乙女の聖戦

文字数 4,066文字

「ずっと好きでした! わたしと付き合ってください!」
 私は腰を直角に折り、両手で掴んだ薄い箱をぐいと前に押し出した。ひと気のない校舎の階段の踊り場に、迫真の告白が何重にも木霊する。
 ——うむ、実に間抜けである。
「これはダメだわ。『明るい子』というよりも、『バカな子』よ。エコーもアホっぽいし。きっと先輩だってドン引きよ」
 私の独り言が虚しく響く。手にある、綺麗に包装され、リボンまで巻かれたちょっと高級そうな箱に溜め息を吹きかける。
「いや、まだ約束の時間まで猶予はある! 極めるんだ! 最高の告白を!」
 天井に向かって贈り物の箱を掲げ、意気込みを新たにする。私の活気あふれる勇ましき掛け声は、やっぱり虚しく踊り場に吸い込まれていった。
 気合を入れなおしたところで反省会である。三階へ続く階段の一段目に置いていた鞄からメモ帳とペンを取り出し、代わりに贈り物の箱を丁寧にしまう。階段に座ってメモ帳を開いた。
「ではまず、何故バカな子みたいになるかであるが……、単純に告白の言葉が安っぽいからではないだろうか」
 メモ帳に議題を書く。その下に仮定も記す。
「それに声が響くのもよろしくない」
 さらに改行してもう一文も添える。そしてそこから矢印も引く。
「声に関しては、声量を落とせばいけるはずよ」
 解決策を付け加えて、末尾に二重丸を施す。
 問題は、バカっぽく見せない方法であるが。
 ひらめいた。
「ツンデレか」
 そうだ。クールイズビューティーである。画期的な切り返しに嬉々としてメモ帳にアイディアを落とす。しかしすぐに別の問題が浮上する。
 ツンデレとは何ぞ。いや、定義は分かる。普段つんつんしている人が時折見せるデレである。ギャップ萌えというものである。それは分かる。それをどうやって一分足らずの告白劇に落とし込むのかという話である。
 ペンの頭でメモ帳を叩く。鞄の中にしまった贈り物を一瞥し、フーンと考える。
「……これは義理なんだからね! ついでに準備しただけだから! 別にあなたのために準備したんじゃないんだからね!」
 片腕をバッと前に出して箱を差し出す振りをする。語尾が踊り場にガンガンと響く。遠くから吹奏楽部の合奏が聞こえる。
 腕を戻し、踊り場の壁を半眼に睨む。
 虚無である。
「これはない。義理だって言っちゃダメでしょ。本気にされたらどうするのよ、自分。それについでとか言っちゃ悪印象でしょ。しかもこんな立派な包装でついでとか説得力にかけるって。あと、大声出すなって、自分!」
 声量を落とすの文字を全体に二重丸。重要、重要。
「そもそも先輩は『明るくて笑顔の可愛い子』がタイプだったはずだから、ツンデレはなしよね、うん。やっぱりここはわたし渾身の笑顔で!」
 メモ帳に笑顔と大きく書く。
「笑顔、笑顔……」
 仮定を決めたら即実験。鞄から手鏡を取り出し顔を映す。
 うん、平凡なわたしである。仏頂面のわたしである。指で口角を上げてみる。目が笑っていない典型だ。意識して目も笑わせてみようとするが、おかめ面のようで自分ながら気味が悪い。薄暗くなってきたせいで余計に怖い。
 手紙をしまい、スマホの画面を起こす。時間を確認してから両手で頬を挟みもみ込む。元気いっぱいで告白するにしろ、ツンデレにしろ、口元の筋肉をほぐしていおくことに越したことはない。笑顔には表情筋の柔軟性が大事なのである。
 吹奏楽部が知っている曲を演奏し始める。定期演奏会が近いから、クラシックではなくポップな曲だ。軽快な音楽に合わせ、靴で踊り場の床を叩きリズムを取る。
「……来てくれるかな……」
 先輩は人気者。陸上部のエース。モテモテだ。俗にいう優良物件。彼女がいないというのは学校の現代七不思議の一つ。
 そんな先輩に今日、わたしは告白する。一世一代の挑戦だ。誰かが先輩に告白をしたという噂を聞くたび悲しくなって、先輩が断ったと聞けば安堵する。そんな忙しい心とおさらばするためだ。
 乙女の聖戦。武器は綺麗にラッピングされた学生にちょっとお高いチョコレート。武器の攻撃力は所持者のスペックによる。
 鞄からスマホを取り出し時間を確認する。全部活終了の鐘が鳴るまでもう三分。メモ帳を確認する。
 ツンデレはなし。明るい笑顔で。声は抑えて。自然な笑顔、自然な笑顔。心臓が痛い。
 スマホ画面を見る。鐘が鳴るまで残り三分。時間が進んでいない。
 深呼吸、深呼吸。手紙を出して身だしなみチェック。髪は乱れていない。服装も問題なし。一生懸命もみ込んだ頬は相も変わらず引き結ばれたまま。
 スマホを見る。残り二分。心臓が痛い。ドクドクする。過去最高の脈拍数を誇っているかもしれない。メモ帳を見ても何も頭に入ってこない。
 気付けば吹奏楽部の合奏が終わっている。静かな踊り場。
 スマホを確認する。まだ残り二分。鞄から贈り物を取り出し見詰める。綺麗、綺麗なラッピング。チョコは苦みの強いもの。先輩は甘いものは苦手と聞いた。手作りにしなかったのは重すぎないように。
 口の中が乾く。緊張に体が強張る。
「そ、そうだ。座ってたら失礼だ」
 立って待っていなければと謎の使命感にかられ、贈り物を手にして勢いよく立ち上がる。
 そう、勢いよく。とても勢いよく。効果音をつけるならガバリッというほどに。思わず血液が重力に則って滝のごとき滂沱を示すように。
 何を隠そう、立ち眩みを起こしたのであった。
 目の前が暗くなる。耳も遠くなる。代わりに、耳の奥で血が下がっていく音がする。平衡感覚が失われ、それでも体は転ぶことを拒絶して、頭を前後左右に振りながら、倒れないようにバランスを取りながら私の足を動かす。
 壁、壁、我は壁を求む。座りたいと思うよりも、寄りかかれる物を求めて手を伸ばそうとした、その瞬間。
「——いっ、つう……」
 足首がぐねりといき、元々バランスの悪かった私は念願の壁に頬を思いっきりぶつけた。けれども怪我の功名とでもいうのか、寄りかかれる物を得た私の体は、頬を重点としてそこからずるずると体を沈ませていく。膝が床につく頃には視界も戻って来て、耳も正常さを取り戻していた。
 私は贈り物を両腕で抱き込み、呼吸を整える。
「……死ぬかと思った……」
 貧血のきらいがあったとはいえ、どでかいのが来たものだ。緊張が限界突破をしたのかもしれない。しかし壁よ、痛かったけどグッジョブである。よくぞ私を支えてくれた。
 労いを込めて壁を手で叩く。
 呼吸を整えねば。額に浮かんだ汗も服の袖で拭う。心臓は——、盛大に暴れ回ったおかげか鎮静モードに入ったようだ。
 意識してゆっくりと呼吸を繰り返せば、上がっていた息も落ちついた。汗も止まっている。心臓は鎮静モードから変化なく、告白劇前であるのに正常、緊張の色がまるで見えない。良い感じだ。
 これならいける。
 そう私が確信していると、ちょうどよく一人分の足音が聞こえてきた。こちらに向かってきている。きっと先輩だ。
 念のため壁に手を付いて、ゆっくりと立ち上がる。平常、平常。
 両腕で贈り物を抱き込み、もう一度深呼吸。
 誰かが二階から昇ってくる。相手の足取りは軽いような気がする。告白され慣れているからか、あるいは、もう断る気満々なのか。その足取りには迷いなど見えなかった。
 階段の手すりから相手の頭頂部が現れた。
 正常だった心臓が、一度だけ、どくんと鳴った。無意識に唇が告白一発目の言葉を発する準備を整える。
「お前、こんなとこで何をやってるんだ」
 やって来たのは先輩ではなく、担任の先生だった。新卒二年目ながら担当クラスを持った期待のルーキー、歳が近いということもあって男女問わず生徒に人気がある。
「あー……、えっとー……」
 予想外の人物に上手い言い訳が浮かばない。言葉にならない音を伸ばし伸ばして場を繋ぎ、何か良い感じの言葉を探る。
 先生は不思議そうに首をひねっていたが、私の抱えている物を目敏く発見するや、パッと顔を輝かせた。
「もしかして俺にチョコをくれるために待っててくれたのか?」
「どうしてそうなる」
「だってそれチョコだろう?」
「そうですけど。それがなんで先生宛になるのかって話ですよー」
「あと学校に残っている奴で女子がチョコを渡しそうなのって……、俺だけじゃないか?」
 吹奏楽部所属の男子全員を切り捨てやがった、この先生。現実を叩きつけるのも先生の役目とか言いやがるかこの野郎。
「いやいや、まだ運動部とか残っているでしょ。自意識過剰だよ、先生」
「何を言ってんだ。運動部は全員とっくに帰ってるぞ」
 …………おっと、聞き間違いか。
「さっき部室や更衣室、シャワー室全部見て回ったけど誰いなかったし、校舎の方にももう誰もいないぞ? あとはこっちで活動している文化部だけだ」
 言葉で殴るな教師。今日という日のイベントをただちに思い出し、女子生徒がひとりでチョコを抱えて立っている状況と照らし合わせ、答えを導き出してみせろ。そして察しろ、言葉をオブラートに包んでから発言せよ。
 ぎりりっと先生を睨みつけても答えた様子はなく、口笛を吹きそうなくらい余裕綽綽と私に近づいて来て、ひょいと贈り物を取り上げられる。
「ちょっと!」
「じゃあ気をつけて帰れよー」
 奪った贈り物をひらひらと振りながら、先生は三階へと昇って行った。
 遠ざかる足音。それ以外には聞こえない足音。自分の鞄に近づき、見下ろした開いたままのメモ帳。
 必死に考えて、練習して、頬ももみ込んだ。緊張もしていた。貧血を起こすぐらい緊張していた。
「……帰ろ」
 どうせもう贈り物兼乙女の武器であるチョコレートもどこかに持っていかれたし。万が一にも先輩が来てくれたとして、私には戦える武器もなければ、気力もない。
 告白劇のメモ書きのページを破り、丸めて、鞄の底に押し込みチャックを閉める。
「ホワイトデー、絶対三倍返ししてもらうんだから」
 乙女の聖戦を台無しにした罪を一か月後にとくと味わうがいいのだ。
 大きく踏み出した一歩、その足音が踊り場に力強く木霊した。
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