性善説 vs 性悪説

文字数 1,209文字

 ある討論番組で『性善説 vs 性悪説』のディベート大会が行われました。
 ディベートが始まる前、性悪説が提案します。

『建設的な行う為に〝現実的な前提〟を確定しておきましょう————』

 性悪説は続ける。
『世の中は善人と思われている者の方が、偽善者と思われている者より利益を得る傾向がある。この点は事実として賛同して頂けますね?』

 性善説は答える。
『確かに、そうですね』

 性悪説は言う。
『よろしい、では始めて下さい』

 開始のゴングが鳴り、性悪説が言う。
『アナタは善人ですか?』

 性善説は反論する。
『金の為に善人アピールする者なんて偽善者です』

 開始6秒でKOの鐘が鳴った。


 ■アイデアの肝
 討論番組と言うとただ会話をするだけであったり、数人の判定員が印象で勝敗判定を下したりと、どうしても裁判のように白黒が付けられない。
 『前提 or 事実を都度確定していく』
 『発言は記録に残る(ステルスダブスタが効かない)』
 『KO判定(裁判官のように信頼ある人物)』
 こんな要素を入れたらシリアス度が高まると想ふのに、討論番組はあえて白黒付けない、付けられない(世間的体裁で)気がしてならない。

 現実で出来ないこととは創作のチャンスである。
 現実の討論番組では即応性が求められる為、ステルスダブスタ(よく考えれば矛盾するが気付かれない発言)だったり、前に言ってることと矛盾してても忘れてしまっていたり、自分が責められた際に〝アナタはそんなこと言えるほど人徳があるの?〟などと相手に話をすり替えることが容易に出来てしまう。
 簡単に言えば、論理で勝敗を下すハズのディベートが発言者の印象やカリスマ性を競う場になってしまっている。これが討論番組が稚拙に見えてしまう主原因。

 裁判の場合は発言が記録に残り、証拠(ソース)の出し合いが終わると一旦間を開けたり、論点ずらしは〝弁護人は論点をズラしています→認めます〟で済んだり、レスバのあらゆる弊害が削ぎ落とされている。

 裁判を参考にすれば、現実では出来ないようなレスバ系創作物が出来るような気がする。『裁判のこの制度は何の為にあるのか?』を落とし込むだけで一物語出来てしまう。『イエス・ノーで答えて下さい』とどうして言うのか? どんな時に効果的なのか? みたいに。
 逆に、現状の裁判制度でおかしい部分を理想的な形にする、とかも発想材料になりそう。
 裁判物は作者にも読者にも難しいものだけど、レスバという稚拙なフィールドに裁判を取り入れていく分には幾らでも出来る、というアイデアでした。

 ダンガンロンパとかも結局、コナンの二番煎じ(レスバではなく私立探偵もの)やし、ワイは『弁魔士セシル』にこういう部分を期待しとったんやなって(女子高生弁護士が論破する系みたいな)

 ちなみに上のショートショートは、『性善説を唱えようとする限り利益目的の偽善者になってしまうので戦意喪失でKO』というオチでした。
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