第4話

文字数 4,253文字

 なんてことがあった、翌日。
 どれだけ奇想天外なイベントが発生したとしても生きている限り朝という時間は確実にやってくるもので。
 寝不足のまま臨んだ朝のホームルームの内容は、残念ながらこれっぽっちも覚えていなかった。
 今日最初の授業が始まるまであと数分。
 ここぞとばかりに教室を包む喧騒をどこかぼんやりと聞きながら、昨夜彼女に言われた言葉を思い出す。

「面白おかしく騒ぎ立てたら、殺すからね」

 そう淡々と告げた彼女の表情が忘れられない。
 もちろんこんな風に脅されなくとも最初から彼女のことを騒ぎ立てるつもりなんて毛頭なかった。
 むしろ彼女の秘密を少しだけ知れたことがこれ程ないまでに嬉しくて、しかもその秘密を墓に入るまで独り占めしようなんて思ってるんだから。
 ……なんか気持ち悪いなあ、俺。
 と、自分の思考に肩を落としつつ、ふいと彼女……もとい暁さんを見る。
 女子に囲まれて談笑している彼女の髪と目はやっぱり日本人らしい色に戻っていて、特に違和感もない。
 昨日の靄がなんだったのかとか、そもそも彼女が何者なのか、とか……色々聞きたいこともあるし、どこかのタイミングで彼女と話せたらいいんだけど……そう上手いこと行くわけもないだろう。
 人がいる場所で話せるような内容でもないし。

「ほーのかっ」

 今朝登校してきたときも彼女は俺に対して一瞥すらしなかったし、やはりこちらから距離を縮めないと俺が知りたいことはなにも知れなさそうだ。
 というか一瞥もしてくれないって……もしかして俺の恋、多難すぎ?

「あれ? 仄? 死んでる?」

 せっかく彼女と曲がり角でぶつかるというラブストーリーお約束展開を引き当てたというのにこれっぽっちも生かせなかったし。
 というか今思えば走っている時に彼女の手を握り返すぐらいすればよかった。
 俺はどうしてこう、いざという時に格好つかないのか……。

「えい」
「あだぁっ?!」

 額のど真ん中、一点にとんでもない痛みが走った驚きで仰け反った俺は、そのまま椅子と一緒に木造の床に叩きつけられた。
 年季の入った天井と、デコピンによって俺を張り倒した縁が視界に映る。
 縁はというと何が起こったのかわからず目を白黒させる俺を見て、高らかに拳を転に突き上げた。

「てれれれってれー! 仄を倒した! 縁ちゃんは経験値を3手に入れた!」
「経験値しょぼい……」

 スライムベスと一緒じゃん。

「で、スライムベスくんは何をそんなに悩んでいるのかな?」
「それはもう俺じゃねえ。スライムベスだよ」

 倒れた椅子と一緒に起き上がりつつ、座り直す。
 縁はというと俺の机に頬杖をついてどこか楽しそうに微笑んでいた。

「っていうか急にデコピンするとか酷えよ。びっくりしてひっくり返ったじゃんか」

 そう抗議すると、縁はぷっくりと頬を膨らませる。

「急じゃないよ。散々声かけてたのに無視したのは仄の方でしょ」
「え、声かけてた? わり、気付かなかった」
「まったくもう」

 どうやら考え込むあまり周りが見えていなかったようだ。
 縁に申し訳無さを感じつつも、やっぱり意識は暁さんの方に向いてしまう。

「ね、仄。私今日部活休みなんだけど、久しぶりに遊んで帰らない? ゲーセン行きたいな、ゲーセン」

 ぐいと彼女の指先が俺の服の袖を引いた。
 その仕草に少しどきりとする。
 ……いや、これに関しては許して欲しい。
 いくら幼馴染とはいえ女の子に服の袖をくいってされたらきゅんとするだろ、普通は。

「まあ、いいけど」
「やりー! じゃあストファイで負けたほうがファミレス奢りね!」
「それは嫌だ」
「え、なんでー?」
「ハメ殺されるから……」

 縁は器用だ。
 スポーツだろうがゲームだろうが一度ハマると達人の域に達するまで熱中してしまう。
 幼い頃なんかは一緒のタイミングで同じゲームを始めたはずなのに、ストーリーすら終わっていない俺に対し、縁はストーリーどころかやりこみ要素までコンプ済みということが度々起こっていた。

「じゃあ、ぷよぷよは?」
「お前この間、15連鎖安定して出せるようになったとか言ってたじゃん。嫌だよ」
「うぐぐ……じゃあテトリス……」
「それも500万点超えたとか喜んでたから却下。同じ土俵に上がれるものにしてくれよ」

 情けないが根本的に性格が違うのだから勝てないもんは勝てない。

「えー? なんだろう、じゃんけんとか?」
「確率と運が勝敗を左右するゲームでしか勝てないと思われているのか……」

 とはいえ器用で凝り性な彼女と互角にわたり歩ける勝負といったらそのくらいか。
 あとはまあ成績は俺の方が良かったりもするけれど、今すぐに勝敗がわかるものじゃないしな。

「じゃあ、じゃんけん負けたらファミレスとクレープ奢りね! 最初はパー!」
「なんか増えてるしセコい!」

 そして負けた!

「やったー! ファミレスとクレープとタピオカ~♪」
「お前はド畜生か?!」

 両手を高らかに上げてバンザイする縁。
 こんな勝負、納得いくか。

「もう一回! もう一回やろう、もう一回!」

 卑怯な手を食らったうえにその相手に縋るだなんてみっともないことこの上なかったが、このまま流されてファミレスとクレープとタピオカを奢らせられてたまるかという気持ちの元、交渉に臨む。
 すると縁は腰に手を当て、ふふん、と得意げに笑った。

「こらこらー。神聖な勝負には待ったもやり直しも効かないんだぞ」
「欲が渦巻いた卑劣な蹂躙だったけど?!」
「わかったわかった。もー、しょうがないなー」

 必死の抗議が認められ、改めて神聖な勝負とやらに挑んだのだが。
 まあ、うん。

「好きなだけ食え……」
「いえーい!」

 ストレートで負けました。
 じゃんけんすら勝てないなんて……俺、この先何を誇って生きていけばいいのかわからなくなりそう。
 縁はというと両手でピースを作ってぴょんぴょこ嬉しそうに跳ねている。

「さーて放課後の楽しみが出来たし、授業がんばろーっと」

 ああ、さよなら、俺のお小遣い。
 きらきらとした縁の笑顔を眩しいと思う反面、ただでさえ薄い財布が更に薄くなってしまうことに涙しつつ、俺は大人しく一時間目の授業に備えるのだった。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 そうして迎えた放課後。

「んで、なに悩んでるの?」

 縁は、大型ゲーム筐体についていたライフルのスコープから目を離しこちらをちらりと見る。
 久しぶりに訪れたゲームセンターは相変わらずゲームの効果音やらBGMやら人の話し声やらでガヤガヤとして煩かったので、俺は少し縁の方に身を寄せた。

「なに、と言われてもなぁ」

 なんと説明するのがいいのやら。
 まさかバカ正直に昨日の出来事を暴露するわけにもいくまい。
 返答に困っている様子の俺に気がついたのか、縁は大きな画面の向こうに現れたゾンビの頭部を的確に打ち抜きながら小さくため息を零す。

「どうせあの転校生ちゃんのことなんだろうけど」

 手に持っていたライフル型のコントローラーを下ろした彼女は、自分の選んだキャラクターがダメージを受けて悲鳴をあげるのも気にせず、こちらを真っ直ぐと見つめた。

「なにか進展でもあったの?」

 その視線を少し居心地悪く感じながらも俺は一人、ソンビと激戦を繰り広げる。

「まあ、うん……うん? 進展、あったのかな……」
「私に聞かれても」

 俺の抵抗も虚しく、程なくして筐体の画面には"You Dead"というおどろおどろしい文字が浮かび上がった。
 その数秒後、筐体は爆音でゲームのPVを流し始め、画面に"お金を入れてください"という案内を表示させる。
 ああ……まだ最初のステージだったのに。
 勿体なさを感じながら手に持っていたライフルを元あった場所に戻した。

「縁こそ、あの子にはあんまり声掛けないよな。普段は会ったら三秒で友達! 全人類みな兄妹! みたいな性格してんのに」
「私のことなんだと思ってんの?」

 がしゃがしゃとした騒がしいゲーセン内をゆっくりと歩き出すと、縁がゆっくりと後ろをついてくる。
 ……なんか、雛鳥を連れて歩く親鳥の気分だ。

「暁さんのこと、苦手なのか?」
「んー、そういうわけじゃないんだけどさ。……なんか、えっと、悪い意味に取らないでほしいんだけど」

 振り返ると、どこか不安そうな表情の縁と目が合う。
 彼女は足元と俺の顔とを交互に見比べ、少し悩んでから、口を開いた。

「あの子は……なんていうか、人と必要以上に関わることを避けてるような感じがして、声かけづらいっていうか」

 流石というか、相変わらず鋭いな、こいつ。
 昨日、彼女は平和に日々を過ごしたいだけだと言っていた。
 彼女の見た目が昼間と夜とで変化する理由についてはまだわからないが、少なくとも夜の時間の見た目が周囲にバレてしまったら平和な日常とは無縁になってしまうだろう。
 暁さんはそれを危惧してパーソナルスペースに誰も踏み入らせまいとしているのかもしれない。

「他の子は気付いていないかもしれないんだけどね。あの子……たまにすごく冷たい目をするの。それがなんだか、怖くて」

 縁が暁さんのことを言い淀んだのは、俺に気を遣っていたからか。
 確かに、普通なら気になっている人のことをこんな風に評価されたら困惑してしまうだろう。

「……そか」

 そうとだけ返事をすると、縁は一歩、近付いてきた。
 ふわりと甘いシャンプーの香りがする。

「まだ好きなの? あの子のこと。仲良くなりたいって思ってる?」

 その言葉に一瞬だけ詰まった。
 しかしすぐ、縁を真っ直ぐと見つめ返す。

「……好き、なんだと思う。あんまり自信ないけど。でも彼女のことを追いかけていたいと思うんだ」

 ただの興味本位かもしれないけれど、殺害予告までされておきながら彼女のことが気になってしまう自分がいる。
 明確に好きとまでは言えなくても気になっているのは確かだ。

「それってさ、片思いしてた十年間を手放したくないって思ってるだけじゃないの?」

 射抜くような視線と言葉に息が詰まった。
 心臓が大きく跳ねる。

「仄は今、恋に恋してるだけなんじゃないの?」

 縁の透き通った瞳に反射する自分の顔が、いやに情けなく見えた。

「そうだとしても……俺はまだ暁さんとまともに話せてすらいない。本当に好きなのか、それとも恋に恋していただけだったのか。その判断は、もう少し先でもいいと思うんだ」

 そう告げると、縁はふいと視線を逸らす。
 が、すぐに顔を上げていつもと変わらない笑顔で、そっか、とだけ零すのだった。
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