第1話

文字数 780文字

 夜、息が苦しくなって鉱石棚に向かった。

 ミネラル不足かな。仕事で嫌なことがあって、どうにも消化し切れなくて、日中は平気な顔をして過ごしていても、夜、床につく段階になって思い出してしまった。

 腹が立って、眠れなくなって、余計にイライラしてしまう。そうなるともうダメだ。前にもあんな事をされた、こんな事を言われた、そうやって憎しみばかり募らせて、連鎖させて、感情が抑え切れなくなる。

 いっそのこと、ベランダに飛び出して大声で叫んでしまえればいいのだけれど、心のままに行動しても許される時間はとっくの昔に終わっている。

 だから、大人は誰かを頼り、何かに縋り、もう一度立ち上がるのだと思う。

 こういう時、私が決まって頼るのが、この藍銅鉱(アズライト)のスライスだ。

 アズライトは深い藍色の鉱石で、緑の孔雀石(マラカイト)と混じって採掘されることが多い。私のお気に入りの石も不純物混じり。磨き上げた藍色の断面に、ぽつりぽつりと淡い緑の波紋が浮かんでいる。

 それがまるで碧い海の中に緑の島が点在しているように見えて、どこかの宝島の地図みたいだと一目惚れしたんだ。

 私は子供のように、指で碧い海流を泳ぎ回り、小さな島を飛び回った。アズライトに触れることで、ぐるぐると回る苦い感情を滲ませていった。

 そうして目を瞑り、美しい景色で塗り替える。思い出すのはかつて訪れた岩手の龍泉洞である。龍神が住むとされる鍾乳洞には地底湖があり、ライトアップされると青と緑の色を放つのだ。

 涼やかな空気、つらら石から落ちる雫が、泉に落ちて波紋が広がる。

 美しい水面はちょうど今、私が触れているアズライトのような色合いだった。

 つらら石が数万年という途方もない時間をかけて今も伸び続けているのは、あの美しい泉に触れたかったからなのかもしれない。

 そんな埒のないことを考えて――。

 24時50分、私はまた立ち上がるのだ。


 
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