第1話

文字数 7,714文字

              するめちゃん
                                  蘭野みゆう
 淡いピンクの花びらが風に舞って、桜はみるみる葉桜になった。木蓮は大きな白い花びらを脱ぎ捨てて、萌葱色の柔らかそうな葉で全身を装い、エゴの木は毛細血管のような細い枝を空に伸ばしている。おまえのアパートの狭い庭にも新緑の季節がめぐってきたね。
 それなのに、おまえは窓を固く閉ざして光あふれる春を見ようともしない。座敷牢に閉じこめられたように、息を潜めている。もう一年近くになるだろうか。おまえは今二十歳。青春まっただ中だ。おまえのふっくらした頬はこそげ落ち、艶やかだった顔は青白く、生き生きと濡れていた黒い瞳は暗く伏している。
 そう、おまえは今とても疲れている。身体を起こしていられないほど、深く疲労している。何もする気になれない。ただどうにか呼吸しているだけ。それだけで精一杯なのだ。人生にはそんな時があるさ。僕はがんばれなんて言わない。そんなことを言う資格は僕にはないからな。たとえ、言ったところでおまえには聞こえないだろう。僕はおまえをじっと見ているだけ。おまえは僕が見ていることにさえ気がつかないだろう。僕は人の姿をしていないから。
 僕が人の姿をしていたころ、あれは真夏の海だった。小麦色の肌をした美しい若者たちが泳いだり甲羅干しをしたり、サーフィンに興じたりしていた。白い砂浜と目の覚めるような青い海と、夏雲の湧くCGのような鮮やかな空。すべてが輝いていた。僕は二十二歳になったばかりだった。世界はあまりに美しく、あまりにまばゆかった。目がくらんで立ちすくむほどに。
 ねえ、世界が美しいということがどんなことかわかるかい?美しい世界は魔物のように、時に人を駆り立てる。僕はその時、魔物に魅入られてしまった。いつの間にか日が傾いてぎらぎらした太陽が火の玉のように水平線に落ちようとしていた。海辺にたたずむいくつかの人影が優しく抱き合っているのが見えた。僕は何者かに引き留められたようにその場にたたずんでいたよ。一緒に来ていた僕の仲間たちは先に引き上げて、次の楽しみへと向かっていた。
 その時の海辺の光景は本当に僕の貧しい言葉では言い表せない。海も空も太陽もまだ本当の名前をもたないもののようにそこにあった。僕はそれらに本当の名前をつけてあげなければならないと感じた。それほどあの時はすべてが新鮮で、生まれて初めて見る景色のように思えた。でも、それは初めてではなく、最後だった。
 僕は本当の名前をつけるために、海と空と太陽の中に飛び込んだ。そして黄金の光に向かって泳ぎ続けた。あの光が消える前にどうしてもその光の束をこの手につかまなくてはならないと思った。泳いでも泳いでも光に届かず、あたりは急速に暗くなった。僕の手足は疲労してだんだん重くなったよ。そして、ついに動かなくなった。おまえは僕のことをばかだと思うかい?
 あの時が僕が人の姿をしていた最後の時だった。でも、僕は後悔なんかしていない。人生に意味などありはしない。僕らの生はいつどこでだれに踏みにじられるかわからない。アリやゴキブリと同じさ。絶対王政時代の王様だって大して変わりはない。いつ神の手が現れて、虚空に炎の文字で死を刻むか知れない。僕は自分の方から死に向かっていっただけだよ。心の広い死はそんな不遜な僕を寛容に迎え入れてくれた。くだらない生にピリオドを打って、おまえも早くこっちに来ればいいと思うこともある。でも、おまえは僕とは少し違うみたいだ。
 おまえはがんばって勉強して希望の大学に入った。僕に比べればずっと真摯で努力家だ。でも、せいぜい一か月大学に通ったところで、おまえの身体はいっこうに大学に向かわなくなった。無理して大学へ行っていたころのおまえのことを思えば、それでいいのだろう。あのころのおまえは見ていられなかった。おまえは自分の存在そのものを恥じているようだった。あの広い大学のキャンパスのどこにもお前の居場所がないというふうに、おまえは身の置き所に困っていた。それで、お昼の食事をトイレの中で済ませた。食堂に一人で入っていくのが苦痛だったのだ。おまえはトイレの個室に立って、買っておいたパンをかじり、缶コーヒーを飲んだ。ごった返す学食で見知らぬ人間と顔つき合わせて食べることに比べればトイレという個室の方がずっと快適だった。
 おまえは教室でも自分の周りに見えないバリケードを築き、自分から人に話しかけることをしなかった。たいていの人はおまえの築いた見えないバリケードに気づくので、それ以上進んでおまえと関わりになろうという変わり者はいなかった。なぜって幸か不幸かおまえはお世辞にも美人とは言えないし、愛嬌なんてものも薬にしたくとも爪の垢ほども持ち合わせていないから。おまえは明るく健全なクラスメートから陰口を言われていた。「あの人、暗いし無口だし、なんだか気持ち悪いわねえ」なんてね。
 そして、ある時誰かがおまえに面と向かって言った。「あなたって、背後霊みたいな人ねえ」と。おまえはたちまち周囲の男女の弾けるような笑い声に包まれた。お前は顔を引きつらせてうつむいていたね。仕方がないさ。おまえの無愛想は子どものころからだからね。とりわけ久しぶりに会った親戚のおばさんたちが必ず口にする通り一遍のほめ言葉にはいつもむっつりしていたね。僕は知ってたさ。みんなが楽しそうに縄跳びやドッジボールをしているときにも、地面にしゃがみ込んでじっとアリを見ているような子だった。
 おまえは周りの人たちと同じようにできない。同じように振る舞うのが苦痛でたまらない。愛想のいい明るく元気な子ばかりがかわいがられて、一人で物思いに沈んでいる子は暗いと言って否定される。どうして明るくなければいけないのか、どうしていつも元気でいなければいけないのか。誰も教えてくれなかった。今も同じこと。色とりどりの衣装を身につけ、見てくれのいい異性を求めてキャンパスをひらひらしている女たちも、あわよくばナイスバディの可愛い女の子を射止めようと、いつも目配りを怠らない男たちもおまえには縁なき衆生だ。人と会って話をするのさえ今のおまえには苦痛なのだ。知っている人を遠くからそれと認めると、とっさに避けて身を隠すおまえなのだ。そして、そんな自分を責めている。情けないと責めている。
 僕は責めない。もちろんおまえのことも責めないが、僕自身のことも責めない。僕が僕の短い人生で言ったこと、したこと、たとえそれがどんなに他人を傷つけ、苦しませたとしても、仕方がないと思っている。なぜなら、僕が僕である限りそれらのことは必然的であって、他のあり方はできなかったと考えるから。だから、事故か自殺かわからないような死に方をして家族を悲しませたことでも、僕は自分を責めることはしない。それは僕という現象の最後の光芒のようなものだった。だから、僕は満足している。実際、あの夕日の海は僕の命を捧げるにふさわしかった。
 そう、そう、僕はあの海と空と太陽に新しい名前をつけようとしていたのだった。だが、結局それはできなかった。そして、不要のこととなった。なぜなら、海も空も太陽も今では僕の中に吸収されて無になってしまったから。僕はそれらを自分と区別する必要がなくなった。区別する必要がなければ名前は要らない。今となっては僕にとって意味を持つ対象はただ一つ、おまえの存在だけだ。
 僕は僕の短い人生で何もしなかった。ただごく普通に毎日食べて学校に行って、風呂に入って寝るだけだった。特に秀でた才能もなかったから、絵も描かず、音楽も奏でず、詩や小説も書かず、僕の死後残ったものは何もない。実にすがすがしい。何?そんなことはない、こうして僕の魂が残ってさんざんどうでもいいおしゃべりをしているじゃないかって?さあ、今の僕が魂なのかどうか、そんなことは僕にもわからないし、またどうでもいいことだ。今の僕に言えるのは人生なんて、もともとろくでもないものだということだけだ。それは、たぶん努力奮闘の結果、あるいは生まれながらに多大な名誉や称賛を受けてしまった人の人生ほど、そういうだろうということだ。この世で報われるというのはひどくむなしく下品なことのように僕には思われる。
 だから、僕のたった一人の妹よ、おまえは自分を責める必要なんて全くないんだ。おまえは部屋に閉じこもってはいるが、ちゃんと生きている。一刻一刻生きることのつらさに耐えている。この世で何が難しいって、何もしないでいることほど難しいことはない。病気やけがでベッドに縛りつけられているわけでもないのに、じっと一人で自分と向き合っているなんて、誰にでもできることじゃないさ。
 世の中には身体が不自由な人がいるね。事故や病気で歩けなくなったとか、生まれつき目や耳が不自由だとか、そうした人たちが健常な人々と同じように社会生活ができないからといって、誰も彼らを責めたりしない。たとえ、彼らが悩んで閉じこもっても、誰もが彼らの苦悩に共感するだろう。そして、もしそのような人たちが苦難を克服して、パラリンピックに出たり、大学に進んだり、社会的に活躍したりすると、みんながその努力と精神的強さに感動し、励まされ、称賛を惜しまないだろう。これらは僕にもとてもよく理解できる。
 ところが、おまえのように五体満足で身体のどこにも目に見える障害がない人間が部屋に閉じこもって何もしないでいると、世間は怠けている、甘えている、自分勝手だと非難する。おまえ自身もそうした非難を日々自分に浴びせている。でも、ここらでゆっくり深呼吸して考えてごらん。おまえは確かに精神分裂病でも、躁鬱病でもないらしい。それでも、大変な生きにくさを抱えている。健常な人が難なくクリアしてしまうハードルがおまえにはどうしても越せない。何でもない世間話ができない。この社会が暗黙のうちに強制してくる集団的無意識のようなものに同調できない。
 この困難を乗り越えようと歯を食いしばって努力しても、誰一人ほめてくれる人はいないだろう。そして、その努力が身体障害者とは別の意味でかなり過酷なものだということを理解する人は少ないだろう。体のハンディキャップと違って、心のハンディキャップは目に見えないから、おまえのようにただ普通に生きるのが不器用な者の苦労は理解されにくい。今までにこのことをよくわかっている人もいた。たとえば、パスカルはパンセの中でこう言っている。
 「人間の不幸というものはただひとつのこと、すなわち部屋の中に靜かに休んでいられないことから起こるのだ」ってね。
 それから、中国には昔から隠者の思想というのがあって、俗世にほとほと嫌気がさして山の中に隠遁する話があるね。今のおまえも町中で半分隠遁しているみたいなもんだろう。隠者は自分は世の中で役立たずだと自分を責めたりしなかった。むしろ、堂々とこせこせした世間を睥睨し、隠者の生活を楽しんだ。李白の詩は好きかい?
 「余に問う 何の意ありてか碧山に棲むと 笑って答えず 心自ずから閑なり 桃花流水 杳(よう)然(ぜん)として去る 別に天地の人間にあらざるあり」
 『山中問答』という詩だよ。高校の時、教科書で読んで気に入って、ノートに書き写したりした。おまえの安アパートは緑の山奥でもなく、桃の花が流れに浮かんで遙か遠くに流れ去っていく光景も見えないけれど、おまえの棲んでいるこの部屋も確かに俗世間とは違った別の世界ではないだろうか。だから、おまえはどうしてこんな狭いところに閉じこもっているのかと聞かれたら、「笑って答えず心自ずから閑なり」と言って煙に巻いてやったらいいのさ。いったいどうして部屋の中に靜かに休んでいちゃいけないのか。一生休んでいたっていいじゃないか。それが怠け者のぐうたらの人生の落伍者だなんてどこのどいつがどうして言えるというのだろう。
 何か月か前までは自分でスーパーに出向いて、自分の食べるわずかの食料は調達していたのに、今はそれもしない。週に一度、母親が一時間電車に乗ってお前のところまで来て、一週間分の食料を買っては冷蔵庫に目一杯詰め込む。洗濯した下着を置き、汚れ物を持ち帰る。父も母もおまえを家にひきとって一緒に暮らそうとしたが、おまえは強く拒絶してここにとどまった。両親はおまえがいつか自殺を図るのではないかと毎日心配している。それで、毎日おまえに電話する。だが、おまえは自殺はしないだろう。僕にはわかる。自殺をするにはおまえは考えすぎる。いろいろなことをくよくよとしつこく考えている。それは、絶えずブレーキを踏んでいるようなものだ。僕のように衝動的にアクセルを踏み込むことができないのがおまえだ。だから、案外しぶとく生き抜くだろうと僕は思う。
 その上、おまえは結構なナルシストだ。激しい自己嫌悪に陥る一方で、そんな自分を深く愛している。自己を批判し、心から情けないと思い、こんなことなら死んだ方がましだと嘆きながら、そんなふうに自分を見つめることができる自分を秘かに誇っている。明敏なおまえはこのからくりに気づいていて、そんな自分をいやらしいと思いながら、またしてもそんな自分にうっとりしている。うっとりしている自分をまた嫌悪する。どこまで行ってもいたちごっこで終わりがない。おまえはこれを自我の呪いと呼んでいるようだ。おまえは目下この自我の呪いから解放されることをひたすら願っているらしい。それは僕に言わせれば簡単なことだ。自我の呪いの原因は自意識の分裂にあるのだから、分裂させなければいいのだ。
 たとえば、おまえが時々やっている健全な行為の時のように。その時、おまえは下着姿になって身体を横たえる。おまえの前には姿見が壁にもたれかけて置いてある。おまえは柔軟体操をするように屈伸したり、思いきり体を反らせたりする。ブラジャーの胸の谷間からおまえの可愛い乳房が盛り上がる。白いキャミソールがまくれて、おまえの柔らかそうな腹が見える。形よく突き出した二つの丘から伸びた白い足、その交差するところにある黒い森。そう、おまえはもう下半身に何もつけていない。おまえは若い女の肉体を鏡に映してねちねち味わっている。やがて、ブラジャーもキャミソールも脱ぎ捨てて、二つの乳房を詳細に眺める。そして、乳ガンの検査でもするように片方ずつ念入りにもみほぐし、ひねり、また、整える。
 そんな時のおまえは自我の呪いなど眼中にないはずだ。おまえが自らの身体を慰め、快楽を味わう時、おまえの自意識は統一されている。おまえの体は異性にとってそれほど魅力的とは言えないけれど、僕は好きだ。おまえの身体もおまえ自身と同じように無愛想で冷たそうだ。だが、そこがいい。たまらなくいい。妹じゃなかったら、抱きたいと思う。いや、妹であっても抱きたい。でも、残念ながら、今の僕には人間の身体がない。
 ねえ、覚えているかい?僕らの育った古い家に大きな戸棚があっただろう?あの家は火事で焼けてしまってもうないけれど。僕もおまえも小学生ぐらいの時に、毎日のようにあの戸棚を開けたね。戸棚の中には古いがらくたがいろいろ詰まっていて、かび臭いような変な匂いがした。でも時々そこには思わぬ美味しい物が入っていたりした。たとえば、近所のおじさんが持ってきてくれたアメリカ製のチョコレート。アメリカ人と結婚したそのおじさんの娘がたまに里帰りしたときに、おじさんからそんなお菓子をおすそわけしてもらったね。ハーシーと言ったっけ。あのチョコレートの味はまだ覚えている。こってりと甘くてミルクの濃厚な風味があった。戸棚には饅頭やみたらし団子が入っている時もあった。
 子どもというのはいつもお腹をすかせているというのか、何だか口寂しいというのか、遊びの合間に何かないかとすぐに食べ物を探したくなる。僕が特別さもしい子どもだったのかどうかわからないけれど、お前といっしょによくあの戸棚を開けた。ある時、ひどく空腹だったのだが、戸棚の中には何もなかった。諦めきれずに奥の方まで探してみると、干からびてそれは固くなったするめが出てきた。仕方がないからそれをあぶって食べることにした。火鉢に網を載せてあぶり、マヨネーズをつけて食べると、意外においしかった。おまえとふたりで香ばしい匂いの漂う固いするめを噛み続けた。やがて奥歯が痛くなったけれど、お腹はいっぱいにならなかった。仕方がないからガムみたいにいつまでも噛んでいることにした。今度は顎まで痛くなった。するめは噛むほどに味が出たよ。
 僕の愛しい妹よ、おまえはするめだ。するめのように固くて無愛想で人好きがしない。だから、甘くて柔らかくて見てくれのいいケーキのように人を惹きつける魅力はおまえにはない。けれど、するめにはするめの味わいがある。その固く干からびた身は温めて噛んでほぐされて、やっとその味を出すことができる。僕の可愛いするめちゃん、おまえは僕がおまえのことをどんなに愛しく思っているか知らないだろう。おまえのうちに秘められた美しさ、気高さ、聡明さ、この地球上の誰一人としておまえの輝きに気がつかなくても、僕にはわかっている。おまえは谷川の流れに洗われる透きとおった石のよう、森の奥深く棲むしなやかで臆病な子鹿のようだ。今のおまえがどんなにこの世の現実に対して無念であっても、絶望するには及ばない。
 僕の可愛いするめちゃん、つまらない男に噛みつかれたら、そいつの歯を折ってやれ。つまらない女に踏みにじられたら、そいつの足を切り裂いてやれ。僕がこんなにも心を熱くしておまえを見つめているのに、おまえには何ひとつ伝わらない。おまえは読書に疲れて万年床にもぐりこんだままだ。いつも同じトレーナーにジーパン姿で、肩まで伸びた髪はくしゃくしゃで、いっぱいふけがたまっているね。かゆくはないのかい?
 僕の可愛いするめちゃん、若葉が風にそよいでいるよ。白い雲が天空を渡っていくよ。宇宙の果てから燦々と光が降ってくるよ。そして、僕の腹の底からは力強く笑いがこみ上げてくる。僕は大声で笑おう。何だかとても楽しいんだ。おまえがどうなっても僕は笑っていよう。あのチャップリンがこう言った。人生はね、近くで見ると悲劇でも、遠くから見ると喜劇なのさ。おまえにこれがわかるまでにはあと五、六十年はかかるだろう。僕は一気に時空を超えたから、もうわかったというわけさ。すべてを笑い飛ばす日が来るまで、僕はこれからもずっとおまえのことを見守っていよう。
 そして、いつの日かおまえがこちらの世界に来たら、ゆるりと積もる話でもしようじゃないか。積もる話が終わったら、二人そろって光り輝く朝日の海に飛び込んで、今度は陸に向かって泳ぎ出すとしよう。きっと素敵な旅が始まるだろう。
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