第3章

文字数 1,805文字

 義康が出羽に帰国するとすぐに唐入りが始まった。最上家にも召集がかかったが、肥前から先に進むことはなかった。しかし唐入り中、義光は帰国出来なかった。その間、義康が最上全領の統治を任された。やる事は寒河江の比ではなかった。だが、京での修行を経験した身には苦ではなかった。全国の当主が国元を留守にした唐入り中、各地で一揆が相次いだ。しかし最上領では一揆は一度も起きなかった。それどころか一揆鎮圧の援軍を出した際、最上の軍勢が来ると分かるとピタッと一揆が静まった。一揆を起こした領民は口々に「最上様に骨折らせるわけにはいかねえ。」と言った。最上の評判は上々だった。
 唐入りが終わると、かつて秀次と約束した三年が経った。文禄四年(一五九五)。駒姫が上洛する事になった。唐入りで大きく出費した痛い懐ではあったが、駒姫の嫁入りにも充分過ぎる用意をした。衣装も道具も全て超一流の物に揃えた。三年かけて新関白の妻に恥じない身に育て上げられた。最後まで恥となり得る物があってはいけないと思っての事だった。
 駒姫は義康にとっても可愛い妹であった。名残惜しい物があったが、妹の婚姻を祝い、家中領民を上げて見送った。関白の子を産めばさらに最上家に箔が付くだろう。そうなれば父の心労も減るだろうと思っていた。そうなればどんなに良かった。
 京から戻った使いが震える声で関白秀次の切腹を伝えた。駒姫が入京してすぐ秀次は謀反の疑いありと、太閤秀吉に責められ高野山に蟄居(ちっきょ)し、まもなく腹を切った。その後、秀次の妻子と家臣合わせて四十名以上が幽閉された。秀次と懇意にしていた大名も同様だった。父も母も駒姫も幽閉された。駒姫は秀次と会った事もなかったが側室の一人とされ、捕らえられてどこかに連れ去られてしまった。さらにこの時、既に駒姫は他の妻子と共に三条河原で首を落とされた。だが義康の元に届いた報告は関白の切腹までであった。京から遠い出羽にあっては何も出来ないに等しい。京で親しくなった者達も尽く捕らえられたか殺されてしまった。せめてと義康は父母と妹の無事を出羽の各社寺、各霊山に祈った。祈り空しく妹と母の死が知らされた。 妹は斬首の末、無造作に埋められ、母は後を追って自ら喉を突いたという。父は変わらず捕らわれたままで膂力が自慢の身体は瘦せ細り髪も白くなったという。父だけは助けたい。と徳川家康に仕えていた次弟家親に助力を頼み、自身も父のためならばと太閤への異心なき証に品を集め贈り、さらに三弟義親を人質にした。その努力が成り、義光は赦免された。食事をほとんど摂らず立ち上がれない程疲弊したという。
 父は少しばかり回復した後、輿に乗り帰国した。義康はすぐに国境まで迎えに行った。少しばかり回復したようだが、かつての威厳に満ちた父ではなかった。父の手には血に染まった布きれが二つ握られていた。駒と母の物である。
 「弥陀の剣、五つの障り・・・」
と義光は繰り返し口にしていた。聞くと駒姫の辞世らしい。確かに駒や両親には一体何の罪があったと言うのか。ただただ忠勤に励んだ結果がこの仕打ちなのかと怒りが湧いてきた。このような仕打ちを受けてもなお豊臣に尽くさねばならないのか。太閤秀吉からは一言だけ形ばかりの詫びがあっただけだ。人を人と思わない者にどうして仕えようか。考えれば考える程怒りしか湧いてこない。しかし、義康はその怒りを口にせず、
 「父上は暫しの間ご養生下さいませ。某が代わりとなり豊臣に仕えて参ります。」
 と述べた。すると義光は義康を殴り飛ばした。
 「豊臣に仕えるだと。あのような悪鬼羅刹に、人の皮を被った猿に、足利に連なる名門の我らが仕えてなるものか! そもそも何故勝手に義親を人質とした。誰の許しがあった。最上の主はこの儂だ! 何様だ義康!」
 父が何を言っているのか理解出来なかった。父はさらに義康を殴ろうとしたが家臣達が掴んで止めた。それでも父は自分に向かって怒りの言葉を吐き続けた。怒る父を見て義康は幼き頃見た光景を思い出した。父が傅役の白鳥十郎を成敗した光景だ。
 「十郎は死ぬ間際これを見たのか。父のこの恐ろしい形相を。」
 心の臓が激しく動き、身体が震えると同時に冷たくなる気がした。父に対して死の恐怖を感じた。
 義康は寒河江の館に帰った。頬を腫らした義康を見て、日吉や留守居の者達が心配して聞いてきた。しかし、義康は何も答えなかった。
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