第1話

文字数 1,212文字

 高齢になって認知機能が低下し、さらに喜怒哀楽の感情の抑制ができなくなると、その人の本性が垣間(かいま)見えることがある。私より長く生きた人たちは皆、私の人生の大先輩だ。教わること、示唆に富むことなど多くのことを学べる。
 朝回診である病室に入った。
 オイオイオイオイ、エ~ンエ~ン…
と97歳女性が車椅子に座って泣いていた。彼女は首に巻いたバスタオルを両手で(つか)み、顔を覆っていた。
 「○○さん、どうしましたか?」
 受け持ちの研修医が尋ねた。
 彼女はバスタオルで顔を覆ったまま
 「エ~ンエ~ン、これを外して下さ~い、お願いしま~~す。エ~ンエ~ン…」
 車椅子からのずり落ち、転落防止目的の安全ベルトを(はず)して欲しいとの訴えだ。
 「あのね、○○さん、以前、車椅子から転落したことがあったでしょ? 打ち所が悪ければ大変なことになっていたんですよ。今は朝の仕事で看護師さんも忙しいから、もう少し安全ベルトをして待っていて下さいね。」
 患者を載せた車椅子の前に片膝をついて受け持ちの研修医は説明した。患者さんと同じ目線の高さで話す研修医の診療態度は良い。
 エ~ンエ~ン
 私は泣き続ける彼女の反応をず~っと観ていた。
 一瞬、彼女の右手がかすかに動いた。顔を覆っていたバスタオルの隙間から彼女の右眼が見えた。瞬間、彼女と視線が合った。(アッ!)彼女の顔は再びバスタオルで覆われた。
 エ~~~ンエ~~~ン
 泣き声は一層大きくなって、私たちが部屋から出るまで続いた。

 「彼女は役者かなぁ?」
 病棟の廊下を歩きながら、その光景を観ていたもう一人の研修医に尋ねた。(彼はこの意味、分かるかなぁ?) 
 「そうですね、彼女、涙が出ていませんでしたよ。」
 「気が付いてた?」
 この研修医は若いが、よく患者さんを観察しているなと感心した。
 (彼女は若かった頃はどんな風だったのかなぁ…)
 「若い頃、きっとたくさんのおと…。あっ! これ以上は言うの止めておこう。」
 「そうですねぇ、言いたいことは分かりまっす。」
 回診が終わって彼女の部屋の前を通った。そっと部屋をのぞいて見たが、何事もなかったかのように静寂だった。

 さて写真は、2015年11月22日に神奈川県の大船フラワーセンターで撮影した一輪の薔薇(ばら)である。背景が黒だったので、薔薇の赤が鮮やかであった。

 薔薇は花の女王とも呼ばれ、気品のある美しい姿と良い香りがある。深紅の薔薇の花束は結婚を申し込むプロポーズの際の定番の品で、愛の象徴だそうだ。そして薔薇には(とげ)がある。
 薔薇の花言葉は、「美」「愛情」だが、実際は本数や色ごとに異なっている。1本の薔薇は「ひとめぼれ」「あなたしかいない」、赤い薔薇は「告白」だそうだ。
 柄にもないことを書いていて背中がむずむずしてきた。しかし、この 97歳白髪の老婆を思い出すと、何故か赤い薔薇のドライ・フラワーを思い浮かべるのだが…(失礼)。

 んだっけの~。
(2023年9月)
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