3-12選挙

文字数 1,811文字

横浜ランドマークタワーが青い空に突き立っている。日差しが強い中、潮の香りが薄っすらと喧騒から漏れる。桜木町駅前は大勢の人が集まっていた。街宣車の中で落ち着かないナイスマン。エイプマンが応援に来ている。
 「柄澤くん、武者震いでもしてるのか?まあ、始まってしまえば、不安なんか吹き飛ぶよ。何しろ、街頭演説は、本当に気持ちがいい。まず、私が出て、盛り上げるから、その後に出てくればいい。前戯は任せといてくれ、君は挿れるだけだ。あと、日焼け止めは塗っとけよ。今の日差しでは焦げてしまうからな。投票まで三週間もあるんだ。」
 エイプマンがニンマリと笑っている。エイプマンに猿回しに前座を任せて、その後、主人公の登場。エイプマンがドアを開け、小さなハシゴを登っていく。一瞬、歓声が上がり、「いや、年寄り扱いされてますが、確かにこの暑さでは、干からびてしまう。」などとエイプマンが戯言を言い、会場が沸く。で、政策っぽいことを遠回しにぼんやりと伝え、「しっかり」という曖昧な基準の言葉を何度も言う。まばらな拍手があり、ガヤも入る。ナイスマンはゆっくりとハシゴを登り、待機する。
「それではね、わが党期待の新人候補を紹介します。まあ、私なんかが紹介しないでも、皆さんご存知だと思いますが、柄澤友蔵くんです。どうぞ。」
 街宣車の上から眺めると、群衆が敷き詰めたように並んでいる。スマホを掲げて撮影が始まる。ナイスマンは数千人を超える群衆の視線を一手に集めていた。見渡す限りの人が、自分に注目している。胸が高鳴り、腕の根元が痺れたようにくすぐったい。高鳴る胸、大きく息を吸う。何か特別な力が身体中に漲っているようだ。自然と顔がニヤつく。体を正面に、世界に開くように、大声を発する。
 「みなさん、こんにちは!柄澤です!」
 歓声が上がる、ざわめきが起こる。全身がまるで勃起したペニスのように熱く膨れ、声を出した途端に頭の先から射精したような、脊髄に針を刺すような悦楽が電撃のように全身を貫く。こんなに気持ちの良い自己紹介をしたことがない。聴衆を、世界を、抱いているような気持ちになる。興奮で胸が締め付けられるようだが、しかし、昼寝から目覚めたように頭は冷静だった。言うべき台本をすらすら思い出し、声を出す。言葉を発しているときは、無心で、目の前の人たちに良くなってもらいたいような暗示がかかったように、すばらしい演説を行う。ナイスマンは本気だった。その気持ちは熱された空気に絡みつき、見上げる聴衆たちに絡みつくように伝わっていく。頭脳は聡明、聴衆に注目を浴び、酔ったような心地よさ、体には力がみなぎり、快楽が走る。それを空気で纏うようにしっかりと感じる。聴衆からの注目、敬意の評価である視線を集める。それは、ナイスマンにとって、完全な世界だった。これは命そのものだ!精神的な快楽、知的な楽しみ、肉体的な開放感、声を出し、その反応が伝わる達成感、今、この時を、生きている実感。思想や政策なんて、どうでもいい。目立つ気持ち良さ、評価を集める気持ち良さ、何か自分が大きくなったような気持ち良さ。お金をかけて気持ちよさを追いかけていたが、いつも、がっかりしていた。それが、今、自分が求めている気持ち良さが、塊となって、自分の存在を飲み込もうとしている。
 「私が立ち上がり、やらねばならないことがあると思ったのであります!」
 ズボンの中でペニスもはち切れんばかりに起ち上がっている。聴衆の歓声、ざわめきが体の中から撫で回す。やらなければならないことは、この快楽をずっと手に入れることだ。その為だったら、溜め込んだ財産を全て差し出してもいい。
 言葉を発すると気持ちが高まり、声を張ると胸が大きくなり、高まった気持ちが発散される。胸がすくような気持ち良さ。自分の存在が世界に挿入されるような、出し入れされるような、おぞましい快楽が全身を食い破るように突き抜ける。世界相手にぶち込んでいる!
 「ユーチューブの勝負は負けましたが、あれは自分の為だったから、負けたのです。それにお金に頼っていたマネーマンでした。しかし、今回は、ここにいる神奈川県、強いては日本の皆様のために身を粉にして頑張ります。皆様の清き一票、評価を私にください。わたしに「いいね!」「ナイス」をください。わたしをナイスマンにしてください!どうぞ、柄澤友蔵、ナイスマンをよろしくお願いいたします!」
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