私、自分の葬式に行きたいです

文字数 3,996文字

「私、自分の葬式に行きたいです」

 短くも長い沈黙の後、目の前にいる女性のような幽霊は開口一番にそう言った。『女性のような』と表現したのは幽霊はピンク色の霊魂だからだ。ソプラノ調の高い声から女性だと思った。

 今日は華の金曜日。同僚との飲み会でベロベロに酔ったが、霊魂を見て一気に覚めた。
 霊魂に驚いたわけではない。高校時代の交通事故がきっかけで、記憶を失った代わりに霊視能力に目覚めて以降、霊魂を見ることはよくあった。

 しかし、家に霊魂がいるというのは初めての経験だ。自宅で殺人事件でも起きたのかと思ったが、幸いにも死体らしきものはない。

 では、この霊魂はどこから来たのだろうか?

「私、自分の葬式に行きたいです」

 返答がなかったからか霊魂はもう一度同じ言葉を繰り返す。

「君、どこから来たの?」
「分かりません。気づいたらここにいました」
「名前は?」
「分かりません」
「住所は?」
「分かりません。私、自分の葬式に行きたいです」
「それは分かったから」

 霊魂はまるで旧世代のロボットのように決まったことしか言わない。
それにしても、冷静に霊魂と会話ができる自分に驚いた。なんというか、彼女の声質や話し方に親しみを感じるのだ。

「とりあえず、今日は寝るとするか」

 独りボソッと呟くと、着替えもお風呂も歯磨きもせず、そのままベッドにダイブして熟睡した。

 ****

「おはようございます」

 朝、女性の声で目が覚めた。驚くほど目が覚めた。
 布団を力強く押し上げ、飛び起きるようにベッドから脱出した。ベッドの横にはピンク色の霊魂の姿がある。そこで寝る前の出来事を思い出した。

 ホッと一息つく。昨夜飲んだ同僚の女性と致してしまったのかと思った。『どれだけ酔っても女性の誘いに乗らない口説かないポリシー』に反しなくて良かった。

「おはようございます。私、自分の葬式に行きたいです」

 霊魂は相変わらず『葬式に行きたい』の一点張りだ。

「どうして自分の葬式に行きたいの?」
「私、葬式は『人生の精算所』だと思うんです。参列者は私に受けた感情とは逆の感情を私に向ける。善行であれば泣いて、悪行であれば笑う。そうすることで私に対する感情を相殺する。私は自分の葬式に行って、交流のあった人がどう思っていたのか知りたいんです」

 しみじみと語る霊魂に僕は言葉を失った。そんなことを言われたら、断るにも断れない。

「その思いを覚えているなら、せめて名前も住所も覚えていて欲しかったな」
「ごめんなさい。きっと大切な想いだから忘れられなかったんだと思います」

 霊魂は申し訳なさそうに言う。
 仕方がない。このまま背後霊となってしまわれては困る。願いを叶えて成仏させてあげるのが妥当だろう。今日が休日で良かった。

「分かった。でも、まずはやるべきことをやる。探すのはその後だ」

 昨夜は全てのことを放ったらかして寝たのだ。出かけるにも色々と準備をしなければいけない。
 最初にシャワーを浴びに洗面所へと向かった。支度している間、霊魂は特に何も言わなかった。

 ****

 支度を終え、ベッドへと腰掛ける。

「何か知ってることはないか?」

 僕は宙を漂う霊魂に話しかけた。
流石に情報が少なすぎる。霊魂が知っている情報を仕入れるのが先決だ。

「私、自分の葬式に行きたい」
「それはもう分かったから。他に何か。例えば死ぬ瞬間のこととか」

 霊魂はしばらく無言を貫いた。おそらく考えてくれているのだろう。

「光るものがあった気がします。それがとても痛かった」
「それって」

 殺人と言おうとしてやめた。

「ごめん」

 代わりに謝る。嫌なことを思い出させてしまったと思った。

「いいですよ。私の葬式に連れていってくれるなら」

 霊魂は気にする素振りを見せなかった。代わりに後戻りができなくなった。
 でも、今のはかなり有益な情報だったと思う。
 声から若い女性であることが窺える。昨日現れたことから昨日亡くなった可能性が高い。そして、殺害されたとなればかなり絞られる。

 試しにネットでニュースを調べる。昨日起きた殺人事件で被害者が十代から三十代くらいの女性であるものを探した。
 すると、一件だけ該当するニュースがあった。

『夫が妻を包丁で殺害 日常生活めぐるトラブルか』という見出しのニュース。被害に遭った女性の名前は金井 広香。年齢は二十五歳。僕と同い年だ。

 次にSNSを使って『金井 広香』で検索する。ヒットしたのはニュースを見たユーザーの感想ばかりだった。しかし、その中に『同じ中学だった』と呟くアカウントを発見した。アカウント登録は十三年前。同い年だとすれば、過去のログから中学の情報を得られるかもしれない。

 その人のスレッドから『中学』というワードで検索をかける。なんだかいけないことをしている気がした。
 運よく学校名がヒットした。
 これで出身中学校が分かった。あとは現地で調査するとしよう。

「一箇所、当てができた。そこに当たってみよう」
「ありがとうございます」

 バッグを担ぎ、僕たちは外へ出た。

 ****

 東京から新幹線で二時間。ようやく彼女の出身である名古屋に到着した。
『金井さんの友人です。彼女の葬儀に出たいと思っています。ただ、彼女の住所を知りません。教えていただけることって可能ですか?』

 新幹線に乗っている間、僕は彼女と交流がありそうなアカウントにひたすらDMを送った。
 回答はほとんどが既読無視。次いで多いのが『友人である証拠を見せて』という返信だった。
もちろん証拠なんてない。ビデオで霊魂に喋らせても、僕以外には見えないのだから、動画に姿は写らないだろう。仮にもし写ったとしても誰が信じようか。

 絶望に明け暮れていると、一件だけおかしなメッセージが飛んできた。

『もしかして、ゆうくん?』

 僕の名前は相沢 雄太。呼ばれたことはないが、ゆうくんと呼ばれても不思議ではない名前だ。
きっと別の誰かと勘違いしているのだろうが、今はこれに頼ろう。

『はい。ゆうくんです』

 そう返信すると、アカウント主から会う約束をされた。場所は霊魂の通っていた中学校だ。
 名古屋からさらに一時間かけて約束の場所へと訪れた。休日の夕方の中学校は誰もいなかった。
 ただ一人、校門にいる女性を除いては。僕は彼女の方へと歩み寄る。彼女は気配で僕に気づいたのか三メートル離れた距離で目が合った。

「やっぱりゆうくんだ」

 彼女はムスッとした表情で僕を見る。
頭の中が真っ白になった。どうやら向こう側の勘違いではなかったらしい。

「広香が大変だって時に今までどこほっつき歩いてた」

 距離を一気に詰められ、胸ぐらを掴まれた。かなりお怒りの様子だ。

「人違いです」
「人違いな訳あるか。最後に見たのが、中学の頃だからって顔を忘れるわけがない。一発殴らせろ。そのために会う約束をしたんだから」

 彼女の物言いにふと閃いた。

「ご、ごめんなさい。僕、中学以前の記憶がないんです」
「へっ?」

 彼女は拳を構えた姿勢で硬直する。呆けた表情をして僕を覗き込んだ。

「私、自分の葬式にいけるんですね」

 僕らの雰囲気とは裏腹に、霊魂はウキウキしながら僕らの周辺を漂っていた。

 ****

 葬式は翌日に開かれた。僕は校門で会った睦月さんの実家に泊めてもらった。
 あれから睦月さんに僕に関して色々と教えてもらった。

 僕は昔、この地域に住んでおり、金井さんとは恋仲だったらしい。
 中学卒業と同時に僕は引っ越した。金井さんとはスマホでしばしば連絡を取り合っていたみたいだが、ある日突然、僕からの連絡が途絶えたという。

 きっとその日、僕は交通事故に遭ったのだ。家族全員を巻き込んだ事故。両親は死亡し、僕は重傷を負った。幸い、体に傷は残らなかったが、記憶を失った。全壊したスマホは数年後に買い替えたが、長期未使用のためバックアップの復元ができなかった。だから連絡できなかった。

 事情を聞いた睦月さんは、泣きながら何度も僕に謝罪した。
 睦月さんは僕を憎んでいた。連絡を取らなかったのは遠方で浮気したのだと思っていたのだ。
 金井さんは僕との恋仲が自然消滅してから他の男と付き合い結婚。それが今の夫だと言う。

 もし、僕があのまま金井さんと付き合っていたら、今回の事件は起こらなかったのだ。
 正直、罪悪感はない。悪意があったわけではないのだ。全て自然に起こったこと。仕方がない。

 だが、その考えは葬式に出て、打ち砕かれた。

 初めて霊魂である金井さんの顔を見た時、僕の中で何かが動いた。
 止め処ないほどの溢れる涙。一目見ただけで彼女が好きだったのだと分かった。

 ずっと長年考えてきたことがある。どうして僕は『どれだけ酔っても女性の誘いに乗らない口説かないポリシー』を持つようになったのか。僕の中に愛すべき人いたからだ。

 どうしてもっと早く気づかなかったのだろう。
 どうしてバックアップの復元を諦めてしまったのだろう。
 どうして中学時代について触れようとしなかったのだろう。

 自暴自棄になった。睦月さんの代わりに自分で自分を殴ってやりたいと思った。

「ごめん」

 全ての感情が合わさって出た言葉は彼女への謝罪だった。

「いいですよ。だって、あなたはこんなにも涙を流してくれたんですから。私はあなたにとってとても愛しい存在になれていたんですね。それが知れて満足です」

 霊魂は僕の元から離れ、フワフワと漂い、自分の棺の元へと流れていった。
そして、そのままゆっくりと昇華するように消えた。それはまるで交通事故で僕が目覚めた際に見た二つの霊魂のようだった。彼女は安心して、天国に行ったのだ。

 式場では、大勢の参列者が一人残らず目に涙を浮かべていた。彼女は多くの人に愛を与えてくれていたに違いない。それは僕も例外ではない。

 ここに来れて良かった。きっと彼女は僕を導くために部屋に現れたのだろう。
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