怪しい実験

文字数 4,642文字

 リーラは次に、ポーチからナイフを取り出す。壁で項垂れる男の胸元に開いた、血が垂れる穴へ突き立てた。赤紫の刃は、骨を無視するかのように弾痕を広げる。指が二本入る程度に広げると、遠慮なく指を突っ込んだ。
 しばらく漁り、指先にコツンと硬い物が当たる。器用に摘んで引き抜いた長い指に、血と共に絡んで出て来たのは、月明かりに眩しく反射する石。

「ふぅん、透明か。いいじゃないか」

 球体に歪さはあるものの、やはり美しい。屈折した月光が、中身を覗き込んだ紫の瞳に落ち、アメジストのような煌めきを見せた。
 この石は、テンシ化した彼の心臓代わりの核。リーラはこれを、皮肉を込めてギフトと呼んだ。テンシはギフトを失わない限り、腕や頭が吹っ飛んでも再生し続ける。だから最後は必ず体外へ取り出し、破壊する必要があった。ギフトの種類は様々で、彼女はこれを始末せず、いつも大事に回収する。
 止めどなく流れていた血が、白く光を纏った。やがて男の体を包み込むと、無数の羽となり、風に吹かれると暗闇に散った。
 リーラはそれを見届けると、ギフトをポーチに入れる。適当なゴミ箱に腰を下ろし、今度はベルト部分を漁った。
 取り出されたのはジッポライターと葉巻。口に咥えると慣れた手付きで火をつけ、ゆっくりと吸った。そうして深く吸った煙を、こちらを見据える月へ向けて吐き出す。本来葉巻はタバコと違って、煙を肺に入れない。だがこれは彼女専用で、こういった楽しみ方をする。
 葉巻が半分程度燃えた頃、リーラはようやく腰を上げて家路を踏んだ。

 無人でも、大通りに出ればネオンが絶えない新宿。眠らない街と聞いた事があるが、本当にその通りだ。そんな特徴があるからこそ、人目を忍ぶには持ってこいだった。人の中には、人を隠すのがいいと言うだろう。
 足は様々な細い路地を曲がる。その道は奥まっていて、冒険しなければ視界にすら入らないだろう。テンシ狩りという仕事は、ひっそり行わなければならない。天使が実在して、彼らに理性を奪われた化け物が居るだなんて言って、誰が信じる。信じたとして、世界は混乱するだけだ。
 天使とテンシ。名前がほとんど一緒でややこしいが、どうにもしっくり来るから困る。
 天使は天界に住み、人間に程よい幸福を授けてくれる存在として、古代より有名だろう。絵画に描かれていたり、最近では様々な分野で見かける気がする。天使は良い存在。それはもちろん正しいのだが、全員がそうかと聞かれれば、残念ながら違うと答えなければならない。それは一定数の天使が、とある計画のため【テンシ】を生み出し始めたからだ。
 テンシとは、人間である。まだ未知な事が多いが簡単に言うと、天使になり損なった者。天使の慈悲によって、その人間は天使になる。しかし人間の器にとって、授かった力は膨大すぎるのだ。耐えられず暴走した結果、天使とは程遠いバケモノと化す。
 力に溺れて暴走したテンシの始末を、天使はしない。だからテンシ狩りという組織が出来上がった。

(まったく、よくよく考えたら、天使どもの尻拭いじゃないか)

 細道を抜けた、影になった通り。そこに一軒、店が建っていた。黒と銀の渋い看板は『ロイエ』と掲げている。そこは、リーラが狩人の姿を隠すために営業している、宝石店だった。
 ベルトに括った鍵束から、アメジストが中心を飾る鍵が選ばれる。鍵穴に入れて回すと、重たいドアが開く。主人の帰りを、ドアに付けられた鐘が上品な音で迎えた。

「ただいま」

 一人で経営している店内からは、当然返事など無い。それでもリーラは、必ず商品の宝石へ声をかける。
 所狭しと並ぶショーケースには、様々なデザインのジュエリーが静かに煌めきを放っている。この美しさが彼女は好きだ。そして、これが誰かに身に付けられる姿を人一倍愛していた。新しく徴収したこの石も、加工を施してここの仲間になる。
 普段と変わらず美しい石を眺めながら、葉巻を一本吸い終わる頃。背後でドアベルが鳴った。リーラは慌てて僅かに残った葉巻の火を消し、振り返る。鍵をかけ忘れたか。

「申し訳ありません、お客様。本日はもう閉店して──」
「久々に聞いたなぁ、その営業口調」

 思わず捲し立てた言葉を遮ったのは、男の声。少し揶揄いの色を含んでいるそれは、友のものだ。
 こんな夜中にドアベルを鳴らしたのは、亜麻色の髪をした男。肩までの髪は光に触れると、不思議に金色を帯びて見える。見知っていてもこの時間では珍しい客人に、リーラは驚いたようだったが、すぐいつもの調子でニヤリと笑った。

「礼儀正しいだろう? アマ君の前では、これでいてあげようか?」
「鳥肌立つから却下で」
「ひどいな」

 リーラは相変わらずな辛辣さにカラカラと笑う。消してしまった葉巻を捨て、新しい物に火をつけると、カウンターに隠れた椅子に座った。

「あ、化粧落としてないんだ?」
「ちょうどこれからさ」
「疲れているところ、すまないリーラ。準備していたら遅くなってしまって」
「おや? キミまで来るとは。いらっしゃい、ユウガ君」

 (あま)の背は、ドアまで届く。そのせいか、後ろに居る人物に気付かなかった。一度も染めた事の無い黒髪は、この時間ではより一層闇に溶けて見つけにくいのもある。
 リーラは申し訳なさそうにする優牙(ゆうが)に、気にするなとひらひら手を振った。椅子から腰を上げ、レジ横の奥にある扉を開ける。彼らが揃ってこんな時間に来るという事は、単に暇つぶしではない。

「おいで、ついでに何か出すよ」
「私抹茶がいいな」
「それは自分で用意したまえ」
「ケチ」

 天は口を尖らせる真似をする。側から見たら不機嫌そうな顔だが、優牙はそれが真逆の感情なのを知っている。彼らの仲は、リーラが日本に来た十数年前から。天が一方的にだが、喧嘩するほど仲が良いという言葉が似合う関係だ。
 嫌いではなく素直じゃないだけで、今日も夜にロイエを訪れる提案をすると、天は面倒くさがる素振りをしていたものの、どこかそわそわしていた。

 壁にほどよく紛れたドアをくぐれば、そこはソファがローテーブルを挟んだ客室。4畳程度だが、物の配置のためかあまり狭くは感じない。
 天は早速ソファに腰を下ろし、隣に優牙も座った。ここは、リーラが本業のために使っている部屋だ。小さな空間には、壁掛け時計が針を刻む音は大きく聞こえる。

「優牙、あれから進展あった?」
「いや……」
「そっかぁ」

 天は大きく溜息を吐くと、気だるそうに頬杖をつく。同じように、優牙も小さく息をこぼした。
 コツコツとしたヒールの音に振り返ると、紅茶の香りがふわりと部屋に漂う。奥にあるキッチンから、リーラが戻ってきた。手にはティーカップとチョコレートが乗った盆を持っている。

「元気が無いな。チョコと紅茶はいかがかな?」

 リーラは二人と向かい合うソファに腰を深く下ろし、長い足を組むと紅茶を啜った。習って優牙たちも飲む。カモミールにミルクを混ぜたらしく、爽やかでいて濃厚だ。

「それで……テンシについて、何かあったみたいだね?」
「ああ、多分」

 煮え切らない肯定に、リーラは訝しむように片眉を上げる。
 優牙たちがテンシという単語に対し、何の違和感も持たないのには、理由があった。二人とも形は多少違うが、天使の被害者なのだ。どちらもリーラの手で救われ、礼として、テンシ狩りに協力をしている。
 彼らは喫茶店を運営していて、世の中に流れる様々な情報を耳にできる。その中から、テンシに関連のありそうな情報を、リーラへ提供しているのだ。

「まだ確かじゃない。ただ、そうでなくても、ひとまず今の段階で頭に入れておいてほしいんだ」
「アマ君の嗅覚には、いつも助けられているからね。聞かせておくれ」

 事の発端は、大学生だと思われる客人の会話。彼らはバイトを探している最中のようで、注文したケーキを一口食べてからはスマートフォンに夢中になっていた。
 最後の学生生活を有意義に過ごすため、彼らが求めるのは楽な高額バイト。そんな条件は誰もが求めるが、中々見つからない。しかし何万ある求人から、隅に潜んだ目的の物を探し当てた。

「治験のバイト、なんだってさ」
「ちけん?」
「新薬を試すバイトだ」
「実験体か。日本も大胆だね」
「大きく言えばそうかもしれない。ただメリットもあって、持病を持つ被験者が参加後には治ったという例もある。まあ……とはいえ、副作用が無いとは言えないけれど」
「どんな仕事にも危険は付き物だよ」

 その分、通常のバイトよりも受給額が高い。しかし疑問に持ったのは、その治験バイトが少し特殊だったからだ。
 週一の通院型と入院型を混ぜたものだった。週に一回、指定の病院へ行き、一日入院をする。報酬はそのたび支払われるそうだ。入院費、食費など全てバイト先が負担し、さらに報酬は一回三万と、類を見ない高額さ。

「様子見てたけど……何人か、いくら待っても帰って来ない人がいたよ。明らかに変」
「ふむ、たしかに変だ。しかし、テンシの関係性が見えないが」
「天が、天使だとバレた」
「なんだって?」

 そう、天は天使。正しくは、元天使だ。訳あって自らの翼を切り落とし、人間界へと堕ちた。それを知っているのは、リーラと優牙。そして本人と面識のある一部のテンシ狩りのみ。
 天の見た目は、元天使であった事から整った容姿をしている。しかしそれを含めて見ても、人間にしか見えない。正体を見破ったという事は、彼の以前を知る者が居るか、眼のいい人間かだ。

「先週行こうとしたら、施設はもぬけの殻。私には全く連絡無し。普通バイトには報せるはずでしょ?」

 天はせっかく遠出したのにと、気怠そうに溜息を吐いた。
 喫茶店で入手した情報は、全て天が体験して判断する。つまり、彼も治験に調査という形で参加したのだ。もちろん出された薬はその場で飲んだふりをする。飲み込んだかどうか、口の中を見られたと言うのだから、ずいぶんな念入りようだ。薬は喉まで通し、その後無事吐き出したそうだ。

「ま、人間の薬なんて効かないけどねぇ」
「キミね、堕天したんだからもっと人間らしくしたまえよ」
「お前に言われたくない。で、なんか患者一人一人に、お偉いさんみたいな人が挨拶に回ってきたんだけどさ」
「感慨しいね」
「甲斐甲斐しいじゃないか?」
「それだ」

 治験に参加して二回目の時だ。とても可愛らしい少女を連れて、人の良さそうな笑顔をした男がベッドの前に来た。院長だと名乗られ、体調や治験の経験、他にはギリギリプライベートには引っかからないような世間話をした。
 喋るのは院長のみで、少女は結んだ口を縫われたように開かない。ただじっと、観察するように天を見つめていた。

「その少女が天使だったと?」
「んんー……それなんだけど、女の子からは人間の香りしかしなかった。でも関係者ではあるよ、きっと」

 きっかけはなんであれ、天の正体を知って、場所を移したのだ。それほど他者には気付かれたくない事をしているのだろう。場所は現在、情報を聞き回って探している最中だと言う。その少女がたとえどんな存在であれ、関係者をのさばらせるわけにはいかない。

「ふむ、内容は分かった。教えてくれて感謝するよ」
「まだ確信できない状況ですまない」
「気にするな。ここから先は、ワタシも協力しよう」

 相手がどこへ行こうと、逃げ場は無い。なにせテンシ狩りたちは、全国各地に散らばっている。それが全てがリーラにとっては自分の目、同然なのだから。
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