ラストイヤー

文字数 3,674文字

「言い忘れてたけど、今日の夜は宅配ピザ取るから。ポテチは買い置きがあったよね?」
「あぁ、そうか。もう今年もそんな時期なんだね」
 12月の日曜日の朝、リビングに入ってきたタイミングで声をかけると、貴子はすぐに俺の言葉の意味に気が付いて、頷きながらカレンダーに目をやった。
 我が家では年に一度だけ、ダイニングではなくてリビングルームのテレビの前のローテーブルで、ピザ・ポテトチップス・ビールの夕食を取る日がある。健康志向で清潔好きな貴子も、その日だけは文句を言わない。それは、俺がそのイベントをどれだけ楽しみにしているかを知っているからだ。
 実際には、楽しみにしているというより、俺が一年間待ち焦がれているとさえ言っても過言でないイベント、それは、漫才師の日本一を決めるM-1グランプリだ。
 俺がM-1に出会ったのは、大学に入学した年だった。その日、M-1という大会が始まったということも知らずに、何か面白い番組がやっていないかとテレビのチャンネルを回していたら、たまたまM‐1のオープニングに出くわした。
 最初は、「ああ、新しいお笑いの大会が始まったんだ」くらいの感じだった。元々、お笑いが好きだったし、他に見たい番組もなかったので、リモコンをこたつの上に置いて、そのままみかんを剝き始めた。そして、一時間後には、M-1にすっかり夢中になり、剥きかけたままで左手に残されたみかんのことも忘れてしまっていた。
 漫才のレベルが高かった。でもそれだけじゃなかった。そこには、俺が今まで見たことのなかった、まるでスポーツのような、真剣勝負の競技としての漫才があった。俺はM-1に一目ぼれしたのだ。
 俺にとっても、そしてそれ以上に日本中の漫才師・漫才師志望にとって幸いなことに、第一回が好評だったということで、M-1は翌年以降も毎年12月に開催された。俺は一度も欠かすことなく大会を見続けたが、飽きることはないどころか、M-1に対する思い入れは年々強くなる一方だった。
 その理由は、コンテンツとしてのM-1の面白さが膨れ上がっていったことだ。
 大会の認知度が上がるにつれて出場者が増え、スケール大きくなった。それに伴って、ネタのレベルが上がった。何より、大会が続いたことで、M-1を巡る数々の人間ドラマが生まれ、歴史が紡がれていった。それはさながら、現在進行形の大河ドラマと言って良いほどだった。
 そして、その大河ドラマに登場しているのは大会に出場する漫才師だけじゃなかった。M-1に魅せられた俺のような一視聴者だって、主役ではないけれど、立派なM-1の登場人物なのだ。
 実際、俺の人生の思い出はM-1に彩られている。例えば、俺は俺の人生のターニングポイントをその年のM-1の優勝者で振り返ることが出来る。
 子供の頃からの我が家の愛犬トムが死んでしまった2003年はフットボールアワー、就職が決まった2004年はアンタッチャブル、貴子に出会った2006年はチュートリアル、そして結婚した2007年がサンドウィッチマン。
 こんな風に思い出していくと、俺の人生がM-1に彩られているというより、M-1の歴史に俺の人生がシンクロしているように感じられさえするほどだ。「主任になった年のM-1チャンピオンはノンスタイルだったな」ではなくて、「ノンスタイルが優勝した年は、俺が主任になった年だったよな」みたいな感じで。
 そんなM-1の記憶の中でも、特に2007年のサンドウィッチマン優勝の衝撃は忘れられない。貴子との新婚旅行の予定をずらしてまで生放送で見て本当に良かった。というか、見逃していたらと思うと、今でもぞっとする。
 これだけ思い入れがあるだけに、M-1が中断された2011年から2014年は心にぽっかり穴が開いてしまったような心境だった。その寂しさから、結婚してから一番と言って良いほど、俺はこの時期、貴子と一緒に時間を過ごした。でも、もちろん心の空洞を完全に埋めることはできなかった。
 だから、2015年にM-1が再開が決まった時は嬉しかった。その年に買ったばかりの新居で文字通り飛び上がって喜んだ。そして、その年からだ。年に一度のリビングディナーが始まったのは。
 そんな一年に一度の大イベントだから、その日、俺は朝からそわそわと落ち着かなかった。いつもなら日曜は昼前まで寝ているのに、朝早くから目が覚めて、何度時計を見ても時間が全く進まない。本番は夜だ。幸いなことに敗者復活が昼過ぎに始まるが、それすら待ちきれなかった。
 というわけで、俺はアマゾンの動画配信サービスで過去のM-1を振り返っていた。
「やっぱり、伏線回収という意味では和牛とスーパーマラドーナだな」
「伏線回収って何?」
 銀シャリが優勝した2016年大会の決勝ラウンドを堪能した俺が思わずつぶやくと、貴子が俺の横に座りながら尋ねてきた。
「伏線回収って言うのはさ、ネタの最初の方で出てきた一見何でもないようなワードや出来事が、ネタの後半でものすごい大きな意味を持つ形でもう一回出てくるっていうパターンのこと」
「ふうん、それは面白いの?」
「いや、あくまでも一つのパターンだから、伏線回収自体が面白いとか面白くないとかっていうことじゃないけど、伏線回収がはまると、爽快だし、会場の受けも爆発するよね」
 貴子が、こんな風に漫才やM-1に興味を持つのは珍しいことだった。正直言えば、M-1に没頭したい気持ちが強く煩わしかったが、その傾向自体は歓迎すべきことだったので我慢することにした。
「そうなんだ。あ、そう言えばさ、この間情報番組でM-1の特集やってて、その中で金属バットとかいう顔の怖いコンビの人たちが、M-1ラストイヤーだって取り上げられてたんだけど、ラストイヤーっていうのは、どういう意味なの?」
「ああ、M-1は結成から15年っていう出場制限があって、15年を超えると出場できなくなる。だから、ラストイヤーって言うのは15年目の出場者っていう意味。これがまたM-1に様々なドラマを生み出す要素になってるんだよ。
 貴子がいま言った金属バットも、結局、準々決勝で敗退しちゃったんだけど、友保が最後にさ、スポンサーの日清食品からもらった参加賞かなんかのおっきなどん兵衛手に持って、『見て下さい。15年漫才やって手に入れたんがジャンボどん兵衛です。儲かりましたわ』っていうシーンがM-1の公式動画に上がってるんだ。まじで泣けるよ。
 また、そこで使われてるウルフルズの『暴れだす』が良いんだ、これが。俺毎朝、通勤の時、この動画見て、自分の気持ち盛り上げてるからね」
 ふと気が付くと、貴子が黙って何か考え込んでいた。
「・・・なんて、言う通の楽しみ方もあるけど、もっとシンプルに、その年一番面白い漫才が見れる番組だと思って、楽しんでみるのがやっぱり一番だよね」
「M-1って15年しか出れないんでしょ。その間に優勝して売れっ子になれたら、優勝できなかった人たちはどうするの?コンビ解散?」
 折角M-1に興味を持ち始めたのに、いきなりディープすぎるネタで引かせてしまったかと俺は焦ってフォローを入れたが、幸いなことに貴子はまだこの話題を続けたいようだった。
「M-1の優勝は漫才師にとって最大の目標だろうけど、M-1に優勝できなくて、もう出場できなくなったからコンビを解消するって言うのはどうかな。
 優勝できなくても、M-1に挑み続けた15年の後もコンビが続いていく。で、その挑戦の15年がコンビの良い味になっていく。俺的には、それもM-1の魅力だと思ってる。ただ、それをきっかけにコンビを解消したり、芸人をやめるっていうのも、なくはないんだろうね」
「やめちゃうコンビと続けるコンビ。何が違うんだろう?」
 さっきの不安は杞憂のようだった。ひくどころか、貴子はますますM-1に対して前のめりになってきているようだった。
 良い兆候だった。
 よし、来年は準々決勝あたりからチケットを取って、二人で観戦に行こう。夫婦でM-1って響き、素敵!!俺の希望は膨らんだ。
「やっぱり、プロセスなんじゃないかな」
「プロセス?」
「うん。うまくいってもいかなくても、どんな風にその15年を二人で過ごしてきたか。結局、そこなんじゃないかな」
「へえ、M-1って深いんだね・・・」
 貴子はもう少し何か言いたそうだったが、そのとき、玄関のチャイムが鳴った。宅急便のようだった。腰を上げようとした俺を手で制すと、貴子は自分が立ち上がり、そして玄関に向かって歩き始めた。
 そんな貴子の背中に向かって、俺は心の中で、「また、お待ちしております!!いつでもどうぞ!!」と掛け声をかけた。すると、まさにその瞬間に、貴子は立ち止まり、くるり俺の方を振り返った。
 心の声が漏れたのかと一瞬ビビったが、もちろん貴子が、俺の掛け声に応えて何か言うなんてことはなかった。
 ただ貴子はにっこり笑って、こう言った。
「知ってた?結婚-1グランプリも出場制限15年だったって」
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