大丈夫、まだいける!

文字数 1,886文字

「ねぇ、沙和聞いてる?」
「えっ、あ、ごめん。なんだっけ?」
「もういいよ、沙和この頃なんかおかしいよね。大丈夫?」
「うん、大丈夫。ホントごめん」
 それは1週間前のこと。普通にいつも通り歩いて友達5人と下校している最中、私は突然真っ暗で無機質な宇宙空間へと吸い込まれる感覚に陥り、いきなり「人のことを傷つけてはいけない」という声のようなものがなんの声色もない言葉としてパッと流れてきた。その時はなにが起こっているのか自分でも理解ができずにいたが暫くして、私はまたみんなとの会話の中へ自然に戻ることができていた。しかし、それからずっと私はその言葉が忘れられなくとても怖くて、でも誰にも言えなくて苦しくて苦しくて仕方なかった。
 その時だけでそれ以降その言葉が流れてくることはなかったが、私は「人を傷つけないようにもっと気をつけなければ」という思いに縛られることになった。
 友達やクラスメイトと話をする時に、過剰に気を遣うようになったその時期がちょうど高校受験とも重なり、私は自分の心が無くなりそうだった。いままでもそんなに故意に人を傷つけていたつもりはなかった。でももしかしたら、何気ない私の言葉が人を傷つけてしまったのではないかと昔の記憶を遡り、反省ばかりをする日々が続いた。
 それでも残りの半年となった中学校生活は、それまで通りの明るく楽しい自分でいるよう心掛けていたが、高校へ進学したらもう友達は作らず一人でいようと心に決めていた。そうすれば誰のことも傷つけることはないかもしれないと考えたからだ。そんな時もう苦しさに耐えられなくなり、誰からも好かれていて私も1番信頼していた親友の千草に思いきって相談してみると、千草は
「沙和はなにも人を傷つけるようなことはしてないよ。大丈夫だよ」
と言ってくれた。私は千草の優しさに触れ涙が溢れてきた。私は千草になにを返せるだろう? そんなことを考えていた。そして千草のように優しくあろうと心に決めた。
 しかし私は受験勉強よりも人とはどうあるべきかを考えすぎて成績は下がっていく一方。もうその頃は行きたい高校すら考える余地はなく、とにかく確実性を重視して受験する高校を選んだが、もはやどこでも構わなかった。私は人を傷つけない代わりに自分の心がどんどん傷ついていく気がして、もう消えてしまいたいとすら思っていた。
 高校は第1志望の女子校に受かることができたが、嬉しくもなんともなかった。そして中学の卒業式を境に友達とも段々と疎遠になっていき、春休み私は誰とも会わず悶々とした日々を送っていた。
 高校の入学式は晴れの日のはずなのに私は憂鬱で仕方なく、周りを見渡すと新しい制服に身を包んだ同級生たちがキラキラと輝いて見えた。私もおんなじ制服を着ているのに……。
 高校生活スタートと同時に私の孤独な高校生活もスタートすることになる。私はまず本を用意し休み時間は本を読んでバリアを張り、たまに「お昼一緒に食べよう」と誘ってもらっても、丁重にお断りをしてしまっていた。
 私は中学からの友達とも自分から連絡することをやめた。そうして本当に友達がいなくなってから、私は初めて気がついた。そう人はひとりじゃ生きられないんだと。人を傷つけないために友達を作らないというその行為でも人を傷つけてしまっていたこと。
 一体あの言葉はなんだったんだろう? 私になにを伝えたかったのだろう? その時私は千草の言葉を思い出し、誰の言葉かもわからない言葉より千草の言葉を信じることに決めた。それから少しずつ私の高校生活も変化していくことになり、梅雨で気の滅入る頃、ようやく高校で初めて友達ができた。私は9ヶ月ぶりに心から笑顔になることができとても嬉しい気持ちになった。
 いまだって人を傷つけるのは怖いし、人を傷つけてはいけないと心から思う。でも私は完璧には生きられない。だから私は不恰好のまま泣いたり笑ったりしながら、時には後悔や反省をしながらも自分らしく生きる道を選ぼうと思った。
 夏休み千草と久しぶりに会った。私たちは喫茶店でドリンクとケーキだけで3時間くらいいろいろな話をしたが、それでも話が尽きなかった。
「今度またみんなで会おうよ」
千草が言った。私は笑顔で
「うん!」
と答えた。すると千草が
「やっぱり沙和は笑顔が似合うよ」
そう言って私を軽くハグしてくれた。その時聞こえた蝉の鳴き声もいまの私には健気に愛おしく感じられた。
『大丈夫、まだいける!』
なんの根拠もないが私はそんな気がしてふと空を見上げた。夏の空は青く、そして高くて私の手にはまだまだ届きそうにはなかった。


 
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