第3話 紺屋星

文字数 2,244文字

紺屋 星(こんや あかり)は其の時が来るのを今か今かと待ち侘びていた。

昨晩はそわそわとして何も手につかず、さっさとベッドに入って寝る事にした。
まんじりとも出来なかった。五時には遂に寝る事を諦めてベッドから出た。
鏡には緊張の余り頬が上気し 血走った目をギラギラさせた少女が映った。何時もなら時間ぎりぎりまで寝ているのに 早朝から目を輝かせて起きて来た星に家族は何事かと訝しんだ。今日は日直なので早く行って色々しなければならない、と星は説明した。
星は噓を吐く時顔が真っ赤になってどもる。二人の兄はそんな星の癖を見抜いているから何時も直ぐにばれてしまう。其れが如何した訳か此の時は不思議と口がすらすらと動いた。疑わしげな目で二人の兄に頭の天辺から爪先まで見られても動じる事も無く まるで自分じゃないかの様だった。
家族に余計な詮索をされたくない。何かある、と思えば父と二人の兄は星が白状するまでしつこく追求して来るに違いないのだから。父親は現役の警察官で 二人の兄も間違い無く其の血を受け継いでいる。母親はのんびりとした性格で助けにならない。
何事も一生懸命なのは良い事だ、と父は星の使命感を褒めた。兄二人はまだ半信半疑の眼差しを向けていたが 母はいつもの穏やかな笑みで頑張ってね、と言って星を送り出してくれた。
自分でも驚くほどの饒舌でうまく家族をやり込めて家を出て来たのだが 此の場所に立つと新たな緊張が襲って来た。
   落ち着け 落ち着け
深呼吸する。春の清々しい大気を肺一杯に吸い込んだ。ぶはっと吐き出す。
   駄目だぁ
   あ、そうだ!えっと確か
左手を広げ 人差し指で「人」と書く。腕時計が目に入った。間も無く八時になる。星の頭が真っ白になっていく。星は掌を真っ赤にしながら人人人と書き続けた。
並木道を吹き抜ける春風はまだ少し冷たい。石畳の上で小さな竜巻が起こり 巻き込まれた葉がくるくると回っている。其の中を彼女はやって来た。
烏の濡れ羽色、とはかくや 美しい漆黒の髪 星明かりの様に白い肌 整った顔立ちに煌めく大きな眸。颯爽と歩く姿は彼女の名に恥じない。
東宮ハレー。
始業式の日。部活動の勧誘をしていた星を 其の透き通るような目で彼女は直と見つめて来た。一心に見つめられて星の心臓はへヴィメタルのドラム並にがんがん打ち鳴らされた。同じクラスだったが 彼女は異星の存在だった。星は彼女に「おはよう」すら言えないでいた。ハレーを前にすると声が出なくなる。
コミュニケーションを取るにはまず挨拶が肝心要だ。其れが出来てこそ次の会話へと進める。だから今日こそは、と臍を決めて彼女が登校して来るのを こうして今か今かと待ち侘びていたのだ。こつこつ、と石畳にローファーの足音を響かせて近付いてくる。
   き 来たあー!
星は真っ赤になった顔をがばっと上げた。
「おはようっ!!」
気持ちが入り過ぎて街宣車の拡声器から発されたかの如く大声となった。
「うお!どしたー?星」
「朝から元気いっぱいかよ」
星の前には驚きに目を丸くしたクラスメイトの女子二人が居た。
肝心のハレーは二人を挟んだ向こう側を我関せずとばかりにすたすたと通り過ぎてゆく。
   あああああ!待ってぇ!
心の手はハレーに向かって伸ばされているのだが 声にはならなかった。
「何?ボイトレしてんの?選挙にでも出んの?」
「紺屋星ただ今挨拶運動実施中でやんす~!」
悪戯心に火のついた二人が星の前に立ちはだかり 人の気も知らずに勝手な事を言ってケタケタと笑う。
ハレーの姿は校門の中に消えた。星は口をへの字に曲げた。
「めっちゃ睨んで来るじゃん 腹減ったんかー?」
「よちよち 此れでもお食べ」
一人が朝っぱらからぼりぼりと食べていたチョコビスケットの袋を差し出して来て ―
「あ!
と声を上げた。二人の視線は一点に集中し
「神室く~ん♡おは~♡」
きゃあきゃあと甘ったるい声を上げながら 両手をぱたぱたさせてスカートを穿いた鳩の群れに新たに加わってゆく。
星は眉間を寄せて軽蔑の目をくれた。
神室月兎など 東宮ハレーの前にあっては裸電球にも等しい。抑も比べものにもならない。ハレーは彗星の様に美しく壮大で眩く耀いて…
リンゴ~ンと鳴る鐘の音で星は我に返った。駆け込んだ校門では鬼の形相をした教師に出迎えられ熱の入った小言をたっぷりと頂戴した。


奇跡とは到来するものだ。
其れも突然に。
遅刻の罰として今日一日教師の手伝いをする羽目になり噓が誠になったばかりか 自習で浮かれたクラスメイト達から苦心惨憺してもぎ取ったプリントを集め 憤懣遣る方無く教員室に提出に向かった帰り道で 前方から来たハレーとばったり出会ったのだ。
星の口はOの形を取った。
ハレーは星に見向きもしない。棒の様に立ち尽くす星の脇をすいと通り過ぎ さっさと行ってしまう。
「と …!東宮さん!」
振り返ったハレーが怪訝そうな目で星を見る。其の冷たい眼差しと来たら ― 神!
「ああああの!私、紺屋星って言います!」
「…うん 知ってる」
目の前でもじもじしながら立っているクラスメイトには見覚えがある。同じクラスだから当然なのだが 喋った事は一度も無い。
「あの 東宮さん
「いきなり変な事言って御免なさい
「私のこと … いや あの
「始業式の日の事覚えてる …ますか?」
   何故敬語
だが覚えている。其れは 彼女が特異であったからだ。
「東宮さん、私のことずっと見てましたよね?」
そう思ったのなら申し訳ないが ハレーが視ているものは違っていた。

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登場人物紹介

東宮ハレー+黒虎 霊感美少女。祖父直伝の蹴りと祖母直伝のビンタで悪を成敗。

神室月兎+天女  ゴールドメッシュのチャラ男。好物はアップルパイ。

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