喫茶タギョール
文字数 1,823文字
とある日の放課後。帰り支度 中の夏子 に声をかけてくる無礼な男子がひとり。
「お前ん家 、珈琲 屋なんだってな」
「それがどうかしたか相沢 。わたしの帰宅を遅らせるほど利益のある会話でなければ切腹ものだぞ」
「何時代? ……俺、コーヒー好きなんだよ。今日行ってもいいか?」
夏子は俯 き何かを考えるようにして、そのまま眠りに就 いた。
「なんで寝てんの?! 今、俺と話 してるよねえ?」
ハンカチで涎 を拭きながら、夏子は相沢を睨 む。
「仕方ないな……。連れていくのは構わないが、ウチの父様 は変わり者 だから気を付けたまえ」
「嘘だろ、お前よりも変わってるってのか」
「そうだ。どのくらい変わっているのかというと、……スヤァ」
「寝るなって! それより、早く行こうぜ」
相沢はウトウトしている夏子を引っ張って教室から出た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ふたりは街の大通りから外れ車が出入 り出来そうにないほど狭い道を歩く。3階建てのビルが並び、陽が射 さないからか昨日の雨を残したままの水 溜 まりもあった。
「秋島 、何してんだ」
夏子がビルとビルの隙間 を眺めていると、10歩くらい先を行ってしまった相沢が戻ってきた。
「ここにいつも三毛猫がいるのだ。今日は相沢がいるからご機嫌ナナメかな」
「失礼な奴。なんで俺がいると猫が逃げ出すんだ」
「モノが売れればお店が儲かるというだろう。それと同じさ」
「それ、風が吹けば桶屋が儲かる、じゃないか?」
夏子は目をガッと見開いて相沢を凝視する。そして何かを訴えかけるような表情で近付いてくる。顔が近い。
「な、なんだよぉ」
「わたしの間違いに気付いても、何も言ってはいけないと市の条例に書いてあるだろ」
「書いてねぇよ、んなモン」
「そうか、書いてないのか……」
しょんぼりして肩を落とし、夏子はトボトボと歩き始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ここだ」
夏子と相沢は、古びた外観の木造平屋の前に立っていた。入り口の扉の横、縦に長い看板には『喫茶タギョール』と手書きされている。
「な、なぁ。タギョールってどういう意味なんだ」
「黙れ」
「えっ、俺なんか失礼な事、言った?」
「違う。タギョールは黙れという意味だ。フランス語らしい」
「どんな店名なんだよ。うん、確かに変わってるなぁ」
「そうだろう。たまに話が通じないんだぞ」
「それはお前……ゴメンなんでもない」
とにかくふたりは店に入る。カランとドアベルが鳴ると、マスターである夏子の父親が、煙草 をふかしながらやって来た。
「いらっしゃい夏……そ、その男はなんだ! 彼氏か? 彼氏ができたのか?!」
「違います。コイツは右斜め前の席の男子で、まだ名前も知りません」
「雪男 だよ。毎朝ホームルームで先生が出席取る時にフルネーム呼んでんだろ」
「男子の名前など覚える価値もない。脳のメモリーの無駄遣いだ」
「ひっど」
とにかくふたりはカウンターに座る。夏子はふと、カウンター横のスペースの変化に気付いた。
「父様 。これは何ですか?」
「それはコーヒーの木だよ。観葉植物として置いておこうと思って、な」
「コーヒー……実がなるのですか」
「いや、日本の気候では発育が悪いらしい。熱帯の植物だから、な」
相沢雪男は軽く右手を挙げた。
「すいません。ブレンドコーヒー、ホットでお願いします」
「君にお父さんと呼ばれる筋合いはない!」
「呼んでませんし、ちゃんと注文を聞いてください」
「そうですよ父様。この雪……相沢がわたしの相手になるなんて、風が……でございますわ」
「お前、なんか色々おかしくなってんじゃん」
「あ、父様。わたしもブレンドコーヒー、ホットで」
「あいよっ!」
「なんで江戸っ子……。やっぱり来 なきゃ良かったかな」
ちょっと後悔し始めた雪男。
しかし5分後、カウンターに置かれた青いカップから放たれる香りが、状況を一変 させる。
「メチャクチャいい香り。おと……マスター、これどこの豆ですか」
「フム……」
マスターこと夏子の父は立派な髭 の先端を指で整えた。
「どこのだったかなぁ……」
「ええ……ドン引き」
「父様。この前エチオピアの豆を仕入れてたじゃありませんか」
「おー、そうだった。少年雪男よ、それはエチオピアと……どっかのブレンドだ」
「さらにドン引き……」
こうして不毛な会話は続き、雪男と夏子は店を出た。
「あれ? お前ここ家じゃないの?」
「わたしは学校の近くに住んでいる。父様は単身赴任でここに住んでるんだ」
「やっぱお前ん家 、変だわ」
一つの恋が終わった瞬間である。
「お前ん
「それがどうかしたか
「何時代? ……俺、コーヒー好きなんだよ。今日行ってもいいか?」
夏子は
「なんで寝てんの?! 今、俺と
ハンカチで
「仕方ないな……。連れていくのは構わないが、ウチの
「嘘だろ、お前よりも変わってるってのか」
「そうだ。どのくらい変わっているのかというと、……スヤァ」
「寝るなって! それより、早く行こうぜ」
相沢はウトウトしている夏子を引っ張って教室から出た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ふたりは街の大通りから外れ車が
「
夏子がビルとビルの
「ここにいつも三毛猫がいるのだ。今日は相沢がいるからご機嫌ナナメかな」
「失礼な奴。なんで俺がいると猫が逃げ出すんだ」
「モノが売れればお店が儲かるというだろう。それと同じさ」
「それ、風が吹けば桶屋が儲かる、じゃないか?」
夏子は目をガッと見開いて相沢を凝視する。そして何かを訴えかけるような表情で近付いてくる。顔が近い。
「な、なんだよぉ」
「わたしの間違いに気付いても、何も言ってはいけないと市の条例に書いてあるだろ」
「書いてねぇよ、んなモン」
「そうか、書いてないのか……」
しょんぼりして肩を落とし、夏子はトボトボと歩き始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ここだ」
夏子と相沢は、古びた外観の木造平屋の前に立っていた。入り口の扉の横、縦に長い看板には『喫茶タギョール』と手書きされている。
「な、なぁ。タギョールってどういう意味なんだ」
「黙れ」
「えっ、俺なんか失礼な事、言った?」
「違う。タギョールは黙れという意味だ。フランス語らしい」
「どんな店名なんだよ。うん、確かに変わってるなぁ」
「そうだろう。たまに話が通じないんだぞ」
「それはお前……ゴメンなんでもない」
とにかくふたりは店に入る。カランとドアベルが鳴ると、マスターである夏子の父親が、
「いらっしゃい夏……そ、その男はなんだ! 彼氏か? 彼氏ができたのか?!」
「違います。コイツは右斜め前の席の男子で、まだ名前も知りません」
「
「男子の名前など覚える価値もない。脳のメモリーの無駄遣いだ」
「ひっど」
とにかくふたりはカウンターに座る。夏子はふと、カウンター横のスペースの変化に気付いた。
「
「それはコーヒーの木だよ。観葉植物として置いておこうと思って、な」
「コーヒー……実がなるのですか」
「いや、日本の気候では発育が悪いらしい。熱帯の植物だから、な」
相沢雪男は軽く右手を挙げた。
「すいません。ブレンドコーヒー、ホットでお願いします」
「君にお父さんと呼ばれる筋合いはない!」
「呼んでませんし、ちゃんと注文を聞いてください」
「そうですよ父様。この雪……相沢がわたしの相手になるなんて、風が……でございますわ」
「お前、なんか色々おかしくなってんじゃん」
「あ、父様。わたしもブレンドコーヒー、ホットで」
「あいよっ!」
「なんで江戸っ子……。やっぱり
ちょっと後悔し始めた雪男。
しかし5分後、カウンターに置かれた青いカップから放たれる香りが、状況を
「メチャクチャいい香り。おと……マスター、これどこの豆ですか」
「フム……」
マスターこと夏子の父は立派な
「どこのだったかなぁ……」
「ええ……ドン引き」
「父様。この前エチオピアの豆を仕入れてたじゃありませんか」
「おー、そうだった。少年雪男よ、それはエチオピアと……どっかのブレンドだ」
「さらにドン引き……」
こうして不毛な会話は続き、雪男と夏子は店を出た。
「あれ? お前ここ家じゃないの?」
「わたしは学校の近くに住んでいる。父様は単身赴任でここに住んでるんだ」
「やっぱお前ん
一つの恋が終わった瞬間である。