短編

文字数 1,948文字

 男が砂漠を必死の形相で歩いている。既に長時間歩き、足取りは重い。首に手を当て、痛い程の喉の乾きを感じている。辺り一帯を男は見回すが、あるのは砂と太陽と男が連れてきたラクダだけである。金品を大量に積んだラクダは余裕そうな表情で舌を舐める。
「どうして、国内一の大富豪と呼ばれたこの私がこんな間抜け面のラクダとこの砂の中を歩き続けなくてはならんのだ。私はただ、資源はあるのに知性の無いこの国の視察に来ただけなのに」
 男の嘆きにラクダは首をかしげる。しかし間抜け面のままだ。この砂の牢獄をなんとも思っていないようである。

 男は金で出来た懐中時計を開く。だが、既に砂塵にやられ時計は壊れていた。デザイン性ばかりを重視して機能面を求めなかったのが間違いだった。男は涙する。勿論、乾ききっていて、水は流れないが。

 壊れた懐中時計を男は大切そうにラクダの背中の荷物袋に入れる。そして無いと分かりつつももう一度袋の中に水が無いかを探す。既に、辺りの砂粒以上の数開いた袋には当然水は入っていない。こんな砂漠に雨は降らない。言わば、神の慈悲の涙は流れない。慈悲の涙は彼の喉を潤したかもしれないのに。


 男は遂に二度目の日没を迎えた。辺り一面に遮蔽物はない。男の人生で最も美しく、儚い日没である。きっと三度目の日が沈む頃、自分の命も沈むだろう。男がそう考えたその刹那、光の玉が男の元に近づいた。反応するより早く、光の玉は男の目の前に飛び出した。
「おい、金目のモン持ってんだろ?」
光の眩さの割には汚い声だった。その光の玉もとい妖精は男を睨んだ。
「なんだお前、悪魔か?」
よっぽどナメられるのが嫌なのだろう。男も妖精を睨み返す。
「酷い言い様だな、ジイさん。俺はお前の"天使"だよ」
「そうか。私は既に死んだのか」
「いや、ちげぇよジイさん。ボケてんのか?まぁいい。金目のモン、あんだろ?くれたら助けてやらん事もねぇぞ」
妖精…もとい天使はニヤける。男の方はというと、財産の余裕の割に余裕のない顔である。よっぽどジイさんとかボケてるとか助けてやるとかを聞き慣れていなかったのだろう。
「お前、私に対してなんて事を言うんだ!私はかの有名なグリッツル財閥の代表だぞ。よくもそんな口が聞けたな!」
「だから、言ってやってんだよジイさん。水が欲しくて欲しくてたまらないジイさんの為に取引してやるよ。その阿呆面のラクダが背負ってる金目のモン全部くれたら、飲みきれない程の水をやるよ」
「断固断る。これは私のものだ。お前には一つたりとも渡さない」
妖精は溜息をつく。
「そうか。"社長さん"の意見を"尊重"するよ」
そのまま妖精は何処かに消えてしまった。
問題は何も解決していないというのに、男は満足そうな顔で歩きだす。
「まったく、何が取引してやるだよ。これは私のものだぞ」
男はラクダに乗った金品を見る。その視線の先に、黒い道と人を見つけた。
「町だ!やっぱりあの悪魔の誘いを断って正解だった!」


 初めは金品を見せびらかして、この国の人間を平伏させようとしていた男だったが、今では男が四つん這いになっている。町を見つけた感動で膝から崩れ落ちていた。男は微かな声を零す。「もう安心だ。町に行けば水があって、人々は私の様な高貴な客人を饗すに決まってる」
男は必死に町の入り口へ四足で歩く。
ラクダはなおも呑気な顔で男について行った。


 男は四つん這いで町へ入ろうとした。町の真ん中の池は既に男の眼中にあり、あとはこの黒くてゴツゴツした道を進めばいいだけである。
その時であった。夜の影で見えていなかったのか単に男が疲れていて見えなかったのか分からぬが、町民が男の足を掴んだ。
「縺翫>縺昴%縺」
男には聞いた事も無い言語である。
「なんと言っているんだ!黙れ!」
男が絶叫する。
「俺が訳してやるよジイさん」
いつから見ていたのだろうか。先程の妖精が空中から男に話しかけた。
「そこの町民は『おい、旅人。水を飲むなら金払え』って言ってるよ」
「悪魔!いつの間に!」
「おいおい、そんな叫んでいいのかジイさん。あんたもう死にかけだぞ」
「絶対にこの原住民共なんかに私の金をやるわけないだろ!」
「縺翫>豁「縺セ繧梧ュ」
「ほらほら、ジイさん。止まれって言ってるよ。あんたもう動く体力無いんだからあげちゃいなよ。」
「絶対にやらん。私のだ!私の金だ!」
男は赤子の様な声でそう叫ぶなり声を発しなくなった。


 男を憐れむ様子も無く、町民は金目の物を奪い、ラクダを奪い、男の体を踏みつけた。男の惨状は妖精と、かつて男と同じ様に人であったその"道"しか見ていない。



 一部始終を見ていた妖精は笑い出した。
「こいつらも踏みつけるのやめればいいのに。死体で出来た道なんて、歩きたくないだろうに。ま、俺には羽があるけどな」


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