文学賞に応募し続けて分かったこと

作者 石の花

[創作論・評論]

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4件のファンレター

小説を書くのが好きで、一時期、小説家を目指して文学賞に応募していた「一般人」として、過去を振り返りながら、その時々に疑問に思ったこと、調べて分かったこと、やってしまったこと(失敗談)を書き綴っていこうと思います。

ファンレター

「深さ」と「読み応え」の重視と「物語性」の狭間で。

石の花さん、はじめまして。この体験談、ためになる……いや、この作品の内容に準じて言うならば「深くて読み応えがある」と言った方がいいかもしれません。スクロールを戻して読み返したところが何カ所もあります。定義にもよりますが教養小説と呼ばれるもののなかには「知らなかったことを知る喜び」が含まれている小説が多く、近代文学はそういう「知の喜び」がシーンを支えていた部分もあったと聞いたことが何度もあります、が、石の花さんが書かれているように、今はどちらかというと「物語」性が重要だと思われることが多い、とも聞きます。もちろん、独特の「文体」で押し通すのもブンガクの味でもあるので、なにごとも言い切れないですが。僕も自分で小説を書くときは「読み応え」を考えて書いています。引用も多いです。なので、僕も認められるかというと心許ないです。が、同じことで悩んでいるのをこうやって「言語化」されていると、勇気をもらえます。少なくとも僕は勇気をもらえました。楽しい読書体験をしています。ありがとうございます、勉強になります!!

返信(1)

お手紙、ありがとうございます。同じような悩みを抱えている方がいると知り、心強く感じました。ありがとうございます。
テーマと引用というこだわりを捨てきれず、今までやって来ました。友人家族からは「二次創作では」と言われ、小説指南の著書を読んでも、「テーマはいらない」と書かれており。それも1冊だけではなく、2冊、3冊と書かれていると、そうだよなあ、と落ち込みました。
同じテーマで引用なしで書かれている小説を何冊か読みましたが、抽象的すぎたり、また多角的に書けないため仕方ありませんが、物足りなく感じました。しかし、「知識等は専門書を読めばいい、小説には不要」と言われれば反論もできず、確かに全てを小説で書き表すことはできません。けれど、私はある問題について書かれた本を読み、この現実を知ってほしい、書きたい、と思いました。
伝えるために書く、という意識が心のどこかにあり、現実を知ってもらうにはやはり引用という手段も使わざるを得ない。けれど、小説としては認められない。そんな悩みを十年以上抱えながら、書いてきました。結局、一般的に求められる作品は私には書けないし、無理に書いても長続きしそうにないから、今は自分が書きたいように書いています。
長くなりましたが、お手紙、ありがとうございます。とても、とても、勇気づけられました。