日常に届く
文字数 2,000文字
いつも通り、休日を無為に過ごして月曜の朝を迎えた。カーテンを開けて天気を伺うと、湿気を存分に含んだ灰色の雲が、空をぶ厚く覆って俺を睨みつけてくる。雲陰の濃淡がいつも不機嫌な部長の仏頂面と重なって、胸の底からこみ上げた憂鬱がねっとりと気道の壁に絡みつきながら生温かく排出された。
やる気のないまま会社に赴き、いつも通り嫌味な部長にどやされて仕事を終え、気怠い足取りで帰巣したのは、やはりいつも通りの二十二時過ぎであった。安アパートの錆びた外階段が妙に響くのもいつも通り。
「あれ?」
しかし自室の前まで辿り着いて、ふといつもと違う違和感を覚える。扉の郵便受けから細長い紙が覗いていたのだ。俺はそれを引き出し顔に近づけ、じっと目を凝らす。
――ジジッ
通路を照らす蛍光灯は薄暗く、いやに虫の羽音が耳に触った。
「不在票?」
薄墨色の周囲と同化した紙は読みづらかったが、記載を見つけて訝しむ。
――昨日注文した菓子折りがもう届いたのか?
俺は首をかしげながら扉を開いて中に入った。
「日時指定してたはずだけど……。面倒だな」
ぼやりと虚空に呟いて、俺は電灯が白黒する空間をゆっくり進んで布団に座った。静かな部屋の中では時計の秒針の音はやたら大きく鳴り聞こえ、どこか遠くで粋がるバイクの排気音と若い男女の笑い声は微かだ。
俺は一旦天井を仰いで、再び紙に視線を移した。再配達の設定をしようと、お問い合わせ番号なるものを探し……舌を打つ。数字が滲んで読めないのだ。次に目についたのはドライバー直通の電話番号。時計を見やると二十二時の十分先を刻んでいた。流石に電話をするのは無理かと諦めネクタイを緩める。と、電話が震え出した。
「もしもし」
相手は女性のか細い声――宅配ドライバーだった。宅配センターに戻る途中に今から再び配達に来てくれるらしい。
暫くしてインターフォンの音と共に、玄関先から「宅配です」と先ほどの女性の声が聞こえてくる。扉を開けると細身の女性が、腕ほどの長さの細長い段ボールを抱えて立っていた。マスクと帽子の隙間から覗く彼女の瞳は黒く堕ち窪んでおり、その窶れた印象は憐憫を誘うと同時にひどく不気味な雰囲気があった。
「あの。俺いつも遅いんで。もしまた不在の時には玄関の前に置いててください」
立ち去る女性の背中に、俺は何故だかそう言葉を投げて扉を閉めた。
一息ついて段ボールを開け、俺は眼を見開く。なんと、中には腕――人形の両腕――が入っていたのだ。
全く身に覚えのないこの荷物の宛名は、だが確かに俺である。
翌日、珍しく部長が定時で帰宅し、俺も早めに帰宅した。
自室の前には段ボールが置かれてあった。
その翌日、また翌日と荷物が置かれる日が毎日続いて、五日目のこと。
「それブラッシング詐欺じゃないですか?」
近頃頼んでないものが届く、とぼやいたらデスク向かいの後輩が目を輝かせてそう口を開いた。
「そういうのは受け取っちゃだめですよ。宅配業者に受け取り拒否で返すんです」
ネットで見た手口だ何だと得意げに語る後輩は、まるでおもちゃを見つけた子どもの如く燥いだ様子で、
「思い立ったが吉日。今宅配に電話しちゃったらどうですか?」と言い出した。席を外せば、後から部長にどやされるのが目に見えているのだが、しかし、後輩の熱意に負けて渋々俺は席を外した――。
「っあ、どうでした?」
数分の後に戻った俺に、後輩はミーハーな顔つきで尋ねてくる。しかしそれに俺は首を振るしかできなかった。どういう訳か業者に問い合わせても、そもそも宅配記録は無いと言われてしまったのだ。しかも着信履歴から先日のドライバーにコールを入れるも、出たのは電子音声。その電話番号は使われていないという内容だった。
後輩にそれを告げようとしたとき、しかし部長が俺のところに書類を持ってきた。俺はぎくりと肩が強張る。後輩は大きな黒目を天井の方にぐるんと動かす。けれど、部長は機嫌が良いのか悪いのか、書類を渡すと無言でデスクへ戻っていった。
帰宅すると、やはりいつも通り段ボールが部屋の前に置かれていた。俺はいつもよりは重量のあるそれを中に入れて他の四つの箱に積み重ねる。箱は最初の一つ以外は未開封だ。
唾を呑む音が耳の奥で鳴るのを聞いて、俺は寝床に潜り込んだ。
土曜日。いつも通り休日を持て余した俺は、然して到頭好奇心に負けてしまった。
届いた順から箱に手をかけ、次々と現れる人形のパーツを組み立てていき、首のない人形が出来上がる。そして、いよいよ完成だ、と俺は最後の箱を開け――。
俺はうっと息を呑んだ。入っていたのは、ラップで包まれた部長の頭部。
そこへ見計らったように鳴るインターフォン。
身が強張る俺の耳元で「集荷です」と女性の囁きが聞こえてきた。
やる気のないまま会社に赴き、いつも通り嫌味な部長にどやされて仕事を終え、気怠い足取りで帰巣したのは、やはりいつも通りの二十二時過ぎであった。安アパートの錆びた外階段が妙に響くのもいつも通り。
「あれ?」
しかし自室の前まで辿り着いて、ふといつもと違う違和感を覚える。扉の郵便受けから細長い紙が覗いていたのだ。俺はそれを引き出し顔に近づけ、じっと目を凝らす。
――ジジッ
通路を照らす蛍光灯は薄暗く、いやに虫の羽音が耳に触った。
「不在票?」
薄墨色の周囲と同化した紙は読みづらかったが、記載を見つけて訝しむ。
――昨日注文した菓子折りがもう届いたのか?
俺は首をかしげながら扉を開いて中に入った。
「日時指定してたはずだけど……。面倒だな」
ぼやりと虚空に呟いて、俺は電灯が白黒する空間をゆっくり進んで布団に座った。静かな部屋の中では時計の秒針の音はやたら大きく鳴り聞こえ、どこか遠くで粋がるバイクの排気音と若い男女の笑い声は微かだ。
俺は一旦天井を仰いで、再び紙に視線を移した。再配達の設定をしようと、お問い合わせ番号なるものを探し……舌を打つ。数字が滲んで読めないのだ。次に目についたのはドライバー直通の電話番号。時計を見やると二十二時の十分先を刻んでいた。流石に電話をするのは無理かと諦めネクタイを緩める。と、電話が震え出した。
「もしもし」
相手は女性のか細い声――宅配ドライバーだった。宅配センターに戻る途中に今から再び配達に来てくれるらしい。
暫くしてインターフォンの音と共に、玄関先から「宅配です」と先ほどの女性の声が聞こえてくる。扉を開けると細身の女性が、腕ほどの長さの細長い段ボールを抱えて立っていた。マスクと帽子の隙間から覗く彼女の瞳は黒く堕ち窪んでおり、その窶れた印象は憐憫を誘うと同時にひどく不気味な雰囲気があった。
「あの。俺いつも遅いんで。もしまた不在の時には玄関の前に置いててください」
立ち去る女性の背中に、俺は何故だかそう言葉を投げて扉を閉めた。
一息ついて段ボールを開け、俺は眼を見開く。なんと、中には腕――人形の両腕――が入っていたのだ。
全く身に覚えのないこの荷物の宛名は、だが確かに俺である。
翌日、珍しく部長が定時で帰宅し、俺も早めに帰宅した。
自室の前には段ボールが置かれてあった。
その翌日、また翌日と荷物が置かれる日が毎日続いて、五日目のこと。
「それブラッシング詐欺じゃないですか?」
近頃頼んでないものが届く、とぼやいたらデスク向かいの後輩が目を輝かせてそう口を開いた。
「そういうのは受け取っちゃだめですよ。宅配業者に受け取り拒否で返すんです」
ネットで見た手口だ何だと得意げに語る後輩は、まるでおもちゃを見つけた子どもの如く燥いだ様子で、
「思い立ったが吉日。今宅配に電話しちゃったらどうですか?」と言い出した。席を外せば、後から部長にどやされるのが目に見えているのだが、しかし、後輩の熱意に負けて渋々俺は席を外した――。
「っあ、どうでした?」
数分の後に戻った俺に、後輩はミーハーな顔つきで尋ねてくる。しかしそれに俺は首を振るしかできなかった。どういう訳か業者に問い合わせても、そもそも宅配記録は無いと言われてしまったのだ。しかも着信履歴から先日のドライバーにコールを入れるも、出たのは電子音声。その電話番号は使われていないという内容だった。
後輩にそれを告げようとしたとき、しかし部長が俺のところに書類を持ってきた。俺はぎくりと肩が強張る。後輩は大きな黒目を天井の方にぐるんと動かす。けれど、部長は機嫌が良いのか悪いのか、書類を渡すと無言でデスクへ戻っていった。
帰宅すると、やはりいつも通り段ボールが部屋の前に置かれていた。俺はいつもよりは重量のあるそれを中に入れて他の四つの箱に積み重ねる。箱は最初の一つ以外は未開封だ。
唾を呑む音が耳の奥で鳴るのを聞いて、俺は寝床に潜り込んだ。
土曜日。いつも通り休日を持て余した俺は、然して到頭好奇心に負けてしまった。
届いた順から箱に手をかけ、次々と現れる人形のパーツを組み立てていき、首のない人形が出来上がる。そして、いよいよ完成だ、と俺は最後の箱を開け――。
俺はうっと息を呑んだ。入っていたのは、ラップで包まれた部長の頭部。
そこへ見計らったように鳴るインターフォン。
身が強張る俺の耳元で「集荷です」と女性の囁きが聞こえてきた。