第1話

文字数 1,500文字

ペンギンが残業になるのはいつものことだった。
が、その上司は、気が気でなかった。
とういのも今日は、アルバイトの女子大生が「残業させてください」と申し出ていたからだった。大きな耳がとびきりチャーミングで賢くもある、アトラクティブな女子大生だから、心配になったのだ。
しとしとと雨が街を濡らし始めていた。一ヶ月前から仕事に加わったこの女の子を、上司はこの天候を機会に家まで送り届けたいと思っていたのだった。彼女にずいぶん()きつけられていたし、今日は一段と彼女の柑橘系のパフュームが彼の根源的なノスタルジーを誘い、大胆な短さの赤いミニスカートは決定的な魔法となって彼を揺さぶっていた。
上司はギョッと(みひら)いた目でもって今や喰らいつかんばかりに女子大生の後ろ姿をみつめ、唾をゴクリと呑み込んで、
「ペンギンにまかせて帰ったらいいよ」と、アタッシェケースに銃器をしまいながら云った。「ペンギンは変な罪悪感を捨てきれないで、仕事に時間がかかってしまうのが常だけど、最後にはちゃんと片づけるんだ。心配することないよ、一羽で完遂できる」
女子大生は上司をふりかえり、半袖のブラウスとミニスカートからのびる なよやかな肢体はペンギンにかがめたまま、ふっくらした唇から、
「ペンギンさんには、わたしが必要だとおもうんです」と、大きな瞳にしっかりとした意思を宿して、「それに、わたしアルバイトですけど、この仕事を中途半端に帰りたくないんです。わたしの人生にとって、とてもたいせつなことになると思っています」
上司は首をかしげた。彼には、これが通常業務とどう違うのか識別ができなかった。クライアントの依頼に沿ってターゲットを別世界に送る。それだけのことだ。他と同様、このターゲットのオルターナティブとなりうる人間などすぐに現れる。間隙はすぐ閉じるのだ。
上司には解せなかったものの、今日は息子の誕生日で、家にはカイノミやイチボ、ミスジといった肉が彼を待っていた。長考する余地はなかった。心配を置き去りに、帰るほかなかった。
タクシーで彼女を送り、ちょっとでもプライベートな会話をしたかったという残念感は、上司の胸をキュッと締めつけたが。
「ペンギンよー、悩んだって悩まなくったって、最後には殺るのがおまえだろうが。さっさと済ましてミサトちゃん帰してやんな」と、上司が云ったので、女子大生の名はミサトだった。
そう言って上司はポンポンとペンギンの肩をたたいたが、ペンギンは桟に両肘をあずけてファインダーをのぞいたまま。リアクションを示さないのは、いつものことだ。上司はミサトに手をふってオフィスをあとにした。
「いいんです。納得できるように殺ってください」そう云ってペンギンに抱きつき背後から腕をまわすミサトを、閉じるドアの隙間にみながら、「どうなってんだこれ。ヤベえよ。オレがおそれてることが実際に起きそうだ」と上司は思い、胸が痛み、「オレはミサトちゃんに恋しちゃってるんだな」と最終結論に達した。そして一瞬にして家族も焼肉も魅力ないものへと色褪せた。
だからドアを閉め切らず、無音で開けたアタッシェケースから銃を出し、ドアの間隙に銃口を差し入れた。
ペンギンは人ではないから殺人ほど重い罪には問われないだろう、しかし、ミサトの心をその後につかめるのか。ペンギンを殺すことによってミサトの気持ちは、オレからずっと遠いところへ去ってしまうのでないか。彼女の心がオレに近づくとしても、それは憎しみとしてではないのか。答えが出ないまま、ペンギンへの嫉妬に駆られ引き金を引いていた。

上司は死んだ。
ミサトが念力をつかったのだった。弾丸は上司の鼻を破り、脳を抉った。
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