第1話

文字数 1,997文字

 不死の大魔導師ウェルテクスがいる部屋の扉に向かって二人の冒険者が駆ける。
 《世界の果て山脈》の尾根にそびえ立つウェルテクス城。
 広大な地下迷宮(ダンジョン)の最下層。黒く濡れ光る壁面は魔物の臓物を思わせる。茶色い瘴気が充満しており、常人では一分と生きることはできない。
 冒険者の一人は白銀の甲冑をつけたレクス二世。大魔導師ウェルテクスを倒すために五年間の冒険をしてきた。伸びた鳶色(とびいろ)の髪は馬の尻尾のように束ねて背に垂らしている。細かった身体も今や屈強な戦士のそれとなり、生来の高貴さに野生の精悍さも兼ね備えた青年に成長していた。
 そして魔の眷属(けんぞく)を浄化させる聖剣を手にしている。
 もう一人は黄金色の髪の美しきエルフの聖女。

「みんなは」
「まだ上の階層で(ダーク)ドラゴンと戦っています」

 助けに向かえない自分を恨むようにレクスは苦い顔をした。
 一刻も早くウェルテクスの()に辿り着かなければならない。
 人類の存亡をかけた戦いなのだ。

「エリアーヌ」

 だが、レクスは足を止めた。

「聞いてくれ。この戦いが終わったらわたしの(きさき)になってほしい」
「王子――」

 足音が近づいてくる。心強い仲間が追いついてきてくれたのだ。
 レクスとエリアーヌは仲間と合流し、ようやくウェルテクスの間の扉の前に立った。
 漆黒の甲冑に身を固めた絶対騎士(ぜったいきし)(ランス)と盾を持ち、次元界から召喚した黒毛の巨大な軍馬(ウォーホース)(またが)っている。
 骸骨のように痩せ細った灰色のローブを着た僧侶。高位の祝福(ハイ・ブレス)を仲間全員にかけてくれている。みんなの底を尽きかけた活力と勇気が蘇ってくる。
 最強の賞金首の銃使い(ガンスリンガー)。聖別した銀製の弾丸を回転式の薬室に籠めている。さらに全身にはまだ無数の爆薬を隠し持っていた。
 光の魔法使いであるエリアーヌ。あらゆる攻撃を防ぎうる光輝の壁(ブライトネス・ウォール)を展開するべく圧縮言語で呪文を詠唱している。
 エリアーヌが詠唱を終えると、レクスが声をかけた。

「すまない。いまは最後の戦いに集中しよう、お互いに生きていたなら改めて答えを聞かせてほしい」

 聖女は柔らかく微笑んだ。
 その時、レクスの身体が輝きを放ち始めた。

「王子」
「これは――」
「レクス王子。あなたは遂に救世主(メサイア)として覚醒したのです」

 全員の準備が終えたのを確認し、お互いに頷いた。
 レクス二世は巨大な両開きの扉に手をかけた……。


「はい。今日はここまでよ」

 頭に布を巻いた女性が厚い本を閉じた。

「先生、それからどうなったの。王子はウェルテクスに勝ったの。王子はエリアーヌと結婚したの」

 女性に読み聞かせをしてもらっていた少年が夢中になってたずねる。

「さて。お勉強が終わったら、続きをお話して差し上げますよ」
「はーい」

 少年は少しむすっとして机に向かって呪文書を読み始めた。
 果てしない草原。その中にぽつりと置いてある木製の机と椅子。
 日なたの青い匂い。
 ときおり流れる雲が淡い黒い影を作る。
 時間はゆったりと過ぎていった。

「勉強は終わったかね。お城にもどりなされ、お昼のお食事です」

 年老いてはいるが長い髭を編み込んで身なりの整ったドワーフが、近づいてきて太い声をかけた。
 女性は口に人差し指をあてた。
 
「おっと寝てしまったのですか」

 少年は机に突っ伏して寝息を立てていた。

「悪いお知らせです。遂に魔軍が《世界の果て山脈》に姿を現しました」
「そう……」
「大魔導師ウェルテクスが三百年の封印から目覚めようとしています。また人類の存亡をかけた戦いがはじまるのですね」
「ウェルテクスの真の目覚めまでにはまだ十年の月日がかかるでしょう」

 女性が頭の布をとると金色の髪が輝きながら零れおちた。

「あなたの言うことであれば、それが正しいのでしょうな。聖女エリアーヌ」

 女性はエルフのエリアーヌであった。

「三百年前、ウェルテクスを封印して凱旋してきたレクス二世――王子とあなたが、幼かった頃のわたしの記憶にあります」

 ドワーフが遠くを見つめた。
 エリアーヌは柔らかく微笑む。

「あなたはあの頃と少しも変わらない。しかしあの時、あなたはレクス王子をおいて旅立ってしまわれた。なぜです」
「わたしはエルフです。王子の気持ちには答えることはできませんでした」

 老ドワーフはしばらく俯いてから顔をあげた。

「ですが、王子はあなたがいなくなったと知ると笑っておられたそうです。そして二度とあなたの名を口にすることはなかったと聞いています」
「そうですか」
「そしてあなたはそれから三百年後のウェルテクス復活に合わせてわが国に戻ってこられた」

 ドワーフの皺に埋もれた黒い目と、エリアーヌの慈しみに満ちた瑞々(みずみず)しい瞳が見つめ合う。

「間に合うのですか」

 老ドワーフは眠っている少年に目を向けた。

「ええ。もちろん」
永久(とこしえ)救世主(メサイア)ですか」

 聖女は少年を愛おしく見つめた。

「大丈夫ですよね、レクス八世。また、わたしたちを導いてくださいね」

 エリアーヌは少年の鳶色の髪をやさしく撫でた。
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