第631話 わあああぁぁぁぁ――――
文字数 1,973文字
暮石は電気ケトルに水をセットし、近くの椅子に座って自己嫌悪に陥っていた。
家柄から両親には少し厳しく育てられた事もあって、それなりに要領良く学校生活を行ってきたつもりだ。
家族以外では近すぎす、遠すぎない“縁”が好きだった。
高校受験は前日に熱を出して、本当にグダグダだった。試験も面接も盛大にコケたと行っても良いだろう。当然、志望校には軒並み落ちて、滑り止めで友達は誰もいない今の高校に通うことになった。
しかし、私はソレを前向きに考えた。小中学では、私の身内の事で皆、気を使ってなんとなく孤独感があったからだ。
唯一、何でもない風に話しかけてきたのは京平くんだけ。彼は両親が海外に居るとかで、私の背景を気にせず話しかけて来てくれた。
そんな京平君とこの高校で再会した。
しかも、同じクラスだった。彼は昔の彼をそのままに成長していた。念のため、名字で話しかけたら、当人だったものの、昔の様に名前で呼ぶ機会を失った。
彼とは放課後に遊んだ事はない。
私は習い事が多かった事もあるが、何かとそんな機会が無かったのである。
ビル倒壊事故に巻き込まれて、転校する形になったのも遠ざかる事になった原因だろう。だから再会した時は本当に嬉しかった。
何故なら彼は、私が最も心地良いと思っている、“近すぎず、遠すぎない縁”の相手だったからだ。
高校生でも、他の人とはそんな距離感で接していると、何人かの生徒がより踏み込んで来た。
付き合って欲しい。
そんな言葉は何人かの先輩や同級生から言われた。
本来は、それで心境に何らかの変化があると思ったのだけれど……皆とは近すぎず、遠すぎない距離感を意識していた事もあって、冷静にお断りを告げる事が出来た。
暮石は可愛いぞ。自覚した方がいい。
京平君にそう言われた時は何故か、ドキドキしたけど、あれは体育でマラソンした直後だったのでその動悸が残ってたのだと思っていた。
その後、告白ラッシュが始まり、毎回断る事に心身共に少し疲れた様子で居ると、ある日ピタリと止まった。
クラスメイトに聞くと、どこからか私のお祖父ちゃんが、総理大臣と言う噂が学校で流れたらしい。私は適当に、違うよー、とはぐらかしたが、お祖父ちゃんに国際パーティーの通訳を頼まれて行った時に、政治新聞にちょっとだけ写ってしまった。アレは反省点だ。
しかし、中には怖いもの知らずな先輩も居る。
それでも構わない、とちょっと踏み込んできた先輩が居たが、その日は丁度、お祖父ちゃんが古馴染を集めてパーティーをする事になっていたので、そこに参加させて貰った。
その先輩を連れて行ってあげたら、次の日から距離感は皆と同じになった。アレも反省点だ。
そんなこんなで、告白騒ぎも落ち着いて、私は保健委員として二年生になり早い段階で保健委員長を引き継いだ。
なんでも前委員長は医大学受験に集中したいとの事で私は快く引き受けた。
その頃には京平君も丁度、風紀委員長になったりして、私達の距離は相変わらずに、“近すぎず、遠すぎない”モノだった。
だから――
君が好きだ。
そう、京平君に言われても他の人と同じ様に対応出来ると思っていた。だから、彼とはずっと友達でいられると――
「思って……居たのに……」
あの言葉を聞いて、いつも告白を断っている言葉が咄嗟に出てこなかった。
思いもしなかったのだ。彼がずっと昔から私の事を好きだったなんて。
だって、そうだ。彼と再会したのは本当に運が良かったからだ。小学生ではほんの三年間だけ一緒のクラスだっただけで、引っ越す際の別れの挨拶もクラスでまとめてだった。
彼個人からアプローチして来た事は一度もない。先ほどの告白以外は――
「…………今の私、どういう顔をしてるんだろう」
彼の告白に対して驚いたのは“断る”と言う選択肢が全く出てこなかった事だ。
こんな事は今まで一度も無かった。だから、どうしたら良いのか解らなくてその場から逃げ出したのだ。
彼とはもう、“近すぎず、遠すぎない縁”ではない。今までもきちんと答えを出してきたじゃないか。
そう! 答えを! 答え……を――
「……私も京平君の事が好きだったのかなぁ」
何度も考えても“断る”選択肢が出てこないのはきっと――
「……うん。よし……心は決まった」
彼との縁を縮めよう。私もソレを望んでいると解ったからだ。
暮石は家庭科室の横戸に手をかけると、力を入れるタイミングで向こうから開いた。
「なんだ、出てくる所だったのか?」
佐久真が目の前に居た。フリーズする暮石が次に取った行動は、
「――わ」
「わ?」
「わあああぁぁぁぁ――――」
と、誤魔化す様に声を残しながら家庭科室の用具入れに後ろ向きに入ると、キィィィ……パタン、と扉を閉めて引き籠った。