第1話

文字数 1,705文字

 『Day to Day』を読むと、ひとつだけ一風変わった物語がある。6月28日、「幻句寥寥」(夢枕獏)だ。計20句に連なるそれを、はじめはぎょっとし、拙いリズムで読み進めた。読み終えた頃には、何か漠然としたインパクトある幻想、もしくは現実を突きつけられた心地がした。
 20句の内、コロナ禍の情勢を詠んだと推測される作品があった。今回は、それらの句に注目し、私なりの着地点を書き連ねたいと思う。

五億年待てとは仏の嘘ぞ花吹雪
 まず「仏の嘘」がひっかかる。これは明智光秀が言ったとされる「仏の嘘を方便といい、武士の嘘を武略と言う、百姓は可愛きことなり」だろうか。意味は割愛するが、ここの「仏の嘘は方便」というところに着目したい。「方便」とは、仏教で人を真実の教えに導くため、仮にとる便宜的な手段(goo辞書より)とある。つまり、この句は「5億年待てとは、仏の仮にとる便宜的な手段」ということを意味している。きっと緊急事態宣言のことだ。未知のウイルスにより、政府は取り急ぎ不要不急の外出を控えることを呼びかけた。まさに「待て」状態である。期間としては数ヶ月だが、体感としては「5億年」といった長さも納得できる。そして、風に荒れ狂う数多の花びらのように、ただ無力に翻弄されるだけの私たち。それでも「待つ」しかない。「仏の嘘」だと思えば、少しは納得できる…、気がする。

 さらに直接的に、人の無力さを表しているのが次の句だ。

人ことごとく滅びて赤し曼珠沙華
 「ことごとく」という言葉に、人がひとり、ふたり、さんにんとぱたりぱたり倒れていく様が思い浮かぶ。そしてまっさらになった土地に生えそろう曼珠沙華。目に飛び込んでくる赤に、わざわざ「赤し」と言う必要があっただろうか。だが、「滅び」の後に続く「赤」はなにかおぞましいものを感じる。それでいて、さっぱりとしている。腐臭が漂う土地に、曼珠沙華だけが揺れる。一面に広がる赤に、それが土地の怒りだとか、人の無念さなどと思うのは人の勝手だ。そこにあるのは、ただ赤い曼珠沙華があるだけ。烈々とした「赤」に目がそらせないけど、曼珠沙華は何も語ってくれない。

 赤色が出てくる句は他にも何句がある。だが、どれも違った「赤」だ。

青き嘘つきたる唇の真紅
 くっきりとした対照的な色に、皮肉さが浮き彫りにでる。季語がないのは、通年の出来事だからだろうか。真っ先に想像がつくのは、テレビで見る会見だ。記者会見、謝罪会見、大臣会見…。真相が見えず、口先ばかりの嘘のように思う。未熟な嘘にフラッシュがたかれ、テレビに映える赤。生血が通っているその口を動かし、真実を、本音を知りたいところだ。

盲獣となりし母なり赤き月
 「盲獣となった母」に心当たりがいくつもあって苦しくなる。コロナ禍により、感染者に関する噂、買いだめ、学校や政治に対する不満などニュースになったことがいくつもある。だが、それらは全て我が子のため、家族のために行ったこと。家族を守るため、獣のように牙をむけ辺りを警戒し、情報に翻弄され盲目的になる母親たち…。そんな母親の健気さが、赤い月に照らされ狂気にも感じさせられる。

 これらの句を詠むと、いかにこの日常が非日常であることを考えさせられる。コロナウイルスがなければ、5億年待つ必要はないし、母親は盲獣になったりしないのかもしれない。でも、この未知のウイルスがなければ、この句と出会うことはなかったと思うと感慨深い。
 十七文字の世界は、自分なりに咀嚼できるところがいい。それに、作者の人柄もわかる。例えば、

夜桜も化けて来たれや京の宿
 京都の宿のおもてなしに、心ゆくまで満たされご機嫌な作者の心地が伝わる。その様子を羨ましそうに揺れているのは、夜桜。それなら化けて来なさいよ。こちらはいつでも大歓迎。春の夜に、作者の寛大さが似つかわしい句。

 など。他にも古風な幻想を詠んだものもあれば、語感がよくつい口ずさんでしまうような句もある。どれも十七文字しかないのに、さまざまな情景や感情をかき立てられ忙しい。十七文字で表現できることは、無限大、いや「那由他不可思議無量大数」だとつくづく思うのである。
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