第2話 Re女子大生生活二日目

文字数 2,657文字

 この体、羨ましい。どこも痛くないし、しなやかだ。少し動かすとぽきぽき関節が鳴る体じゃない。駅の階段を駆け上がる足取りだって軽やかだ。そして何よりいつまでも寝ていられる。
「ハッピー」と思いながら、これって転生? いわゆる流行っていた転生ものなのかしら? とくだらないことを考えて笑ったりする。
 なんにせよ、中身はおばさん、見た目は女子大生。向かう所敵なしじゃないだろうか。あらゆる経験をし、対人関係の目も育ち、その上、過去の記憶もあるのだから…人生イージーモードだ…と思っていた。
「…ってキリンに似てるよね」と三十年前と同じ無礼なことを言う私を誰か張り倒して欲しい。
 同じクラスの男の子で、優しくて、綺麗な顔立ちで、なんなら指も長い佐々木くんに駅で会った。そのまま大学に向かうことになって、照れてしまいうっかり出たセリフが三十年前と同じ。別に好きじゃないけど、いいなぁってくらいは思っていた。若くなったとは言え、私なんて、彼とは釣り合わないと分かっていたから、当時も同じことを言って、きっと嫌な思いをさせた。ちょっと後悔しているのに、なぜ同じことをしてしまうのか…と自分が悲しい。
「あ、それはまつ毛が長くて…目が優しそうだから」と必死に言うのも同じだった。
 きっとちょっと傷ついているのに、彼は怒らずに「そうかなぁ」と言ってくれた。
「綺麗な顔してるし…。あ…本当、私、キリン好きだから」
「?」と言う顔を一瞬した後、笑ってくれた。
 緊張すると、とんでもないことを口走る性格まではどうにもならないらしい。私はしょんぼり肩を落として、三十年経ってもそんなに人は成長しないんだ、という恐ろしい真理を知る。
 落ち込んだ私を佐々木くんはバイトの話題に変えてくれた。佐々木くんは本当に綺麗な顔をしているのに、スーパーで魚を下ろしている、と言った。
「三枚おろしもできるようになったよ」
 本当に全く似合わない顔でそんなことを言うから、私は不思議だった。綺麗な顔と長い指で魚を下ろしている。
「すごいなぁ。私、三枚おろしなんて…」
 あの頃は実家暮らしなので料理もできなかった。今は三枚おろしは上手にできないけど、料理はできるようになった。三十年前は料理ができなくて、こんな話も困ってしまったのを思い出しながら、魚屋のバイトの話で褒めちぎって、大学まで時間を繋いだ。

 入り口で、呼び止められたので、振り返って見てみると、昨日の富田くんがいた。
「あ、あれから…大丈夫だった?」と私は思わず心配した。
 帰る家はあったのだろうか、とか、その他諸々…。
「昨日はすみません」と言って頭を下げる。
 私は横にいる佐々木くんに先に行ってもらうことにする。授業が始まる時間だったのだ。
「初めて会ったのに親切にして頂いて…」と言われた。
「そんな…。家は…」
「近くに下宿してて…」
(え? そうなの? そういう設定?)と私は思ったが、寝泊まりできる場所があるのは良かった。
「あの…それで大変申し訳ないのですが、お金を返すのを…もう少し待っていただけないですか? バイトのお給料がもう少しで出るんで…」
「あぁ、大丈夫よ。私は自宅から通ってるし…。お金、困ってるの?」
「あ、いや、その…」
 一昨日の忘年会でどこかに財布を忘れてしまったらしい。
「…そうなんだ。お金大丈夫?」
「あ、何とか」
「もうこれ以上、お金…借りるのは嫌だろうから…」と私は母の作ってくれたお弁当を渡した。
「え?」
「食べたら、容器だけ返してくれる?」
「でも…」
「いいの。丁度、ダイエットしたかったし、でもおやつ食べたいし、夜ご飯、私は家で食べられるし…」とおばちゃん精神を発揮して無理やりお弁当を渡した。
 他人が作ったものなんて食べたくないかな、と少し思ったけれど富田くんは私の理想の子供だから元気でいて欲しい、と思った。
「じゃあ…。お言葉に甘えて…。昼休憩の…十分前に…ここで」と富田くんは言った。

 ちょっとおせっかいが過ぎたかな、と私は遅れて入った授業でぼんやり考えていた。一般教養の心理学で、クラスメイトは代返を頼んで出て行った。私は特に行きたいところもなくて、授業を受ける。
 当時は退屈で仕方がなかった時間も、今聴くと、それなりに興味が持てる。
 私は若い頃から随分時間が経ってしまったけれど、何を失って、何を得たんだろう、と思った。

 毎日、終われる家事、報われない仕事だ。誰もありがとうさえ言ってくれない。当然と思われる労働がたまに奴隷になったような気分になる。かわいかった子供は反抗期になりまるで一人で生きていけるような大きな顔になった。
(私もそうだったのかな)と少し思った。
 今、私はここにいるけれど、あのうんざりするような毎日を送っていた私はどこにいるんだろう。寝ている間に死んだのだろうか?
 だとしたら、ちょっとは泣いてくれただろうか、なんて考えてみたりしたけれど、私は元に戻りたいとも思わない自分にそんな資格はない、と思った。


 お昼休みに門まで行くと、富田くんは待ってくれていた。
「ごめんね」と駆け寄ると、恥ずかしそうに笑ってくれる。
「洗って、返したいんだけど…」
「そんなことしたら、お母さんびっくりするし。いいよ」と私は笑って受け取った。
「久しぶり…手作りお弁当食べて、美味しかった。お母さん…早くに亡くなって」
「え? そうだったの?」と私は泣きそうになった。
 苦労してるから、あんなにバイトも真面目に…と私は少し胸が詰まる。うちの能天気に文句を言う子供たちに爪の垢でも…、いや、もうそれも無理だ。
「ごめん。そんな…。もう大丈夫だし」と慌てて富田くんは言ってくれる。
「本当? また明日も食べる?」と私は聞いた。
「え? いや、それは…」
「いいよ。私はちょっと飽きてきたし」と言ってから、私はまんま自分の子供と同じように当たり前に感じてることに気がついた。
「…美味しかったよ」
「うん。そうなんだ。全部、手作りだから…。大変なのにね」とちょっとちくりとした胸で笑う。
「いつかは食べられなくなるんだからさ」
 そう言う富田くんの言葉は胸を締め付ける。
「じゃあさ、私がご飯、作ってあげる」と言った。
 そうあの頃の私じゃない。ご飯を作ることはできるようになった。
「え?」
「ご飯だけ。簡単なもの作って、冷蔵庫に入れて帰る。そしたら、お給料日まで生きていけるでしょ?」と私は笑った。
「でも」
「だって、千円返してもらう前に死なれたら困るし」
 こういう言い方も年季を感じる、と私は自分が少し悲しくなる。

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