲う。

何とかそれを援護しようとした新設の歩兵連隊も、義勇軍の超重装騎兵の突撃によって粉砕されると勝敗は完全に決した。残されたのはほぼ無傷の革命軍と、最期まで頑強に抵抗を続ける傷まみれの近衛兵たち。そのけなげな抵抗も怨嗟に燃える革命軍本体の突撃によって完膚なきまでに叩き潰された。最期まで抗いぬいた近衛に対する民衆の憎悪はすさまじく、生け捕りにされた皇太子の目前で男の捕虜は拷問を受け殺され、女の捕虜は正気を失うまで輪姦された後やはり殺された。そして青ざめる皇太子たちも同じように拷問を受け、民衆にこれまでの非道をわびた後、庶子―今では主席と呼ばれていた‐の命令で処刑された。

これによって勢いを得た革命軍はそのまま王都を目指した。途中王直轄領では散発的な、だが激烈な抵抗を受けたものの、各地からこぞって援軍に現れる各領主の協力もあり、次々と粉砕していった。またその抵抗の報いはすさまじく、王直轄地の男はことごとくが処刑され、女子供は正義に仇なす不穏分子として、革命軍の指導教育に服すものとなった。

また革命軍が王都を包囲するころには、長らく王国と友好関係にあった南方都市同盟が突如として王国に宣戦を布告。王国最大の軍港キールを占拠すると、革命軍に義勇軍の派遣と接収した在南方都市同盟の王国市民財産の返還を提案。革命軍はこれを受け入れ、結果王都は3万の守備兵に対し18万の大軍で包囲されることとなった。

革命軍の士気は天を焦がすほどに高まっていた。

4.
城の窓の外から「うおおおおおおお!」という歓声が聞こえてくる。それは獣の咆哮のようでもあり、血に飢えた蛮族の叫び声のようでもあった。

おそらくは城外陣地の最後の一つが陥落したのだろう。僕は通信魔導士官を確認するように見る。ゆるゆると首を振る彼。

「第58防衛陣地との通信が途絶いたしました……。」

参謀の誰かがつぶやく。

「これで、我等の残存兵力は王城内に残す5000の将兵と、2万の民間人のみです……」

参謀長が低く怒鳴る。

「民間人を戦力に入れるな、馬鹿者!我等将兵の存在意義は民間人の保護にあるのだぞ!守るべき民を戦わせようなど貴官は何を考えておるのか!」

「しかし……!」
その議論を手を挙げて制する。
わかっていたことではあるけれど、それでもやっぱりな報告に僕は重くため息を吐く。

これで、王都は完全に反攻の拠点を失ったことになる。もはや王都に残された道は、このまま籠城して飢え死にを待つか、突入した反乱軍の兵によってなぶりものにされるか、あるいは華々しく突撃して散るか。そのどれかしかなかった。

「いや、もう一つあるな……。」

僕はつぶやく。それは僕が死んで僕の首で、何とか王都守備隊と住人の助命を乞うこと。
勿論僕だって死にたくはない。だが、僕はこの世界で17年間この王都を家として生きてきた。今も王都に残っている人たちとはほとんどが顔見知りだ。みんないい人たちばかりだった。正直お忍びで出かけたり、改革策を出したり、あるいは兵士のまねごとをしたりとかなり破天荒な姫君だったかもしれない。だがみんな最後は姫様は面白いなあと笑ってみていたくれたのだ。そんないい人たちを無残に死なせるわけにはいかない。

僕は自室に戻りペンを執る。あて先は革命軍主席。これまでの不明をわび、自身の首をもって城兵と市民の助命を願う。正直屈辱と恐怖で手が震える。僕は決して間違ったことなどしてこなかったはずだ。確かに増税を指示はしたけど、彼らのいう虐殺だなんて一度も指示をしたことがない。僕はただ、僕と手の届く周りの人を幸せにしたかっただけなのに。

それでも。

「しにたく、ないよお……。」

涙が抑えられない。膝を丸めその間に頭を埋め込む。死ぬのは嫌だ。あの自分という存在が徐々に希薄になって、不可逆的に消えていくあの感覚。あんな思い、二度としたくなかった。僕が死ぬべきなのはわかってる。それでも歯がカチカチとなるのを抑えられない。

「だったら、逃げ出すべき」

いつの間にそこにいたのか、氷のようにフラットな声とともに後ろから首筋に抱き着くように手が回される。そこから漂う甘い桃の香り。だが、僕はその人の魂が氷のように冷たいわけじゃないことを知っている

「ユリか……。」

振り返ると小柄な、前髪をぱっつんと切りそろえたメイド服の少女が無表情で立っていた。彼女の名前はユリ。僕がかつて暗殺者ギルドを壊滅させたときに拾って、それ以来ずっと僕のそばで支えてくれた少女。か弱い外見だがその腕は確かだ。特に諜報、隠密の腕は王国随一といってもいいだろう。そんな少女からすれば、カギの一つや二つ、軽いものなのかもしれない。そんなことを思いながらいつの間にか鍵の開けられている自室のドアを見る。

「人払いしたつもりだったんだけどなあ」

僕はぼやく。最後に情けない顔はみせられないと下を向きながら。

だがその頭がユリの胸に引き寄せられる。

「あなたは自分のためといいながらたくさんの人を助けてきた。最期ぐらい自分のために生きても許される」

「だから、あなたは生きて」

その表情に、口調に変化はない。いつものように無表情で、平坦。感情なんてとてもうかがえない。でも長らく一緒にいた僕にはわかる。肩の震え。目の揺らぎ。これはかつて薬物で精神を壊されてしまった彼女なりの、精いっぱいの感情表現なのだと。

だから

「ありがとう……。」

僕は決心する。こんな少女を道ずれにはできないと。

僕はユリの目をしっかりと見ながら言う。

「でもそれはできない。これは、僕のやるべきことだから」

「でも……!」

「あと、後追いも絶対に許さない。ユリは、僕の分まで生きて」

ユリが目を開く。その眼からはらはらと涙が落ちる。いやいやと首を振るユリ。自分が残酷なことを言っているのはわかっている。それでもユリには生きてほしかった。僕が今世で唯一恋した相手としては。そういやこの思いだけは照れくさくて伝えてなかったなと思い口にする。

「ごめん、ユリ。それでも僕はユリが好きだから。」

そしてユリに口づけをする。ビクンと震えるユリ。拒絶されたらどうしようと思っていたけれど、どうやらその心配はないようで。おずおずと背中に手が回されるのが可愛らしい。
そして永劫とも思える時が過ぎたころ、僕たちは離れた。

「わかっ……た……。私は、姫様の分まで生き延びる……。」

震えながらそういうユリ。その眼には涙がともっていて、嗚呼綺麗だなとぼんやりと思う。
こんなことを思えるぐらい僕も落ち着いたらしい。いつの間にか死を目前にしているのにやけに落ち着いている自分を確認してちょっと面白く思う。

「ではね、ユリ。」

そう言うと僕は腰から長剣を抜き放ち、自分の首筋に当てる。それを一気に引き抜こうとして

「ちょっと待って下せえ」

突如として現れた無骨な両手に止められた。

「何をするんだ!」

さすがの僕もこれにはむっとして低く怒鳴りつける。そこにいたのは歴戦の中年士官とでもいうべき風貌の、かつて僕が抜擢したヴァイス中佐だった。せっかく人が気持ちに整理をつけて死のうとしているのに何をするんだ。そんな思いを込めてにらみつける。ヴァイスは、おお怖い怖いと降参するように両手を上げつつ

「いやね、姫様の覚悟は実にお見事。ですが連中降伏を受け入れる気はさらさらないようでして」

などとのたまう。

「何?」

思わず聞き返す。そうするとヴァイスはいつものような皮肉げな表情を浮かべると

「いや、きっと姫様ならそうなさるとそう信じて一足お先に降伏文書を出させてもらったんですわ。勿論姫様のお名前を借りてね。ただまあ、結果はなしのつぶて。いたぶられた使者だけが帰ってきたという始末で」

といった。とりあえず言いたいことはたくさんあるけれど、まずは

「ユリ、そのナイフをしまって」

いつの間にかナイフを抜き放っているユリを制止する。

「でもこいつは……!もし姫様がお命をささげるつもりじゃなかったらどうする気……?」

「いやあ、姫様はそうはなさいませんとも。何があっても、ご自裁していたことでしょう。いや、ご自裁いただく。たとえどんな手を使ってもね。それで多くの民が助かるのですから。」

「貴様……!」

ヴァイスを睨みつけるユリに、それに対し飄々とした態度を崩さないヴァイス。だがその手は腰の小ぶりなナイフに充てられている。ユリからすれば、民が助かるならば場合によっては僕の首をとることも辞さないと言ったヴァイスが許せないのだろう。

だけど

「もういいよ、ユリ。」

「でも……!」

「いいんだ。」

僕はそういったところを買ってヴァイスを引き立てたのだから。

「そうですぜ、嬢ちゃん」

だが軽口をたたき続けるヴァイスは睨んでおく。この男の人を食ったようなところは若干苦手だ。

ふとヴァイスは表情を改めると胸に手を当てるといった。

「姫様、この独断の責めは小官のみにあります。どうぞご随意に処分くださいませ」

僕は軽く息を吐いて手を振って見せる。

「もういいよ、君は自分の正義を貫いたまでだ。そしてそれは正しい」

そう、ヴァイスは正しい。彼はこんなふてぶてしい態度をとっているが、民を思う気持ちは本物だ。たとえ自身がそのせいで処刑されそうになったとしてもその在り方を変えようとしなかったその姿。僕には少しまぶしいぐらいだ。

「で、ありますか」

あなたならそうするでしょうともと、いわんかばかりのにやにや笑顔を浮かべるヴァイス。それに再度ユリがナイフを抜きかけるのを目線で制する

「それにこれからにおいて貴重な将兵をすり減らすわけにはいかないからね」

いわんとしたことを察したのであろう、ヴァイスも沈黙する。

「なぶり殺しは、ごめんだ。どうせ死ぬなら、華々しく死なせてやりたい」

そう溜息を吐く。まったくもって忌々しい二者択一だ。華々しい突撃で屍をさらすか、粘れるだけ粘ってなぶりものにされるか。

死ぬのはやっぱり怖い。でもなぶりものにされるのはもっといやだ。これは他の将官や民たちからしても同じだろう。
もうここに至っては城門を開いての突撃しか道は残されていなかった。それにしても破れかぶれの突撃をしなければならないとは、つくづくみじめなものだと苦笑する。

「なあに、一世一代の晴れ舞台です。せいぜい奴裏に我らを嘗めたツケを見せてやりましょう」。

ヴァイスが励ますように僕の肩をたたく。その声はいつものように皮肉げではあったけれど。心底いたわりに満ちていて。叶わないなあと天を仰ぐ。

「では小官はこれにて。動けるものは城門前広場に集めます。30分後の突撃でよろしいですな」

きびきびと退出していくその背中。

その背中に僕は呼びかける。

「動けないものや戦う気のないものには毒薬を配って……。使うかどうかは、彼らに任せるから……」

これは僕にできる精一杯。突撃が開始されれば、この城は手薄になる。瞬く間に敵兵に乗り込まれるだろう。そうなればどうなるか。地獄の出来上がりだ。王都は広いといっても17年ここで過ごしたのだ。度々お忍びで抜け出した身としてはほとんどが顔見知り。そんな彼らを地獄に連れていきたくはなかった。だからこその毒。

一瞬びくりと震えるその背中。小刻みに震えている。ヴァイスなりの葛藤があるのはよくわかる。でもこれは何としてもやってもらう必要があった。一分、二分。沈黙が続く

やがて、ヴァイスは「はあ」と重々しくため息をつくと

「人生とは、ままならんものですな」

といい、その言葉を最後に、階段を下りて行った。決して振り返ることなく。

ふう、と重いため息を一つつく。つくづく僕は為政者失格だなと思いながら。どこの世界に自分の民に毒薬を配るやつがいるのだろうと。本当に嫌になる。だがいつまでもくよくよしてはいられない。時間は有限なのだから。

「ユリ、君は脱出準備だ。僕の先ほどの命令に変更はない。君は何があっても生き延びろ」

ユリの顔を水にそう言い捨てると僕も部屋を出る。呼び止めたそうなユリに背を向けて。

今だけはこの顔を見られたくはなかった。


5.
作戦会議室に向かって参謀たちに方針を伝える。誰もがうすうす予期していたようで、反論は出なかった。参謀たちは、手勢を引きいて残っている城壁の防衛にあたるらしい。
少なくとも、敵は突撃してくる僕たちと、抵抗を続ける参謀たちと戦うことになる。これで、少しは姫様に楽をさせられましょうと、疲れ切った笑みを浮かべる参謀長の両手をしっかりと握りしめる。ぐるりと部屋を見渡す。若い参謀などは泣きながら機密書類を燃やしていた。死にたくない、死にたくないとつぶやきながら。でも、最期はみな笑って僕を見送ってくれた。死後の世界があるなら、また姫様のもとで働きたいですななどとうそぶきながら。

武装を整えて城門前広場につくと、そこではもう皆が待っていた。そこには無数の人々がいた。重装甲魔道騎兵の生き残りから軽装魔道連隊の生き残り。果ては陣地防衛部隊の生き残りまで。他にもたくさんの顔見知りがいた。パン屋のおっちゃん、仕立て屋のおばさん、皆が皆手に武器となりそうなものをもってそこに立っていた。

遅れてやってきた僕に一斉にその目が向く。その眼はぎらついてはいたけれど僕に対する負の感情は感じられなくて。最悪罵声の一つや二つは覚悟していただけに拍子抜けする。すると突然
「だから姫様は心配しすぎなんですって!」
と乱暴に背がたたかれる。そこにいたのはお調子者のグランツ中尉。彼もまた、僕が引き抜いた有望な指揮官だ。それに対し規律に厳しいケーニッヒ大尉が
「以前から気になっていたが、貴官は姫様に対しなれなれしくはないか?主従の関係はしっかりさせるべきだと私は前から……」とこんな時だというのに説教を始める。それはまるで見慣れたいつもの光景で。思わず笑ってしまう。

それを目ざとく見つけたテーラーのおっちゃんが言う。
「お、姫様が笑ったぞ!」
それに続いて町のみんなが、兵士のみんなが口々に言う。
「うん、うん、姫様はやっぱり笑ってなくっちゃ!」
「別に私たちはあんたを恨んじゃいないよ!だってあんたは今までみんなのために一生懸命働いてきたじゃないか!」
「王様には別に義理はないが、姫様は別だ!姫様には散々面倒を見てもらったからな!」
それは紛れもないいたわりの言葉。皆のやさしさが身に染みる。勿論、言いたいことはそれだけじゃないはずだ。こんな事態を招いた僕に対する恨みの心ぐらいはあるだろう。でもこうして言ってもらえるぐらいには僕のやってきたことは無駄ではなかったのだと思うと涙があふれてくる。

「みんな、ありがとう……」

「本当に、ありがとう……!」

みんなの顔をじっくりと見まわす。みんなみんなくたびれた顔をしているけど、みんな確かに笑っていて。

僕は剣を抜き放ち、叫ぶ

「みんな、僕を見守ってくれてありがとう!ついてきてくれてありがとう!僕たちに勝ち目はないかもしれない!でもあの嘗め腐ったことをしゃべくり散らかしている革命軍とやらに痛い目に合わせることはできる!」
「教育してやろう!僕たちの意地を!見せつけてやろう!僕らの誇りを!革命軍に、死を!」

皆が叫ぶ

『革命軍に、死を!王女殿下、万歳!』
『革命軍に、死を!王女殿下、万歳!』
『革命軍に、死を!王女殿下、万歳!』

「城門開け!突撃!!!!!」

開け放たれた城門から一気に飛び出す。狙うは敵本陣。そこに革命軍主席とやらがいるはずだ。彼を討てば、少なくない打撃を革命軍に与えられる。場合によっては、瓦解にまで持ち込めるかもしれない。そう信じて。

凍えるようにあった死に対する恐怖心も今はもうない。皆と一緒なら、どこまでも行ける気がする。群がってくる敵兵に剣をふるう。そのたびに敵兵の首が飛ぶ。なぜだか今日は剣の走りがいい。まったく負ける気がしない。その調子で剣を振る、振る、振る。皆も鬼気迫る様子で武器をふるう。その様子はまさに一騎当千。先ほどまで剣を持ったこともないようなおっちゃんが、敵から剣をもぎ取り周囲の雑兵を切り倒していく。それこそ力尽きて動けなくなるまで笑顔で剣をふるい、そして力尽きていく。そんな様子に、革命軍全体に動揺が走る。彼らはそもそも一方的な勝ち戦とそのあとの虐殺することしか考えていなかった。そのつもりが予想外の抵抗にほころびを見せている。それでも、それでも数の差は覆せない。あちらこちらで兵が、市民が打ち取られていく。

そんな中馬を寄せてきたヴァイスが敵陣の一か所を指さし叫ぶ。
「みろ!あの赤旗が敵の本陣だ!あそこを突けば敵を崩れる!」

つられてそちらを見据える。確かにそこには大将の所在を意味する赤旗と、そのそばのやけに豪奢な椅子に青ざめて腰かけている一人の青年の姿。

「確かにそうみたいだね!ならば君がいけ!僕たちの中で一番腕が立つのは君だ!僕たちが敵を食い止める!」

そうして敵の集団に突っ込もうとしたとき

「嫌ですな!」

馬首を遮られる。そしてヴァイスは猛烈にすごむような笑顔で彼の部下に叫んだ。

「敵の大将首をとるのは大将と相場が決まっている!おい、お前ら姫様をあの糞野郎のところに届けろ!死んでも姫様を守れ!」

そしてヴァイスはかつて見たことがないほど真摯な表情でこちらを向くといった。

「このヴァイス、姫様にお仕えできたこと、一生の誇りでありました!……それでは!」

そして背を向けると雲霞のごとき敵兵に切り込んでいく。
その機に従い即座に彼らはぴったりと僕を囲い走り始める。一部の隙もなく。僕に立ちふさがるすべての危険を排除せんとして。敵弾が集中する。倒れても即座に後続のものがその穴を埋める。それは見事な連携。だけどそれでは、

「まて、待ってくれ!それではヴァイスが!」

ヴァイスが孤立してしまう。彼はたった一騎で群がる雑兵を相手にしていた。神速の槍の突きが反乱軍を襲う。次々と倒れる反乱軍の雑兵ども。だが明らかに多勢に無勢だ。明らかに手傷が増えていく。それでも槍は鈍らない。反乱軍の死体が積みあがっていく。敵に囲まれているというのに、その顔に恐れはなく。いつものように皮肉気な顔を浮かべたままで。刹那ヴァイスと目が合った気がした。その眼はとても澄んでいて。時が止まったような一瞬。嗚呼綺麗だな、と思わず見とれてしまった。だから、次の瞬間見てしまった。幼げな少女がヴァイスの背中から、槍を繰り出すのを。それを切り払い首を刎ねんとするも、あきらめたように微笑んで一瞬硬直したヴァイスの姿を。瞬間、次々とヴァイスにつき立つ槍の数々。ヴァイスが馬より引きずり降ろされる。群がる雑兵。

「そんな!ヴァイス!ヴァイス!!」

僕は叫ぶ。必死に馬首を返そうとする。ヴァイスには散々皮肉も言われたし、決して大の仲良しというわけでもなかった。でも、彼はいつだって親身に相談に乗ってくれたし、その皮肉交じりの忠告だって、いつだって正しかった。そんな彼が、こんなところで。許せなかった。

だが、

「姫様、落ち着いて下せえ!」

横を並走する古参の軍曹にしたたかに殴られる。その眼は血走り、歯を食いしばっていて。僕はハッとする。助けに行きたいのは彼らも同じなのだ。それでも、彼らは陣形を崩さない。ヴァイスの命を遂行するため。そして革命軍首席を打ち取れば、この革命騒ぎもが解する。その可能性にかけて。

「……ごめん」

僕は謝る。ヴァイスの行為を無駄にしかけたことに。辛いのは彼らこそなのに。

「いや結構です。そんなところに隊長は惚れたんでしょう」

「なに、すぐにまた会えますよ。謝罪は隊長にでもしてくだされ!」

『わはははは!』
皆が笑う。笑う。悲壮感を吹き飛ばすように。僕はもう振り返らなかった。背後から爆発音が響いてきても、決して。

そして進む、進む。敵弾が集中する。皆が僕をかばって弾を受けていく。耐えきれなくなったものが一人、二人と続けざまに落馬する。群がる雑兵。だが僕たちは足を止めない。背後から連続する爆発音が聞こえてきても、決して。

でも僕たちの数も一人、また一人と減っていき。いつしか走っているのは僕だけになった。だがその時にはもう本陣の中。主席とやらに剣を伸ばせば届く距離。

「逆賊!覚悟!」

護衛と思しき雑兵がへっぴり腰で槍を突き出してくるのを切り払う。そして腰を抜かして這いつくばる男に剣を振り上げる。狙うはその首。何としてもその首だけはもらうつもりだった。死んでいった皆の顔がふとよぎる。ヴァイス、グランツ、ケーニッヒ。お城の兵隊さんたち。町のみんな。こいつだけは絶対に殺す。視界が殺意で赤く染まる。

「死ねええええええええ!」

そして



タタタターン!

響き渡る破裂音。

感じる衝撃。

投げ出される僕。

地面にたたきつけられる。

とっさに起き上がろうとするも、なぜだが力が入らない。ぬらぬらとした血の感覚。

視界の端ではマスケット銃を構える集団。周りの反乱軍の雑兵どもが逃げ惑う中、彼らだけは規律だっていて。僕から見てもほれぼれするような速やかさで第二射の用意をしている。それは明らかに反乱軍風情にできる動きではなかった。そして極めつけに聞こえてくる号令は北方連合語。

(ああ、そういうこと。)

僕は内心ようやく理解する。諜報部からは、この革命の背後に諸外国の影があることは早くから指摘されていた。そして実際王直轄軍が完敗してからだが、ルーシー連邦からは軍事顧問や「義勇軍」、魔道地雷とやらが、北方連合からはマスケットや武器弾薬が送られていることは把握していた。だが正直疑問だったのだ。革命軍風情に起爆させればいい魔道地雷はともかく、マスケット銃の高度な運用などできるものなのかと。その答えがこれ。連中、本国からわざわざ部隊を呼び寄せたらしい。しかもその練度からして、教導隊クラスの部隊を。北方連合の介入は武器弾薬の提供とマスケットの教導程度にとどまり、ルーシー連邦ほどの本格介入はしてこないだろうとの報告を真に受けたのがこのざまだ。実際のところは北方連合最精鋭の部隊を投入するぐらいの本気ぶり。それでは負けるはずだと苦笑する。それにこれでは僕の突撃もヴァイスの部下が生きてたところで粉砕されただろう。

これを予測できなかったのは僕のミス。ただ外国からのお客さんが来ているのならのんびり寝てなどいられない。何とか最後の力を振り絞って立ち上がる。ついでにうかつに近づいてきた反乱軍の雑兵3、4人を続けざまに切り捨てる。

(バーカ)。

内心つぶやく。いくら致命傷たりともいえ、ろくに訓練もしていない反乱軍の雑兵になど後れを取るわけがなかった。僕の17年間の研鑽を嘗めないでほしい。ついでに彼らにトラウマを刻んでおくかと内心小さく笑うと僕は叫ぶ。

「我こそはユーリ・フランソワ!フランソワ王国が第二王女なり!反乱軍の長、主席とやらの首をもらいに来た!功が欲しければ僕を討つがいい!」

「王女、王女だぞ!」「賞金首だ!」そんなざわめきが僕を取り囲む集団に走る。さっそく飛び出してきた間抜け2,3人を切り殺す。そして慌てて逃げ出そうとした4人目はあえて足の健だけを切り、這いつくばったその背中に剣をつき差しぐりぐりとえぐる。つんざく悲鳴に僕を取り囲む反乱軍の輪に動揺が広がる。
「馬鹿な、化け物……!」「話が違うじゃないか……!」
僕が一歩前進すると反乱軍が二歩下がる。反乱軍の輪が広がっていくのが面白い。
だが、彼らは、マスケットの集団は全く動揺のそぶりを見せない。隊長の号令に従って輪の隙間を縫うように前進してくる。そして筒先が一斉にこちらを向く。遠方からは義勇軍とやらの騎兵部隊がこちらに向けて突っ込んでくるのが見える。おそらくは城内の掃討をおえ、おいしいとこどりは許さないとでも言いたいのだろう。つまりは詰み。でも、僕は決してマスケットの指揮官から目をそらすつもりはなかった。

「お見事」

指揮官の口が小さく動いた気がした。振り下ろされるサーベル。一部の隙も無くそろえられた銃口が一斉に火を吐く。

先ほどとは比べ物にならないほどの衝撃に崩れ落ちる。自分にとってかけがえのないものが失われていく感覚。冷たく、寒い。あのいやな感覚。それでも僕はまだ生きていた。

運がいいのか悪いのか、僕は即死しなかったらしい。でもこれで最後の後始末をつけることができる。

かすむ視界の端で雑兵どもが群がってくるのが見える。その眼は欲望にぎらついていて。この首にかかった懸賞金が目当てか、それとも血まみれとはいえ見事な僕の肢体が目当てか。どちらでもいいなと苦笑する。だって彼らの欲望はかなわないのだから。

(悪いね、この首はやれないや)

最期の力を振り絞って腰の後ろにつけた小箱に伸びた紐に手を伸ばす。
これは出撃の直前、ユリからもらった小箱。せめて辱められないようにと、わずかな時間でくみ上げてくれた小型の爆弾だ。

ふと、マスケットの隊長と目が合う。遅まきながらこちらのすることに気づいたらしい。驚愕に顔をゆがめると部下たちに退避、退避と叫んでいる。でも押し寄せる反乱軍が邪魔をして、うまく逃げ出せていない。

(ざまあみろ、ばーか)

内心つぶやく。そして僕の体が吹き飛ぶ直前、王都の西の丘にたたずむ一騎の騎影を目にする。それははるか遠く。遠目に見えただけだけど、それはユリだとわかった。

(よかった、脱出できたんだね……)

内心安堵する。あれだけ離れていれば、逃げ延びられるだろう。

思えば、この世界に来て色んなことがあった。楽しかったこと、悲しかったこと。
色んな人にもあった。よくしてくれた兵士さんやパン屋のおっちゃん。ヴァイス、グランツ、ケーニッヒ。サロンのみんな。みんなみんな死んでしまった。でもなんでだろう、また会える気がする。

僕は二回目のこの人生、決して後悔していない。僕は思うがままに生きられたのだから。

ふとユリの最期に見た顔がよぎる。まるで猫が飼い主に捨てられたような、途方に暮れた目。でも最後の命令に従わんとする、気丈な目。

(ああ、でもユリには悪いことをしたなあ……。)

そして僕の意識は、闇に飲み込まれた。

5.
かの王都攻防戦において包囲軍18万に対し守備軍の兵力は3万程度であった模様。守備軍は全滅したものの、革命軍の損害は死者のみで4万に上り、負傷者も含めれば損害はさらに増大する見込み。また貴族層に多数の被害が上っていることより、革命軍の統治は難航することが予想される。現に地方では小規模な反革命政権暴動が頻発している模様。詳細は付属A-4の表1を参照せよ。総括するに、革命勢力は著しくその影響力を減らしている。積極的介入の好機であると認む。
―ルーシー連邦義勇軍派遣報告書

新型マスケット銃の効果抜群なり。廉価版を旧王国全土に蔓延させることにより、更なる治安の悪化、王国工作の土壌となると信ずる。更なる予算の増額を要求する。
―北方連合特別技術班報告書

王都攻防戦における我が第206特務部隊の損害甚大なり。再編と休養の許可を求む。

許可できない。次の任務地はルーシー連邦第158地点。速やかな任務の遂行を期待する。

くそったれ。

―北方連合情報部本部でのあるやり取り

評議の結果、これ以上の王国動乱への介入はリスクが高いものと認む。革命軍への資金援助は段階的に縮小することを議決する。
―南方都市同盟評議委員会議事録より抜粋

我々は大義のために戦った。それがなぜこんなことになるのだ
―革命軍参謀本部ファイルより発見された走り書き 執筆者、執筆時期ともに不明

6.
ユーリ・フランソワ(元第二王女)
「暗愚王」ジグムンド2世のもとに生まれる。幼少期より、己の才覚を鼻にかけることから同年代の交友には恵まれなかった。また自身の己の才覚を鼻にかける割に実力は伴っていなかったとの証言がなされており、こうした自己認識の不徹底さがのちの「王女の火遊び」と呼ばれる一連の圧政の引き金となったと解される。一般に言われる王女の火遊びの内容としては自身に諫言した貴族の処刑や王直轄領での略奪行為、私兵団の組織による暴力活動などが言われるが、近年の調査では無理な増税の推進などさらにその無法ぶりが明らかになっている。また、同性愛者であったことは有名で、サロンにおいて貴族の子女や使用人らと乱交に励む姿が報告されている。また使用人のうち見目に優れるものの多くが彼女の強姦の被害にあったとされている。
その最期としては諸説あるが通説として少数の部下とともに王都を見捨てて脱出するも、供回りの侍女に裏切られて殺されたとの説が有力である。遺体は野犬に食い荒らされたため残っておらず、埋葬されることもなかったという。
―「革命の歴史」第九巻より


「ふうん……。」
氷のような美貌を持つ女性は、そこまで読むとつまらなさそうに一つため息を吐く。そして革命の歴史と表紙に書かれた本をナイフでずたずたに切り刻んだ。ばらばらと飛び散るかつて本だったもの。折から吹く風にそれらは丘の頂上から吹き飛ばされていく。女性はかつてそこに王都と呼ばれた都市があった場所を見渡す。そこには広大な廃墟が今はあるのみ。なぜならあの革命騒ぎの時王都は徹底的に破壊されたから。
だが女性は、かつてそこに偉大な都市があったことを覚えている。かつて彼女の主が守らんとした、偉大な都市が。

女性は風にマントをはためかせながらぽつりとつぶやく。

「見ていてくださいね、ユーリ様。あなたの仇はこの私が撃ちますから。……そうでしょう、みんな」
その背後には無数の騎影。ことごとくが最新式の退魔鎧に身を包み、ある者は最新式の連発式マスケット銃を抱えている。彼らは無言でうなずく。彼らは元王直轄領の生き残りたち。革命政権にすべてを奪われ、復仇に燃える男たちだ。

「行きましょう、みんな。ここは冷えるわ。」

女性はくるりと踵を返して歩みだすも、ふと人の気配を感じ背後を振り返る。

「どうしたんですかい」と尋ねる彼女の副官。彼は何も気づいていないようだ。

「あなた、気づかなかったの……?」と尋ねかけ、少し考え直し

「いえ、何でもないわ」

と短く返す。

「へえ、ならいいんですが」

となおも不審げな副官の背中を見ながら考える。そう、別にこれは言わなくてもいいことだ。自身の背中にあの気に食わないヴァイス中佐に、グランツ中尉。ケーニッヒ大尉にテーラーのおじさん。アイス屋のおばさんに、優しくしてくれたサロンの皆さん。純朴そうな農家の人たち。そして何より敬愛すべき彼女の主など、彼女と彼女の守ろうとした無数の人々の暖かく見守る視線を感じたなんて。

「見ていてくださいね、みんな……。」

女性は再度つぶやくと、再び振り返ることなく丘を下りて行った。

その背中を、漂う無数の光の粒が、何も言わずに見送っていた。



―王都守備隊 残り1名。
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