第5話
文字数 4,118文字
裏口の鍵をかけ、光咲は小さく息をついた。
(ごめんなさい、若先生……)
幼い頃から知っている気さくな顔を思い浮かべると申し訳なかったが、仕方がない。
松本医院の本当の姿は隠人専門病院だ。邪にやられた傷や霊体の治療の専門医や看護師が務めていて、光咲の母は隠人専任の看護師として働いている。現衆専用の回線をいくつも持っていて、その中には鎮守隊との緊急連絡回線もあると聞いている。下手に連絡すると一真の行動が鎮守隊に筒抜けになってしまうかもしれない。
敷地の外に出ようとすると足が竦んだ。無意識にポケットの中の金平糖を探ろうとして手を止める。
(怖くない……!怖くないんだから……!!)
自分に言い聞かせ、大きく深呼吸した。
金平糖の効き目が切れた今、外に出れば、そこはもう一年前に視た世界。人ではなく隠人が視る世界なのだ。
(よかった……。何にもいない……)
通りをきょろきょろと確認し、とりあえず安堵する。
(一真君は……)
わかっていたが、やはり一真の姿はない。
がっかりしながらも、どこかでほっとした。
一真を止めるのか、一緒に鎮守隊に乗り込むのか――、まだ迷っている。
(……一真君に会うまでに決めなくちゃ……)
自宅に自転車を取りに行こうと歩き始めると向かいの公園で人の気配がした。
“仮初の御魂よ、宿りて我が意に従え……”
知っている声に公園の中を伺うと、ベンチに腰を下ろした彰二が空に向けて折り紙を翳しているところだった。
「組長の元へ……」
「ま、待って……!」
慌てて駆け寄り、飛び立とうとする折り紙に手を伸ばした。
直感だった。あれは一真に関わりのあることに違いない――。
「え!?北嶺さん!?」
驚く少年の掌の上で折り紙が燕へと姿を変え、光咲の手をすり抜けて夜空へ飛び立った。
「行っちゃった……」
燕が飛び去った方向を眺め、肩を落とす。
「どうして北嶺さんが??どういうこと??」
混乱した様子の彰二は学校にいる時とまるで変わらない。
あの術を使ったということは彼もまた隠人。「組長」という単語を使ったということは、鎮守隊の隊員だ。鎮守隊は地域ごとに東西南北に担当区域を分けていて、西組は町内に本部がある。西組を束ねる組長は一番隊の隊長でもあり、この町を拠点にしている。そのため、この町の隊員達は「隊長」ではなく「組長」と呼ぶ。
「北嶺さんの家って、この近くだっけ?でも、このあたりまで来ちゃうと、斎木君の家しかないよね??」
(隠人って……、こういうことなんだ……)
不安と緊張が緩んで行く。
――覚醒したからって、何にも変わらないんだ……
視える世界は変わるだろう。知らなければならないことは増えるだろうし、将来の選択肢も変わるだろう。
だけど、心は変わらない。
きっと、好きなものも楽しいことも、気持ちは同じ。光咲は光咲なのだ。
(一真君が言った通りだったよ……)
どこかを走り回っているだろう幼馴染に、そっと報告すると肩の力が抜けた。
「さっきの術……、沖野君って鎮守隊だったんだね」
「そ、そうだけど……。北嶺さんって……、覚醒してたっけ?」
「たぶん、これから覚醒予定」
「え!?神社には……」
「ちゃんと報告してるよ。現衆の登録はまだだけどね」
掌を見せると彰二は眼を見開いた。
「それより、一真君に会ったんだよね?どっちに行ったかわかる?」
(南西の橋っていったら……、浅瀬橋 だよな……)
町には橋が三つある。大通りにかかる五色橋、葉守神社前の帆屋橋、そして、町の外れの浅瀬橋だ。
記憶を頼りに角を曲がり、土手に到着する。さらさらと流れていく川の向こうに闇に沈んだ橋がかかっている。橋は二車線の道路と歩道があるほど大きく、点在する街灯が遠い水面に映っている。
(誰もいねェな……)
土手を滑り河原へ下りた。
余裕でキャッチボールができるほど広い河原は、昼間ならば釣りをする人やジョギングする人で賑わっているが、この時刻になるとさすがに人の姿はない。
(やけにピリピリしてやがるな……)
誰もいないはずなのに試合会場のような緊迫した空気が立ち込めている。目に見えなくても、何かがあるということに違いない。
(結界とか言ってたっけか……)
どういうものかはわからないが、簡単に見えるものではないはずだ。そうでなければ、町内のあちこちで目撃談が飛び交うだろう。
冶黒がしていたように目を閉じてみる。
真っ暗になった視界には何も映らず、ただ川を流れる水の音と橋の上を行き交う車のエンジン音に、ごうごうという風の音が聞こえた。
五秒が経ち、十秒が経った。
目を開け、はあっと肩を落とす。
「……やっぱダメか……」
それならばと耳を澄ましてみる。
五色橋の時のような不思議な足音は聞こえず、川に向かって手を伸ばしてみても何かに触れることはなかった。
(チクショ、ここまで来て……)
こんなことならば、冶黒に結界の探し方も聞いておけばよかった。
「沖野の札みてーに光ってくれりゃわかりやすいのにさ……」
気合を入れて拳を突き出してみても、スカスカと空気を殴るだけだ。
「クソ……、詰んでるじゃねェか……!」
砂の上にどっかりと胡坐をかく。
こうしている間にも、鎮守隊が詩織を見つけるもしれない。
詩織を見つければ、望はまた刀を抜くのだろう。
あの五色橋にいた少年も加わるのだろうか。彼が補佐だとすれば、他の補佐も刀を使うのだろう。符や刀を手に、妹を追いかけまわすのだろうか。
そんな最悪なことになる前に、どうしても問いたかった。
光咲が言っていた「退治」の意味を。
邪を追い出せば、詩織は無事に戻ってくるのかを。
指揮を執るだろう鎮守役本人の口から答えを聞きたかった。
いや、きっと聞いたところで納得なんてできない。自分も立ち会いたい。立ち会わなければいけない気がする。
「『心を研ぎ澄まして』って……、結局どうしろってんだよ……。アドバイスなら、もっとわかりやすく言えよな……」
ぼやきながら川面を眺めた。
水が流れる音に交じり、風の音が耳を掠めていく。
(なんか懐かしいな……)
――よく黄昏時に……
不意に浮かんだ感覚と脳裏を掠めた光景に眉を顰めた。
この河原に遊びに来たことはあるが、どれも四年前だ。小学生が夜にこんな場所をうろついていたはずがないし、大坂でも夜の河原で黄昏れていた記憶はない。
だが、先ほどの記憶の中で川を眺めていた自分の目線は今よりもずっと低かった。
(確か、あの時は……)
誰かが一緒にいた気がする。
その人物は決まって暮れてゆく川をぼんやりと眺めていて、いつも自分はその背を見るともなしに見ていた。そろそろ戻ったほうがいいのではないかと夜の帳に焦りながら、風の音に自分達を探す声が混じらないかを気にしながら――。
鼓動が跳ね、景色がぼんやりと碧に霞んだ。
目の前の川面に一人の少年の姿が浮かぶ。
袴を改造したような服装をした少年は一真の焦りが聞こえたように振り向いた。
「あ……」
思わず立ち上がる。
茶色い髪に中性的な顔立ち――、髪型は違うが、望と酷似している。
少年は悪戯を思いついたような笑みを浮かべ、手招きをした。一緒に仕掛けようということだろう。いつものように――。
碧が渦巻き、右手の甲がじわりと熱を帯びる。
何かが顔を覗かせようとした。
「痛っ!?」
静電気のような刺激に額を押さえた。
顔を覗かせようとした何かが押し止められ、碧が鎮まってゆく。
ドクリとまた鼓動が跳ねた。鎮まりかけていた碧がまたむくりと起き上がった。
額を押さえたまま前を見つめる。
少年の姿は消えている。だが――。
引き寄せられるように一真は彼が立っていた場所に歩き出した。
スニーカーの下の感触が砂から砂利の凸凹へ変わり、滑らかなものに変わったが気にすることなく歩き続ける。
「…………さ……ま……?」
ぼうっとしながら左手を虚空へ伸ばす。
手を中心に波紋が生じた。掌に硬い感触が触れる。
「ここか……」
呟き、波紋の隙間に両手を突っ込んだ。
指が不可視の硬い感触にのめり込み、手の周りが赤く光った。
包帯から煙が上がり、ジュウっと肉が焦げる臭いが鼻をつく。波紋を染める赤が熱した炭のように熱を放ち、押し込んだ手は熱いのか痛いのかすらわからない。
「開……け……!」
両手が碧の光を放つ。
宙に亀裂が走り、ガラスのような音を立てて割れていく。硬い壁のような感触がゼリーのように柔らかくなり、手ごたえが消えた。
「うを!?」
思い切り前につんのめり、我に返る。
振り向いた先では、ぐにゃぐにゃと夜の景色が閉じていくところだった。
「今……、何やってたんだ……?」
袖口から焦げたジャケットが煤のように落ちた。
何故か手の平がヒリヒリと痛む。
両手を開き、息を呑んだ。
「これ……、火傷か……?」
手の平の包帯はほとんど焦げ、隙間から覗く手は真っ赤だった。手の周りで青い光が舞い、少しずつ痛みが引いて火傷も癒えていく。
「なんだ……?この青いの……?」
火傷ならば水で冷やしたほうがいいだろうと顔を上げた。
「……なんで……、あんなとこに岸……?」
河原の砂の上に座っていたはずなのに、周りからごっそりと河原の景色が消え、代わりに一面の黒い水面が囲んでいる。
軽く混乱したまま足元を見た。
(え……?)
スニーカーが踏みしめていたのは、砂利ではなく水だった。
それも流れていく川の水面だ。
(これって……、透明の板でもあんのか……?)
足を一歩踏み出してみると、左足は音も立てずに川面を踏んだ。屈みこんで触れてみた手は水面を通り抜け、パチャッと音を立てて濡れた。
「す、スゲエ!!川の上歩いてるじゃねェか!よくわからねェけど、ここって結界の中ってやつか!?」
「結界は関係ありません。君が自分の霊気を紡いで現の制限を断ち切っているんですよ」
「へ?」
ガクッと足元が抜けた。
「げっっ!?」
落とし穴に引っかかったように、重力に引っ張られる。
屈んだ姿勢のまま川に落下し、水中に沈む。
「浅瀬橋」と言うわりに、川の真ん中が深いのを思い出したのは、頭の先まで春の冷たい水に浸かった後だった。
(ごめんなさい、若先生……)
幼い頃から知っている気さくな顔を思い浮かべると申し訳なかったが、仕方がない。
松本医院の本当の姿は隠人専門病院だ。邪にやられた傷や霊体の治療の専門医や看護師が務めていて、光咲の母は隠人専任の看護師として働いている。現衆専用の回線をいくつも持っていて、その中には鎮守隊との緊急連絡回線もあると聞いている。下手に連絡すると一真の行動が鎮守隊に筒抜けになってしまうかもしれない。
敷地の外に出ようとすると足が竦んだ。無意識にポケットの中の金平糖を探ろうとして手を止める。
(怖くない……!怖くないんだから……!!)
自分に言い聞かせ、大きく深呼吸した。
金平糖の効き目が切れた今、外に出れば、そこはもう一年前に視た世界。人ではなく隠人が視る世界なのだ。
(よかった……。何にもいない……)
通りをきょろきょろと確認し、とりあえず安堵する。
(一真君は……)
わかっていたが、やはり一真の姿はない。
がっかりしながらも、どこかでほっとした。
一真を止めるのか、一緒に鎮守隊に乗り込むのか――、まだ迷っている。
(……一真君に会うまでに決めなくちゃ……)
自宅に自転車を取りに行こうと歩き始めると向かいの公園で人の気配がした。
“仮初の御魂よ、宿りて我が意に従え……”
知っている声に公園の中を伺うと、ベンチに腰を下ろした彰二が空に向けて折り紙を翳しているところだった。
「組長の元へ……」
「ま、待って……!」
慌てて駆け寄り、飛び立とうとする折り紙に手を伸ばした。
直感だった。あれは一真に関わりのあることに違いない――。
「え!?北嶺さん!?」
驚く少年の掌の上で折り紙が燕へと姿を変え、光咲の手をすり抜けて夜空へ飛び立った。
「行っちゃった……」
燕が飛び去った方向を眺め、肩を落とす。
「どうして北嶺さんが??どういうこと??」
混乱した様子の彰二は学校にいる時とまるで変わらない。
あの術を使ったということは彼もまた隠人。「組長」という単語を使ったということは、鎮守隊の隊員だ。鎮守隊は地域ごとに東西南北に担当区域を分けていて、西組は町内に本部がある。西組を束ねる組長は一番隊の隊長でもあり、この町を拠点にしている。そのため、この町の隊員達は「隊長」ではなく「組長」と呼ぶ。
「北嶺さんの家って、この近くだっけ?でも、このあたりまで来ちゃうと、斎木君の家しかないよね??」
(隠人って……、こういうことなんだ……)
不安と緊張が緩んで行く。
――覚醒したからって、何にも変わらないんだ……
視える世界は変わるだろう。知らなければならないことは増えるだろうし、将来の選択肢も変わるだろう。
だけど、心は変わらない。
きっと、好きなものも楽しいことも、気持ちは同じ。光咲は光咲なのだ。
(一真君が言った通りだったよ……)
どこかを走り回っているだろう幼馴染に、そっと報告すると肩の力が抜けた。
「さっきの術……、沖野君って鎮守隊だったんだね」
「そ、そうだけど……。北嶺さんって……、覚醒してたっけ?」
「たぶん、これから覚醒予定」
「え!?神社には……」
「ちゃんと報告してるよ。現衆の登録はまだだけどね」
掌を見せると彰二は眼を見開いた。
「それより、一真君に会ったんだよね?どっちに行ったかわかる?」
(南西の橋っていったら……、
町には橋が三つある。大通りにかかる五色橋、葉守神社前の帆屋橋、そして、町の外れの浅瀬橋だ。
記憶を頼りに角を曲がり、土手に到着する。さらさらと流れていく川の向こうに闇に沈んだ橋がかかっている。橋は二車線の道路と歩道があるほど大きく、点在する街灯が遠い水面に映っている。
(誰もいねェな……)
土手を滑り河原へ下りた。
余裕でキャッチボールができるほど広い河原は、昼間ならば釣りをする人やジョギングする人で賑わっているが、この時刻になるとさすがに人の姿はない。
(やけにピリピリしてやがるな……)
誰もいないはずなのに試合会場のような緊迫した空気が立ち込めている。目に見えなくても、何かがあるということに違いない。
(結界とか言ってたっけか……)
どういうものかはわからないが、簡単に見えるものではないはずだ。そうでなければ、町内のあちこちで目撃談が飛び交うだろう。
冶黒がしていたように目を閉じてみる。
真っ暗になった視界には何も映らず、ただ川を流れる水の音と橋の上を行き交う車のエンジン音に、ごうごうという風の音が聞こえた。
五秒が経ち、十秒が経った。
目を開け、はあっと肩を落とす。
「……やっぱダメか……」
それならばと耳を澄ましてみる。
五色橋の時のような不思議な足音は聞こえず、川に向かって手を伸ばしてみても何かに触れることはなかった。
(チクショ、ここまで来て……)
こんなことならば、冶黒に結界の探し方も聞いておけばよかった。
「沖野の札みてーに光ってくれりゃわかりやすいのにさ……」
気合を入れて拳を突き出してみても、スカスカと空気を殴るだけだ。
「クソ……、詰んでるじゃねェか……!」
砂の上にどっかりと胡坐をかく。
こうしている間にも、鎮守隊が詩織を見つけるもしれない。
詩織を見つければ、望はまた刀を抜くのだろう。
あの五色橋にいた少年も加わるのだろうか。彼が補佐だとすれば、他の補佐も刀を使うのだろう。符や刀を手に、妹を追いかけまわすのだろうか。
そんな最悪なことになる前に、どうしても問いたかった。
光咲が言っていた「退治」の意味を。
邪を追い出せば、詩織は無事に戻ってくるのかを。
指揮を執るだろう鎮守役本人の口から答えを聞きたかった。
いや、きっと聞いたところで納得なんてできない。自分も立ち会いたい。立ち会わなければいけない気がする。
「『心を研ぎ澄まして』って……、結局どうしろってんだよ……。アドバイスなら、もっとわかりやすく言えよな……」
ぼやきながら川面を眺めた。
水が流れる音に交じり、風の音が耳を掠めていく。
(なんか懐かしいな……)
――よく黄昏時に……
不意に浮かんだ感覚と脳裏を掠めた光景に眉を顰めた。
この河原に遊びに来たことはあるが、どれも四年前だ。小学生が夜にこんな場所をうろついていたはずがないし、大坂でも夜の河原で黄昏れていた記憶はない。
だが、先ほどの記憶の中で川を眺めていた自分の目線は今よりもずっと低かった。
(確か、あの時は……)
誰かが一緒にいた気がする。
その人物は決まって暮れてゆく川をぼんやりと眺めていて、いつも自分はその背を見るともなしに見ていた。そろそろ戻ったほうがいいのではないかと夜の帳に焦りながら、風の音に自分達を探す声が混じらないかを気にしながら――。
鼓動が跳ね、景色がぼんやりと碧に霞んだ。
目の前の川面に一人の少年の姿が浮かぶ。
袴を改造したような服装をした少年は一真の焦りが聞こえたように振り向いた。
「あ……」
思わず立ち上がる。
茶色い髪に中性的な顔立ち――、髪型は違うが、望と酷似している。
少年は悪戯を思いついたような笑みを浮かべ、手招きをした。一緒に仕掛けようということだろう。いつものように――。
碧が渦巻き、右手の甲がじわりと熱を帯びる。
何かが顔を覗かせようとした。
「痛っ!?」
静電気のような刺激に額を押さえた。
顔を覗かせようとした何かが押し止められ、碧が鎮まってゆく。
ドクリとまた鼓動が跳ねた。鎮まりかけていた碧がまたむくりと起き上がった。
額を押さえたまま前を見つめる。
少年の姿は消えている。だが――。
引き寄せられるように一真は彼が立っていた場所に歩き出した。
スニーカーの下の感触が砂から砂利の凸凹へ変わり、滑らかなものに変わったが気にすることなく歩き続ける。
「…………さ……ま……?」
ぼうっとしながら左手を虚空へ伸ばす。
手を中心に波紋が生じた。掌に硬い感触が触れる。
「ここか……」
呟き、波紋の隙間に両手を突っ込んだ。
指が不可視の硬い感触にのめり込み、手の周りが赤く光った。
包帯から煙が上がり、ジュウっと肉が焦げる臭いが鼻をつく。波紋を染める赤が熱した炭のように熱を放ち、押し込んだ手は熱いのか痛いのかすらわからない。
「開……け……!」
両手が碧の光を放つ。
宙に亀裂が走り、ガラスのような音を立てて割れていく。硬い壁のような感触がゼリーのように柔らかくなり、手ごたえが消えた。
「うを!?」
思い切り前につんのめり、我に返る。
振り向いた先では、ぐにゃぐにゃと夜の景色が閉じていくところだった。
「今……、何やってたんだ……?」
袖口から焦げたジャケットが煤のように落ちた。
何故か手の平がヒリヒリと痛む。
両手を開き、息を呑んだ。
「これ……、火傷か……?」
手の平の包帯はほとんど焦げ、隙間から覗く手は真っ赤だった。手の周りで青い光が舞い、少しずつ痛みが引いて火傷も癒えていく。
「なんだ……?この青いの……?」
火傷ならば水で冷やしたほうがいいだろうと顔を上げた。
「……なんで……、あんなとこに岸……?」
河原の砂の上に座っていたはずなのに、周りからごっそりと河原の景色が消え、代わりに一面の黒い水面が囲んでいる。
軽く混乱したまま足元を見た。
(え……?)
スニーカーが踏みしめていたのは、砂利ではなく水だった。
それも流れていく川の水面だ。
(これって……、透明の板でもあんのか……?)
足を一歩踏み出してみると、左足は音も立てずに川面を踏んだ。屈みこんで触れてみた手は水面を通り抜け、パチャッと音を立てて濡れた。
「す、スゲエ!!川の上歩いてるじゃねェか!よくわからねェけど、ここって結界の中ってやつか!?」
「結界は関係ありません。君が自分の霊気を紡いで現の制限を断ち切っているんですよ」
「へ?」
ガクッと足元が抜けた。
「げっっ!?」
落とし穴に引っかかったように、重力に引っ張られる。
屈んだ姿勢のまま川に落下し、水中に沈む。
「浅瀬橋」と言うわりに、川の真ん中が深いのを思い出したのは、頭の先まで春の冷たい水に浸かった後だった。