第1話

文字数 560文字

人間はたぶん毎日、結構綱渡りで生き延びている。
足を踏み外しそうになったとき誰かに言われたほんの一言だとかおやつに食べたチョコレートが甘かったとかそんな小さなことに手を取られてまた綱の上に戻る。
綱の上は不安定で揺れていて、私は結構毎日泣きたくて寒くて震えている。
けれど寒くてもくるまる毛布がないので。
遠くに見える同じように綱の上で震える誰かを見て思うのだ。みんなそんなもんだと。

今日はたぶん良い日でも悪い日でもない。
いつもと同じ、何でもない日だ。
でも今日は何故かいつもより綱が揺れる。
私が震えているのか風が強いのかわからない。
ただ少し疲れた。
綱から飛び降りる勇気もないので揺れながら夜が明けるのを待っている。
綱っていうのはもちろん私の心象風景で、現実に綱はない。
私の目の前にあるのはアパートのベランダから眺める24時50分のまばらな光の夜景で、煌々と明るいスマホの画面は水色のradiko。
適当に選んだ局が流している曲はたぶん知らない初めて聞くもの。
風にかき消されるか消されないかのギリギリの音量で甘い歌声が紡ぐ言葉に手を取られて私の落ちかけた足は綱の上に戻された。
「今だけはゆっくりとおやすみ」
ああ、そうか寝なくちゃ。
単純な私はその甘い声にちょっと笑って、またひとつ減っていく灯りに言った。
「おやすみ」
どうか、良い夢を。
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