冷たき手に涙を流せ!(5)

文字数 2,007文字

 夕食の卓に並んだ皿に『ちくわの磯辺揚げ』があるのを見て、別斗は歓喜の声を上げた。

「うわあ、これおれの大好物じゃん!」

 子どもみたいにはしゃぐ別斗を、まるで慈愛に満ちた聖母のごとき眼差しで見つめるひとりの女性。

「ごめんね、別斗くん。今日はこんなものしか作ってあげられなくって」

 それがお世辞であると、別斗は心得ている。本当は自分にこれを食べさせたくて、わざわざちくわの安売りを慣行した隣町のスーパーへ買い出しに行ったのを、別斗は知っていた。
 テーブルにはちくわの磯辺揚げの他、イカと梅と刻んだ大葉のかき揚げや厚揚げの和風きのこソースあんかけなども並んでいた。

「んなことないっすよ。こんな豪勢な食事を作ってもらっといて、感謝しかないっす」
「もっと栄養のバランスとかカロリーとか、考えてあげられればいいんだけどね」
「いやいや、栄養より愛情っすよ。カロリーよりラブリーっす。ぜんぜん文句なんかないっす。玲子(れいこ)さんが作ってくれる料理はどんなビタミンよりもすごい愛情がこもった、めちゃうま最強食っすよ」
「まあ、そんな大げさな!」

 玲子と云われた女性は屈託のない笑顔でもって別斗のお世辞に応えると、自身も向かいに座って少量の皿を前に手を合わせる。

「玲子さん、それっぽっちで足りるんすか?」
「別斗くんがお腹いっぱい食べてくれたら、それだけでいいのよ」
「なんか自分ばかり食って申し訳ないっすね」
「高校生の男の子なんだから、そんなこと気にする必要はないのよ。それよりどう? 味は大丈夫?」
「はい、マジうまいっす」

 本当に、この玲子には頭が上がらなかった。
 玲子は近所に住む久宝(くぼう)さんという家の長女で、いわゆる幼馴染みというやつだった。父親がこの久宝家の主と懇意にしていて、その関係で家族ぐるみの付き合いがあった。
 もっとも、別斗と玲子の関係はありきたりな物語でよく見られるような〈友だち以上、恋人未満〉といった感じの甘酸っぱいものではない。歳が10歳近く上なので、友だちというよりは姉といった感情の方が強い。
 実際、別斗は玲子に面倒をよく見てもらった。お漏らししていた頃は〈おしめ〉を換えてもらったり、書道や水泳を習っていたときは送り迎えなどもしてもらった。身体の弱かった母親の代わりに、漫画のキャラクターを模した弁当を作ってくれたこともあった。その頃の別斗の口癖は〈いつか玲ちゃんをお嫁さんにするんだ〉というものだったため、よく母親や久宝家の両親に笑われたものだ。
 その恋慕は〈玲ちゃん〉から〈玲子さん〉と呼ぶようになり、男女関係のアレコレが徐々に理解できるようになってからは消失してしまった。それは感情に変化が兆したからではなく、玲子の〈大きさ〉を前に恐れ多いと察したからだった。
 恋愛感情を抱くには、玲子はあまりに存在が近すぎるし、偉大すぎる。まして今では母親のような慈しみまで備わってしまい、とても〈太刀打ちできる〉相手ではないのだった。

「別斗くん、さっきの電話」

 玲子は味噌汁の具であるなめこを器用に箸でつまみ上げると、口に入れる前に云った。

「ニャンテンドーのお嬢さんでしょ?」

 視線を下に向けたままの発言に、別斗は不穏な空気を感じ取った。

「別斗くん、ゲームなんてやってないでしょうね?」
「玲子さん、ゲームはそんなに悪いもんじゃないっすよ。ゲームで悪いことをしようとするのがいけないんす」
「でも、ゲームをやらなければ悪いことにも巻き込まれないでしょ?」
「玲子さん――」

 弱々しく憂いを帯びた瞳でも、玲子の眼差しは鋭い。

「私はね、ゲームをすることによって、別斗くんがそのうち不幸になるような気がするの」
「不幸」
「そう、あなたのお父さんだっていなくなっちゃったし、お母さんはそれによって体調を悪化させて……。だから、きっと今に別斗くんにも、なにか良くないことが起こるんじゃないかって心配なのよ」
「玲子さん、心配してくれるのはありがたいっすけど、おれは平気っすよ。それと、親父やお袋が不幸だったとは思わないっす。玲子さんはゲームとウチら家族とを結びつけて考えすぎだと思うんすよね」
「別斗くん……。そうね、ごめんなさい。あなたの両親が不幸だったなんて、私の口から云えた義理じゃないわね。発言は撤回するわ」
「いえ、いいっす。おれのためを思って云ってくれてるのはわかってますから。大丈夫、ゲームの世界には深入りしません」
「わかってくれてありがとう」

 玲子はため息をつくと、わざとらしくパンッと手を打った。

「さ、この話はおしまいよ。食べて食べて、せっかく腕によりをかけて作ったんだから。ああ、もう私飲んじゃおうかな」

 わざとらしくそう宣言すると、玲子は発泡酒の350缶をプシュッと開いた。
 その姿に別斗は一応の安堵を覚えたものの、その後に芽生えた罪悪感に胸を締めつけられた。
 父親同様、やはり自分もゲームとは無関係に生きて行けそうにはない。
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